こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年5月22日 木曜日 暮らしの風景 ~雨ニモマケズ~

2014-05-22 21:52:20 | 雑記帳

「すっかり消費フル回転させろ」社会では、石油を使ったプラスチックゴミだらけ。
それは、他人事では無い。己も例外ではありえない。
何かを買いに行って、「そうではないモノ」にぶつからないようにすることは、もはや不可避である。

むしろ「プラスチック使い捨て容器を避けたモノ」を手に入れる、その熱心さだけで疲れてしまう。
エネルギー量が少ない自分は、そこまでの根性が無いので、ある程度のところであきらめている。

***

「もったいない」という想いが心の中にあったとしても、時間や諸条件が環境の方から迫ってくる中、一定の妥協無しには生きてはいけない。
決して0か100かでモノを判断してはならないし、果たして「もったいない」とよぎる心境と、自ら行う行為・行動が、地球環境とどのような回路で繋がっているのか?は明確にはなっていないのだし。
そう言い訳をしながら。

追記:過剰に罪意識を抱く日本人へ、抜け道的恩赦としての装置が「リサイクル」という用語となっているのは事実だろうし、これまた自分も例外ではない。

***

さまざまな書・文筆で、ライターさんが指摘している通り、今盛んに「エコ」とか「環境・・・」と言う手合いの半分はウソなのだろう。
よく「環境系」を打ち出した展示会に向かうと、一服付ける喫煙場所で、主催参加側の連中が話す内容が聞こえてくる場面に出くわす。

その会話に聞こえるは、さまざまな企業の雇われりーまんたちの本音。
「カネの源泉として環境ビジネスに関わっているだけで、実は・・・」という類のもの。

自分は見に来た観客であるのに、そういう人を目の前にして、内実を吐露してしまっている状況。
それが意味するのは「みんな、本当のことを言えないだけで、そういったことが、この世にはあふれている」という「現実」の一端を示しているに過ぎない。
お互いの化かし合い、はヒト社会の底に流れるカルマで、変わりようもないのは今更だが。

「お前も、他人の事は言えないだろ?」と言っているのだと考えた方が良い。

自分「そうだね。キミの言う通りさ。
でも、ついクチざわりの良いコトバを衣(ころも)に着て、偽善者のフリをしたくなる。そのクセは、自分だけとは思わない。」

***

あまりにひどい我が”ゴミ屋敷”も、これから温度が上がってくるには耐えられないだろう。
という状況になった今週。
数年ずっと重い心身だったところからやる気になって、掃除を少しずつ進めている。

部屋の細くなったケモノ道は、その道幅が広がって、次第に広場に近付いていく。
「掃除も疲れるから。1日約1時間を上限にね。。。」
などと、自らに「キリ」を付けながら、無理の無い程度でちょびっとずつ片付けている。

***

毎朝は太陽が昇る時刻が早くなり過ぎてきて、スズメたちの会話も伴い、4時半から5時頃に起きてしまう昨今。
太陽とすがすがしい涼風を浴びながら、プランターに植えた植物に水をやり、お茶を淹れて飲む。

・・・と書くと、あたかも「健康病」なる妄想に憑りつかれた現代病者のようだが、自分の場合は、確かに朝は今迄に無いモノを感じながらも、実のところは寝不足で不眠気味。
眼痛に老眼と目のかすみ等々含めて、日中変動が激しい。

日中変動が激しい。。。と下手に言うと、
「今年は、日によって温度変化の度合いがひど過ぎるから、それがカラダの負担・疲労になって溜まっている。」
誰もがクチを揃えて言う。

こちらは「それが要因では無い。天気の方は、今までの気象データー解析などしていないから、果たして今年だけの問題なのか?は、自分には分かりかねる。」としか言えない。

***

朝まだ寝たいが二度寝出来ず、思い立って最近、やっていることの一つ。
茶葉で淹れたお茶を冷まし、ペットボトルに入れて、持ち歩くこと。
どんな淹れ方が、美味しい冷や茶になるか、を毎日試行錯誤している最中。

伊藤園が持っていたお茶の領域に一石を投じたのは、キリンの出した生茶だろうか。
あの甘味と美味しさは魅力だが、やたらとペットボトルを買うのを避けたいのもあり、こうして何かをボトルに入れて持ち歩き出したのはここ数年のこと。

洋服みたいに、ボトルを包み込むように着ているモノは、仕事仲間がくれたカバー。
庶民的なのにマイナーな、定時が来ると店を閉める「コンビニエンスストア」の景品。
折り畳み傘などを納めるにも使えて、実に重宝している。

***

今朝は、ものは試しと、こないだ食べたカボチャのタネを土に埋めてみた。
まずは、しばらくお水を上げて様子を見るべし。
行く露地の道で、あじさいが色付いてきたのに出会う。

ところが、夜になって、”時”を見誤った。
この5月中旬になって、やっと余地が産まれたので、今日も早々に仕事場を出て、帰るはずが。
日本の「場」が形成する「空気」に縛られ、風吹く外野に出る時間を数十分遅らせてしまったのだ。

外に出たときは、空は灰色なれども、おだやかだった。
しかし、数百メートル歩いた所で、大粒の雨が突然ぼたぼた。
そんな具合に重く落下してきた。

傘をさして、いつものペースで歩く。
だが、である。
数分後、カミナリが鳴り、傘を持たぬ者たちが走る。

地面に叩き付ける雨が、まだら模様を付けて路面でダンスし始め、そこに強風が追い討ちをかけ、先へ進もうとする自分をはばむ。
1km程度の道を歩けば、クツから頭までズブ濡れ。

傘など、何の意味も無い。
上着を持たずに過ごした一日も、あっという間にさぶいさぶい温度へ。
自然と細野さんの「いつも通り雨にゃ、いつも通り雨にゃ・・・」と、相合傘のくだりが浮かぶが、目の前の光景は数百年後のような隔世感。

おしっこを漏らしたような状態で電車に乗れば、びしょ濡れのリクルートスーツの学生女性が、身になりふり構わず、病人のように「すまほ」の画面に異常な親指連打をし続けている。

***

「数十分前に、さっさと仕事場を上がった」として、じゃあ。。。と仮説を自らに問いてみる。
その数十分のスライドは、結果その後、もっとデカいスコールとしてやってくるかもしれない。

3・11含む過去の有事に当たって、どう人は当たったのか?かまで考えてみた。
それはどこまで行っても正解は無い。しかし、暗黙のルールや空気に流されず、自らのカンにのみ頼るべきだ。
そうすべきだ。などと、今日のところは思った。

帰宅して濡れた衣類にほどこしをして、冬用の上下を着込み、缶ビールのピンを「カコン」と指ではねた。



■パブリック・イメージ・リミテッド 「ディサポインテッド」1989■
阿呆と馬は、決まったコースをひたすら走る
オレはおどし付けられて、ゆかに積もったホコリみたいに、小さくなってる

アンタはやすやすとペテンを実行する
まるで、カネもうけのための慈善事業

けしからん連中を、世間は毛嫌いするものだが
とっかえひっかえ仮面をかぶって、次から次へと、みんなを驚かせて

アンタはやすやすとペテンを実行する
慈善事業とやらと、おんなじだ (ジョン・ライドン)
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