こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年5月9日 金曜日 音楽風景 ~視覚と音楽~

2014-05-09 23:58:53 | 音楽帳

聴覚で知る音楽も、視覚が聴く者に作用する面はある。
しかし、音楽の芯は音触り。

自分が幼少時代に、家の中でひたすら鳴っていたFMラジオから出たカーペンターズに、遊ぶ廊下で出会って「なんて美しい音楽なんだろう」と聴き惚れ・酔った昼下がり。
そんな偶発的な出会いこそが、音楽の醍醐味だろう。
一体、どんな国の、どんな人が奏でているんだろうか。。。という想像世界。

その後、兄が見ていたNHK教育テレビ(3チャンネル)の昼下がり、当時の(その後MTVと呼ばれる)映像に出会い、カレン・カーペンターの容姿と歌う様を初めて知る。

そんなことは、60年代生まれだった自分だったから知りえた情報獲得の経緯であって、細野晴臣さんやピーター・バラカンさんの世代で言えば、もっと情報は少なかったはずである。
一期一会に近い出会いからの想像力は、もっとたくましかったことがよく分かる。

音楽映像がバラまかれた契機を80年代としたとしても、飢えていた所への水だったので、実に幸福な時代だったと思う。
それ以降、時がワープして、IT時代に入っても幸福な時代は続いたと思う。
しかし、それが必要以上の飽和に至り、余計な視覚情報=ノイズが音楽を聴くに当たって、容易に見つけられる=今を幸福とは思わない。

***

YMOに触発されて、新しいスタイルの音楽を産み出した1980年のイギリス・ムーヴメント「ニュー・ロマンティクス」が、全くの誤解含みで語れていることは、90年代にかけて出てきた用語「ヴィジュアル系」が要因である、と自分には思える。
ニュー・ロマンティクスが出てきた時、自分らは、何もヴィジュアル=視覚・容姿のみに触発されて音楽に熱中していたのではない。
イギリス-TOKIO間のバトル・相互作用が産み出した化学変化が愉しく・音楽そのものが画期的だったからである。

火付け役であったウルトラヴォックス/ミッジ・ユーロが、別名義で起こした実験プロジェクト「ヴィサージ」、その周辺に、幸宏・YMOに影響を受けたデュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、クラシックス・ヌーヴォー、ゼイン・グリフなど。(アダム&ジ・アンツも忘れてはいけないのだが)

確かに彼らは、視覚的にも珍しかったが、新しいものというのは、いつだってトンガった異端として現れる。
しかし、それは、時代がいつだって変わらない事象。

当時は、何よりもレコードジャケット、インナースリーヴ、それに音楽雑誌のモノクロ写真こそが、音楽を知ると同時に得られる少ない視覚情報であり、興味そそられる、想像出来得る・向こう側にある異世界への入り口だった。

***

時を経ると、いつの間にかウソが語られ出し、ウソが歴史化される。
当時を知らない者には「ああ、そうなんだ」と思わせてしまう。

これは、アイドルや歌謡曲の世界なら、相通ずるものではあるが、音楽そのものとの不覚の出会いとは別である。

■クラシックス・ヌーヴォー 「フォワード」(アルバム「夜行人間」より)1981■
当時のニュー・ロマンティクス・ムーヴメントの中核に居ながら、語られることが少ないのがクラシックス・ヌーヴォーの存在。
シックなデザインのジャケット「夜行人間」が聴きたくて、当時レンタル・レコード屋さん「友&愛」でレコードを借りて、カセットテープに録音し、「ええなあ」と毎日聴いていた。

「フォワード」は、そのファーストアルバムA面の1曲目の曲。
不気味な風が吹く中、奏でられるインストゥルメンタルには大いに刺激された。
アルバム全体も素晴らしい出来上がりだった。

ヴォーカルでありフロントマンで、丸坊主に黒いマントをはおった「黄金バット」のようなサル・ソロの容貌は、印象に鮮やかだったが、何もそれで好きで聴いていた訳ではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする