こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年5月2日 金曜日 音楽風景 ~ピンク・フロイド、細野さん、新宿・・・・昨夜のこと~

2014-05-02 22:42:46 | 音楽帳

・・・3月~4月~ゴールデンウィーク前後に来る仕事のヤマは、毎年の宿命。
年度が交差する地点で、両方の業務が交錯するので、一般のヒトが11連休などとイッテしまっているのとは、相容れない。
多くのヒトが働く中、というのに、ラジオが「ゴールデンウィーク交通情報です」という言い回しが、奇妙に聴こえるのも、もはや慣れた。
しかし、今朝、起き抜け・バクチクな髪型に、眼もロクに開かない、しんどい中でのラジオから聴こえた「ゴールデンウィークも、後半ですね」という意味不明の言い回しには、「うるさいから、黙っててくれ」と、寝ぼけた状態でぼそぼそつぶやいた。

そんなクライシスの山場だったが、一応『とりあえず突破セヨ』という信念の元、今年は徹夜をせずに、くぐり抜けられ、4連休を迎えられることとなった。
そんなメド付けがついたら、さっさと、仕事『場』は去るべし。

それなりに形(体裁)を作って、手放し得た。
100じゃない。
20で構わぬのだ。

***

そこには、今回の山場をさっさと終えたい、後押しする力の源があった。
何とか取れた細野晴臣さんのライブチケット。
5月1日19時開演・新宿文化センターの35周年記念として、3,500円という破格値のチケット。それを握りしめて、昨夕、一路新宿へと向かう。

途中、越境入学していた小学校の毎日、通過し、寄り道していた銀座駅の構内を歩く。
毎日、銀座の駅員さんに可愛がってもらい、一番仲良しだった、子供好きの駅員さんがくれた地下鉄グッズたちは、未だどこかに眠っている。
毎日ココで遊んでいた、あのランドセル背負っていた日から約40年が経過したんだ、という感慨に浸る間もなく、たくさんの人が構内を急ぎ足で往来し続ける様。
装飾は変われども、駅構内の骨格・配置・導線は変わらない。
それを知る者は、ほとんど誰も居ないであろう、消えていく者のみの感傷。

丸の内線に乗り換え、小学生時代、有楽町線が出来るまで降りていた駅・赤坂見附を通過していく。

暑い中、新宿から歩いて街をさまよい・寄り道をしぃしぃ、新宿文化センターに向かう。
なんだか懐かしい空気を建物が放っている。自分がまさにスーパートランプなどを聴いている頃に出来た、新宿文化センターのたたずまい。

いつ来たのか?もう忘れてしまったけれども、合唱コンクールだったか?ライヴだったのか?。。。。いつか来たホール。
ホールの中のイス・ステージなど、昔の小学校の講堂を想い出す懐かしいにおい。
音楽を静かに楽しむには、格好のぜいたく空間。

ステージが始まると、もはや、今の細野さんは、ご自身が「今」愉しいと思う音楽をひたすら演奏するのみだ。
その奏でる音楽は、縦横無尽なジャンル、音楽世界全部を吸収しえた細野さんだからこその、その中でだけ醸造された曲・曲・曲が続く。
まさにFM番組「デイジーホリデー」世界。
その音楽領域の広さには、とてもではないが追い付けない。

今の細野さんは、好きな曲を、自分の音を理解してくれる若きメンバーと、カバーをしていくことを愉しんでいる。
「ホソノヴァ」「ヘヴンリー・ミュージック」からの曲は数曲のみで、現在進行形・アレンジしたいと思った曲の2014年細野さん流カバーが中心となっていた。
映画「2001年宇宙の旅」からの曲(この最初部分は細野さんの弾くギターとヴォーカルだけだったが、その繊細さに泣いてしまった)や、ボブ・ディランのナンバーなど。そこに混じって、新しいアレンジでの「ボディ・スナッチャーズ」「ポンポン蒸気」と。

ユーモアある語りが、一同の気をゆるゆるさせながら進む。
細野さんの家で演奏している、おもちゃ箱みたいな世界。
後半は、ブギウギ調の曲で一挙に駆け抜ける。

昨日は、朝の仕事場への道、新宿会場に向かう道も、ひたすらピンク・フロイドの『炎』を聴いていた。
そのモードとのギャップが激し過ぎた。
ピンク・フロイドの音楽には、麻薬のようなものがあり、聴き出すとやめられないものがあるから。

昨日、細野さんは『僕は暗くなれないんだよねえ』と、やけに明るい自分を自嘲しつつ、軽やかに次々と演奏していく。
そんな元気な細野さんの演奏を、前かがみで、頬づえついて聴いているうち、あっという間にアンコールへ。

アンコールになって「ええっと、ああそうだ。メンバー紹介していないや。」と一人一人を紹介。
しゅっとした美脚のうるわしきコシミハルちゃんは、バレエのあいさつの仕方でポーズを取る。

アンコールは、少しだけ原曲に近い形で演奏された「香港ブルース」。
・・・そして、エンディングは、我々YMOの息子たちが、永遠の想いで時代に揺られながら、胸に抱いてきた夢の原点「はらいそ」。

■細野晴臣 「はらいそ」(90年代前半・大阪で独りぼっちだった頃見た「ホソノ・ハレルヤ」の映像より)■

帰り道は、と言えば、ガラリと180度反対側にある別世界。
昔のテレビチャンネルをガチャガチャと回したみたいに。
森山大道さんが棲み・語る、その肉体を宿した街、繁華街新宿。
渋谷ほどではないが、ヒトがまみれた欲望を吐き出しながら変容し続ける街を小一時間徘徊し、シャッターを切る。

駅に着いて、構内の隅っこを振り向くと、サラリーマンとOLが抱き合い、ディープに舌を絡めあうキス、カラダをぴったりと壁際にくっつけて、陰部をまさぐりあっていた。
帰りの山手線に揺られながら、再度、ピンク・フロイドの「狂ったダイヤモンド」を大音量で聴いた。「ああ、なんて美しく官能的なギターなんだろうか」と思いながら。









思えば、都会と下町、両方の世界に片足づつを乗せた股裂き状態。
そんなアンバランスな引き裂かれた状況の中で均衡を保っていく、という暮らし。
それは、40数年前も今も、自分には変わりはない。

「まだまだだよ、キミ。」と細野さんには言われるだろう。
同じ東京が変わりゆく様を見てきた細野さんの方が、この手のジレンマに包まれてきた時間を、もっともっと味わってきたのだから。
多くの悲しみ・苦しさを超えて、未だ軽やかにステップを踏み・ユーモアに富んだ細野さんという達人。
そう、まだまだ進むべく、硬直的商業世界音楽を離れて、もっと多様な音楽を聴かなきゃいけない。

もう季節は、すでに夏に向かっているんだなあ。。。と思った夜だった。
コメント
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