こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年5月14日 水曜日 音楽風景 ~アンテナ 「カミノ・デル・ソル」’82~

2014-05-14 22:15:47 | 音楽帳

Late Night Shopping...
夜遅くのスーパーマーケットに行くと、心地良い鈴の音が聴こえてくる。
音の発生源を探して歩いていくと、早くも冷やむぎ・そうめんコーナーがあって、白い乾麺とおつゆ類の涼しげな風景。
「もうそんなことになっているのか」と思う。

お昼にお弁当を食すときに、流れていた地上波テレビのニュースからは「7月初旬から中旬の気温になります」。
まだ、梅雨さえも来ていない、というのに。

気温はされども、朝夕(にしか外に出られないのもあるが)外を歩いていると、風がとってもさわやかで気持ち良い。
こんな日には、延々と仕事場にも家にも向かわずに、あてもなく風と共に歩いていたい。
突然、消えてしまう行方不明者の中には、こんな夜の裂け目に出会って、そのままの人も居るのかもしれない。

***

外に居る時のために、と、ごっそり好きな曲をmp3プレイヤーにぎちぎちに詰め込んで出掛ける日々。
遠足に出掛ける子供時代のナップサック、あるいは、家出のときのような風だったり。

ピンク・フロイド、ジェフ・ベック、ティナ・ターナー、チャイナ・クライシス、ローリング・ストーンズなどに混じって、頓服薬としてのブライアン・イーノ、ハロルド・バッド、デヴィッド・シルヴィアンなどなど、よりどりみどり。

帰れば、CDの山からレゲエ、ダブ、ファンカラティーナ、ニューアコースティック等々の大好きな曲を引っ張り出して流しながら、お掃除、皿洗い、食事を作る暮らし。

今の自分にごまかしはしようもないが、年始の絶望以降、それより少しは精神状態は良い方に転がっているように思う。
朝お水を上げたきゅうりの苗の葉のみどり具合だったり、夜にお酢を掛けたご飯のすっぱさだったり、ほんの少しのさじ加減が、日々のうるおいとなる日が単純にうれしい。

昨日は、月一回の定期健診で、午後半休。
だるいだるい・・・と言いながら、街という外野に出れば、水を得た魚のようにシャッターを切り、街角をステップ踏み踏み、歩きすぎてしまう。
その反動で、帰った夜にはすっかりグッタリ疲れている。

自分という一個の肉体存在が持っている時間も、暮らす上での動ける制限・限度と言うものがあるのに、それを超えてしまおうとゴリ押しするから、そんな自分は時に疲れて病んでしまう。

今更のことであるが、インターネットの「仮想空間」があたかも「現実」と思い込んでしまいがちな傾向のなか、全ては永遠に思えるが、それは全てを呑み込み・生き延びられる、死を知らないコンピューター内だけの世界。
人には生と死、朝と夜があるように、老いも、限界もある世界の反対側。

その落差を直視するのが怖くて、忘我すべくパソコンに向かう面があった。
もっともっと知りたい、、、そんな猛烈な生へのエモーショナルな固執が、平日でも夜中になろうがパソコンを落とせずにのめり込む導火線となっていたのは事実であろう。

しかし、近時、自宅パソコンの一部破損・不調をきっかけにして、ただラジオやCDだけを掛けて、暮らしのこまごましたことをしている夜が多くなった。
情報なんか最低限でよい。
その方が、心にゆとりがあったり、自由に空間を動けたり、不意の発見がある。

***

1982~1983年、男子校に通っていた時分。
部活の無い日には、帰り道に近くの池袋に寄り道をしていた。
持参金はほとんどなかったが、中古レコード屋さん、それに、百貨店内に入っていた新星堂に寄っていた。

当時、新星堂は、クレプスキュールレーベル、ファクトリーレーベルの国内販売の権利を持っていて、ささやかだけれど手作り風の広告を音楽雑誌に載せていた。
お店では、初めて見るヨーロッパのミュージシャンの12インチシングル、ミニアルバムなど、よだれが出るような輝きを放った、憧れの未知世界。(1枚1,800円以上の高価格)

そんな中の1枚がアンテナの「カミノ・デル・ソル」。
水彩画風のジャケットがとっても美しいデザインで、夏に向けた陽光が織り成す陰影を付けた室内調度品の風景は、数十年に渡って好きなものである。



■Antena 「Camino Del Sol」1982■
そんな自分がやっと、アンテナの音楽に触れられたのは、1983年高橋幸宏のオールナイトニッポンで掛かったシングル「ビー・ポップ」。
その後、1984年に終わる事になってしまったFM番組「スタジオテクノポリス27」(土曜深夜3時~/DJ:ピーター・バラカンさん)の次に始まった「FMトランスミッション/バリケード」。
そこで掛かった「カミノ・デル・ソル」「ザ・ボーイ・フロム・イパネマ」をエアチェックして、聴いては悦楽に浸っていた。

もう今では、数百円でブックオフで売っているCDは、アンテナのシングルをかき集めたもの。
自分がこれを購入したのは、2000年以降のことだが、小さいながらも、「カミノ・デル・ソル」のジャケットであるのは気に入っている。

昨夜・今夜と、久方ぶりに、このCDを聴いていた。
ジャケットと音楽がマッチングした曲「カミノ・デル・ソル」への個人的想い。
沖縄を「悲しき熱帯」という言い方をするケースがあるが、夏や南洋の明るいイメージと共に、その中には必ず哀しみが佇んでいる。
そんな物憂げさが、余計な加工をしていないストレートな簡素な音のキーボードの音程に、うまく表現されていると思う。

PS:CDを整理していたら、このCD「カミノ・デル・ソル」を2枚も持っていたことに気付く。
全く持ってぜいたくであり、ボケまくっている。
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2014年5月12日 月曜日 くらしの風景 ~XTC 「イングリッシュ・セツルメント」’82~

2014-05-12 23:49:40 | 音楽帳

朝出掛けにカバンに放り込んだは、「ミュージックマガジン」の1982年6月号。長年ページをめくってきたので、傷んではいるけれども。
まだ、朝・夜は肌寒いときもあるけれども、確実に季節は夏に向かっている。

土日寝過ぎと歩き過ぎで、しんどいブルーマンデイの朝だった。
いつもどおり起き抜けにAMラジオを付けると、25℃近くにまでなる、と言っている。
案の定、作業着としてのスーツで歩いて行くと、仕事場に着くなり汗が噴き出し、うちわでパタパタ。

インターFMから、ピーター・バラカンさんの声。
高校時代から変わらない声。それは、お互いが離れずにスライドしてきたから、変わったことに気付かないせいもあるかもしれない。

帰り道。
あまりよろしくないことだが、非常事態のために服用しているQ&Pコーワ。
間もなくビンがカラカラになってしまうので、ぶらりと立ち寄ったお店で、価格と錠数とを見比べていた。
最近は、シリーズがいろいろあって、悩んだ末に「んんん~、やっぱり、明日にしよう」となる。

途中、夜に開いているスーパーに、お刺身を探しに行くが、良いモノがなくて、これまた次々に覗いて、やっぱりは「安心なこのお店」で買って帰る。
かつおのタタキ。

帰って、お米を研ぐ。どんぶりものを作るのだ。

***

かつて読んだ関川夏央さんの「中年シングル生活」。
じぶんはぼーっとして歳を意識していなかったので、自分自身が中年というくくりは、未だに他者のことと思っていた。
とはいえ、関川さんの書いた文章にうなづくことの多い最近。

暮らすうちに、幾筋ものケモノ道が家の中に出来る、というくだりなど。
本、CD、レコード、チラシなどが山積しながら、いつも居る場所に行くには細い道が出来る。
「しかし、汚すぎる!」と、このところは掃除をすることが多い。

今夜も帰るなり、無意識に雑巾がけをし出したら止まらなくなった。
「今日は1時間」とブレーキを途中から意識付けることにした。

こないだ、酔ってよろめいた際に、転んでしまい、mp3に変換するレコードプレイヤーの上に乗っかり、カバーを砕いてしまった。
今日は、その補修をビニールテープですることとした。
そんなつくろい・手作業をしているうちに、消費世界に洗脳されていた所から目覚めて我に帰る。

あちらこちらにちらばったLPレコードを、乾いた布で拭きながらラックに集めてくる。
そうしているうちに、「一体、これらは誰のために集めて、誰のために買ったのだ?」と当たり前の考えにたどり着く。
「そうだ、自分のためだった」と思い直す。
ほとんどが80年代に集中したレコードたちは、ボクが見て・聴いて・楽しむだけのために、買ったのだから。
「そんな自分が楽しむことが出来ないのなら、放棄したほうが良い」と、今更ながら思え、正気に戻る。

掃除もヒト段落する頃、外で雨が降り出した。
日曜日に鳩の街のお花屋さんで買った、キュウリとナスの苗を、掃除前に暗がりのプランターに移して、お水を上げたのだが、結果的にはお水要らずだった。

やっと一息付いて、ショーチューの薄い水割りを呑みながら、XTCの「イングリッシュ・セツルメント」を聴き出した。
想い出深いLPレコード。
イギリスでは2枚組だったが、日本盤LPは1枚に集約されていた。
自分が当時買ったのは日本盤。
その後、2枚組も聴いたが、出会いが1枚盤だったので、それは今もその方がしっくり来る。今は、CDで聴いている。

アンディ・パートリッジがひどいノイローゼで、ライヴなど人前で演奏することが出来なくなった後の1枚。
プロデューサーは繊細な音を作るヒュー・パジャム。
フィル・コリンズのソロ「夜の囁き」、ポリスの「ゴースト・イン・ザ・マシーン」などで、そのキメ細やかな音作りに魅了された。
彼の作る音は、この「イングリッシュ・セツルメント」においても、素晴らしい音像を描き出している。

「やっぱりXTCは、イギリスらしいバンドなんだなあ」と思わせるフォークロアの匂い、アコースティック感覚が漂うこの1枚を、ボクは昔も今も愛している。
聴いているうちに、ウキウキうれしくなる。
静かに始まる1曲目「ランナウェイ」から、音がかぶさりながら移っていく2曲目「ボール&チェイン」。
ドラムの音は、エスニックな匂いをさせながらも、乾いたエコーがスコーンと空にこだまする。



■XTC 「Ball & Chain」1982■
1982年の夏。千葉の海に、男同士だけで行った記憶。
こちらはオンナよりも海に行く、ということで、セレクションテープを作って持って行き、浜辺でラジカセから流れる音を聴いていた。
ホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラヴ」、細野さん・教授・鈴木茂さん・達郎さんらが作った「パシフィック」からの曲に混じって、XTCの「ヨット・ダンス」が流れていた太陽ギラギラの日。

カラダが感じる温度や空気が脳に呼び込んだのは、1982年の春から夏への流れ。
あの年・あの季節に出会った音楽が、よく脳の中で流れる日である。
それは、実際の暮らし、というより、それはつらいけれども、新しい音楽宝庫だった日々のめくるめく想い。
レゲエ、ダブ、ハイチ、ラテン・・・あの頃聴いていた南洋音が、もうそこまで来ている。
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2014年5月11日 日曜日 墨田風景 ~花と光とネコと露地の織り成す日々~

2014-05-11 13:06:58 | 写真日和



5人が住まう公園でも、片目の悪いキジトラさん2号とクロちゃんは、夫婦のように仲が良い。
真冬の凍て付く日には、お互いがお互いの背中に頭を乗せて暖めあっていた。
そんな微笑ましくも幸福な瞬間に出会い、ずっとキジトラさん2号が気になっていた自分は安堵する。





昨日もぶらぶらと島を回遊していたが、陽気の良さから、露地の角っこ角っこから顔を出したネコさんに出会う。
おなかを減らした子には、持参したカリカリを上げながら、ふらふらと歩く。

