今夜も行き当たりばったりで、紆余曲折なままの自動筆記。
自分がデヴィッド・ボウイに出会った印象は、1980年当時、二週間ごとに本屋さんで購入していたFM雑誌「FMfan」の表紙。
そこに幅一杯に印刷された「スケアリー・モンスターズ」のジャケットデザイン。
その秀逸さ。
たぶん、その前の「ロジャー(間借人)」(1979年作品)のジャケットも、雑誌広告の白黒では見ていたはずだが。
手にした雑誌、カラー写真のイメージ。
「スケアリー・モンスターズ」発表の頃、「JUN(じゅん)」なる焼酎のCMに、ボウイ自身が出演し『・・・クリスタル・・・ジュン、ロック、ジャパン・・・』という語りと共に、大きな氷と焼酎の入ったロックグラスをひとくち含んでいた。
バックに掛かっていた曲は、後になって「クリスタル・ジャパン」という、ボウイ自身のオリジナル曲であることを知る。
その後、MTV(=プロモーションビデオ)と呼ばれるようになるが、そんなブーム到来前、「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」(=灰は灰に/スケアリー・モンスターズ収録曲)の完成度高い映像に出会った。
曲も良ければ、映像も良い。
当時は、それを録画出来ないので、フィルムカメラで画面にシャッターを切った。
このMTV「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」は、その後たんまり作られたプロモーションビデオの中でも、ウルトラヴォックスの「ヴィエナ」と並んで特筆すべき作品だろう。
***
自分がきちんとボウイのアルバム作品を、全曲通して聴くことが出来たのは、1981年秋以降のこと。
(三ノ輪を夏に去ったのち)孤独な部屋で、当時みうらじゅんさんばりに髪が長かった、東大生の兄と過ごす、夜の時間。
実は、そんな兄のお陰で、ボウイの作品と向かい合えた。
キチガイ親父からの指示あって、6つ上の兄から、夜な夜な受験勉強の家庭教師の指導を、無償で受けていた。
6つも歳が離れているので、仲が悪かった2人。
その親子のような距離の中、唯一無二の兄弟2人。
その2人が距離を縮めたのは、この時期だった。
***
夜な夜な時間を過ごすうちに、話しは勉強から音楽ばかりへと移ろって行った。
ここで、初めて兄と、音楽を経由することで通じ合えた、最初の時となる。
兄が持っていたピンクフロイド、イーノ、ボウイ他さまざまなミュージシャンの、LPレコードを借りることが出来た。
ボウイに関しては、アルバム「ロウ」「ヒーローズ」を借りる。
ヒーローズの冒頭。
「ビューティー&ザ・ビースト」が始まるイントロ。。。
■David Bowie 「Beauty And The Beast (美女と野獣)」1977■
ゴウゴウというバウンドする音。
地上すれすれを低空飛行するベース。
まるでナイフそのものの鋭さを持ったボウイの声の際立つエッジ。
そのかっこよさ。
二人で針を落としたLPレコードを聴きながら、「Something In The Night、Something In The Day・・・というセリフが好きなんだよね」と兄は語った。
繰り返し聴き込んできたがゆえに・傷んだLPジャケットのありようが、兄のこのLPへの想いと繋がっている。
そう、自分の手触りは感じていた。
鋤田さんの撮影したジャケット写真。
瞳孔の開き方が左右異なる、片目が視えないボウイのマナコを眺めていた。
***
兄から借りたLPレコードを、カセットテープに録音して聴いていた。
そんな中で「ロウ」も「ヒーローズ」も、「ビューティー&ザ・ビースト」などの優れた曲はあれども、イーノが導いたインストゥルメンタルが占めたB面が聴く中心だった。
【カセットテープで聴いていた「ヒーローズ」。そのLPを手に入れたのは、1982年1,800円で再発されたもの。秋葉原の石丸電気で購入した。】
当時、アルバムタイトル曲「ヒーローズ」を、当時は「とっても好き」とは思っていなかった。
それは「キミは一日だけヒーローになれる」と言っている。
そう思い込んでいた歌詞が、むずかゆく、心の深いところに響かなかった。
絶対に・永遠にありえない・たわごとを語る「80年代から今に至る中、日本の音楽家(?)たちに散見される」歌を思い出してしまう点。
その違和感が、このボウイの曲の片隅にあったのは事実だった。
だが、今になって歌詞をよく読み、音を聴くと、当時誤解をしていたことに気付く。
安っぽい「夢はきっとかなう」だの「夢をあきらめないで」などという歌などでは一切なかった。
それを教えて頂いたのは、vestigeさんのとても素敵なブログ「およげ!対訳くん」だった。
アドレス : http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2013/02/heroes-david-bowie.html
今夜、久しぶりに聴いたボウイの「ヒーローズ」。
イーノが描くアトモスフィア。バックで鳴るジェット気流のような「ずぼぼぼぼぼ・・・」という音。
その音は、曲構成に奥行きを持たせている。
vestigeさんのブログで訳詞を読むことで、知らなかったこの曲の本来の意味が分かり、耳が大きくなって行く。
■David Bowie 「Heroes」1977■
ブログという停泊場
怪談の若い語り手に、牛抱せん夏(うしだきせんか)さんなる方がおられる。
この方が出演された過去のWEBラジオ番組で、なるほど、と思った下りがあった。
ブログってなんだろう?と最近思う、そんな傍らで、彼女が喋ったセリフを思い出していた。
「夜遅くに、疲れ帰宅してから、寝るまでの間に、つい見に行ってしまうブログがある。
さりげない文章に、ほっ、と安堵する魅力がある。」
そんなブログに生命力をもらう。
明日なき世界でのささやかな推進力が産まれる。
彼女はそういった意味合いのことを語っていた。
とても頷ける、良いお話しだった。
***
とてもではないが、常にバランスを欠いた片翼飛行を続ける自分自身とこの場、が持ち得ない魅力をたくさんの方が持っている。
そんな素敵なブログに、最近出会える機会が増えた。
私も牛抱せん夏さんの言葉を思い出しながら、疲れ切った夜に、そんな場所に訪れる。
マスメディアで報じられるコトばかりに熱心な方が居る一方で、どこにも載っていない個人の内面や日常を、何の作為もなくして表現出来る方々に、とても親近感と敬意を持つ。
更新されていく内容には、肩のチカラも感じずに、語ったり・撮ったり出来る才能。
そこにあるのは、「本当の暮らし」。
それは、決してお金を貰った対価としての売文家などでは表現出来ない領域なんだと思う。
自分がデヴィッド・ボウイに出会った印象は、1980年当時、二週間ごとに本屋さんで購入していたFM雑誌「FMfan」の表紙。
そこに幅一杯に印刷された「スケアリー・モンスターズ」のジャケットデザイン。
その秀逸さ。
たぶん、その前の「ロジャー(間借人)」(1979年作品)のジャケットも、雑誌広告の白黒では見ていたはずだが。
手にした雑誌、カラー写真のイメージ。
「スケアリー・モンスターズ」発表の頃、「JUN(じゅん)」なる焼酎のCMに、ボウイ自身が出演し『・・・クリスタル・・・ジュン、ロック、ジャパン・・・』という語りと共に、大きな氷と焼酎の入ったロックグラスをひとくち含んでいた。
バックに掛かっていた曲は、後になって「クリスタル・ジャパン」という、ボウイ自身のオリジナル曲であることを知る。
その後、MTV(=プロモーションビデオ)と呼ばれるようになるが、そんなブーム到来前、「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」(=灰は灰に/スケアリー・モンスターズ収録曲)の完成度高い映像に出会った。
曲も良ければ、映像も良い。
当時は、それを録画出来ないので、フィルムカメラで画面にシャッターを切った。
このMTV「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」は、その後たんまり作られたプロモーションビデオの中でも、ウルトラヴォックスの「ヴィエナ」と並んで特筆すべき作品だろう。
***
自分がきちんとボウイのアルバム作品を、全曲通して聴くことが出来たのは、1981年秋以降のこと。
(三ノ輪を夏に去ったのち)孤独な部屋で、当時みうらじゅんさんばりに髪が長かった、東大生の兄と過ごす、夜の時間。
実は、そんな兄のお陰で、ボウイの作品と向かい合えた。
キチガイ親父からの指示あって、6つ上の兄から、夜な夜な受験勉強の家庭教師の指導を、無償で受けていた。
6つも歳が離れているので、仲が悪かった2人。
その親子のような距離の中、唯一無二の兄弟2人。
その2人が距離を縮めたのは、この時期だった。
***
夜な夜な時間を過ごすうちに、話しは勉強から音楽ばかりへと移ろって行った。
ここで、初めて兄と、音楽を経由することで通じ合えた、最初の時となる。
兄が持っていたピンクフロイド、イーノ、ボウイ他さまざまなミュージシャンの、LPレコードを借りることが出来た。
ボウイに関しては、アルバム「ロウ」「ヒーローズ」を借りる。
ヒーローズの冒頭。
「ビューティー&ザ・ビースト」が始まるイントロ。。。
■David Bowie 「Beauty And The Beast (美女と野獣)」1977■
ゴウゴウというバウンドする音。
地上すれすれを低空飛行するベース。
まるでナイフそのものの鋭さを持ったボウイの声の際立つエッジ。
そのかっこよさ。
二人で針を落としたLPレコードを聴きながら、「Something In The Night、Something In The Day・・・というセリフが好きなんだよね」と兄は語った。
繰り返し聴き込んできたがゆえに・傷んだLPジャケットのありようが、兄のこのLPへの想いと繋がっている。
そう、自分の手触りは感じていた。
鋤田さんの撮影したジャケット写真。
瞳孔の開き方が左右異なる、片目が視えないボウイのマナコを眺めていた。
***
兄から借りたLPレコードを、カセットテープに録音して聴いていた。
そんな中で「ロウ」も「ヒーローズ」も、「ビューティー&ザ・ビースト」などの優れた曲はあれども、イーノが導いたインストゥルメンタルが占めたB面が聴く中心だった。
【カセットテープで聴いていた「ヒーローズ」。そのLPを手に入れたのは、1982年1,800円で再発されたもの。秋葉原の石丸電気で購入した。】
当時、アルバムタイトル曲「ヒーローズ」を、当時は「とっても好き」とは思っていなかった。
それは「キミは一日だけヒーローになれる」と言っている。
そう思い込んでいた歌詞が、むずかゆく、心の深いところに響かなかった。
絶対に・永遠にありえない・たわごとを語る「80年代から今に至る中、日本の音楽家(?)たちに散見される」歌を思い出してしまう点。
その違和感が、このボウイの曲の片隅にあったのは事実だった。
だが、今になって歌詞をよく読み、音を聴くと、当時誤解をしていたことに気付く。
安っぽい「夢はきっとかなう」だの「夢をあきらめないで」などという歌などでは一切なかった。
それを教えて頂いたのは、vestigeさんのとても素敵なブログ「およげ!対訳くん」だった。
アドレス : http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2013/02/heroes-david-bowie.html
今夜、久しぶりに聴いたボウイの「ヒーローズ」。
イーノが描くアトモスフィア。バックで鳴るジェット気流のような「ずぼぼぼぼぼ・・・」という音。
その音は、曲構成に奥行きを持たせている。
vestigeさんのブログで訳詞を読むことで、知らなかったこの曲の本来の意味が分かり、耳が大きくなって行く。
■David Bowie 「Heroes」1977■
ブログという停泊場
怪談の若い語り手に、牛抱せん夏(うしだきせんか)さんなる方がおられる。
この方が出演された過去のWEBラジオ番組で、なるほど、と思った下りがあった。
ブログってなんだろう?と最近思う、そんな傍らで、彼女が喋ったセリフを思い出していた。
「夜遅くに、疲れ帰宅してから、寝るまでの間に、つい見に行ってしまうブログがある。
さりげない文章に、ほっ、と安堵する魅力がある。」
そんなブログに生命力をもらう。
明日なき世界でのささやかな推進力が産まれる。
彼女はそういった意味合いのことを語っていた。
とても頷ける、良いお話しだった。
***
とてもではないが、常にバランスを欠いた片翼飛行を続ける自分自身とこの場、が持ち得ない魅力をたくさんの方が持っている。
そんな素敵なブログに、最近出会える機会が増えた。
私も牛抱せん夏さんの言葉を思い出しながら、疲れ切った夜に、そんな場所に訪れる。
マスメディアで報じられるコトばかりに熱心な方が居る一方で、どこにも載っていない個人の内面や日常を、何の作為もなくして表現出来る方々に、とても親近感と敬意を持つ。
更新されていく内容には、肩のチカラも感じずに、語ったり・撮ったり出来る才能。
そこにあるのは、「本当の暮らし」。
それは、決してお金を貰った対価としての売文家などでは表現出来ない領域なんだと思う。