カリカリを食べたキジトラさん2号は、珍しく目の前でゴロンゴロンと満足げになる。







長毛くんには、愛猫・まみちゃんを思い出す。

仏さまのような顔をしたまどろみ姿。





■Claire - Fly Me to the Moon (「新世紀エヴァンゲリオン」サントラより)1995■








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2014年5月9日 金曜日 音楽風景 ~視覚と音楽~

2014-05-09 23:58:53 | 音楽帳

聴覚で知る音楽も、視覚が聴く者に作用する面はある。
しかし、音楽の芯は音触り。

自分が幼少時代に、家の中でひたすら鳴っていたFMラジオから出たカーペンターズに、遊ぶ廊下で出会って「なんて美しい音楽なんだろう」と聴き惚れ・酔った昼下がり。
そんな偶発的な出会いこそが、音楽の醍醐味だろう。
一体、どんな国の、どんな人が奏でているんだろうか。。。という想像世界。

その後、兄が見ていたNHK教育テレビ(3チャンネル)の昼下がり、当時の(その後MTVと呼ばれる)映像に出会い、カレン・カーペンターの容姿と歌う様を初めて知る。

そんなことは、60年代生まれだった自分だったから知りえた情報獲得の経緯であって、細野晴臣さんやピーター・バラカンさんの世代で言えば、もっと情報は少なかったはずである。
一期一会に近い出会いからの想像力は、もっとたくましかったことがよく分かる。

音楽映像がバラまかれた契機を80年代としたとしても、飢えていた所への水だったので、実に幸福な時代だったと思う。
それ以降、時がワープして、IT時代に入っても幸福な時代は続いたと思う。
しかし、それが必要以上の飽和に至り、余計な視覚情報=ノイズが音楽を聴くに当たって、容易に見つけられる=今を幸福とは思わない。

***

YMOに触発されて、新しいスタイルの音楽を産み出した1980年のイギリス・ムーヴメント「ニュー・ロマンティクス」が、全くの誤解含みで語れていることは、90年代にかけて出てきた用語「ヴィジュアル系」が要因である、と自分には思える。
ニュー・ロマンティクスが出てきた時、自分らは、何もヴィジュアル=視覚・容姿のみに触発されて音楽に熱中していたのではない。
イギリス-TOKIO間のバトル・相互作用が産み出した化学変化が愉しく・音楽そのものが画期的だったからである。

火付け役であったウルトラヴォックス/ミッジ・ユーロが、別名義で起こした実験プロジェクト「ヴィサージ」、その周辺に、幸宏・YMOに影響を受けたデュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、クラシックス・ヌーヴォー、ゼイン・グリフなど。(アダム&ジ・アンツも忘れてはいけないのだが)

確かに彼らは、視覚的にも珍しかったが、新しいものというのは、いつだってトンガった異端として現れる。
しかし、それは、時代がいつだって変わらない事象。

当時は、何よりもレコードジャケット、インナースリーヴ、それに音楽雑誌のモノクロ写真こそが、音楽を知ると同時に得られる少ない視覚情報であり、興味そそられる、想像出来得る・向こう側にある異世界への入り口だった。

***

時を経ると、いつの間にかウソが語られ出し、ウソが歴史化される。
当時を知らない者には「ああ、そうなんだ」と思わせてしまう。

これは、アイドルや歌謡曲の世界なら、相通ずるものではあるが、音楽そのものとの不覚の出会いとは別である。

■クラシックス・ヌーヴォー 「フォワード」(アルバム「夜行人間」より)1981■
当時のニュー・ロマンティクス・ムーヴメントの中核に居ながら、語られることが少ないのがクラシックス・ヌーヴォーの存在。
シックなデザインのジャケット「夜行人間」が聴きたくて、当時レンタル・レコード屋さん「友&愛」でレコードを借りて、カセットテープに録音し、「ええなあ」と毎日聴いていた。

「フォワード」は、そのファーストアルバムA面の1曲目の曲。
不気味な風が吹く中、奏でられるインストゥルメンタルには大いに刺激された。
アルバム全体も素晴らしい出来上がりだった。

ヴォーカルでありフロントマンで、丸坊主に黒いマントをはおった「黄金バット」のようなサル・ソロの容貌は、印象に鮮やかだったが、何もそれで好きで聴いていた訳ではない。
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2014年5月7日 水曜日 ~休み明け徒然日記~

2014-05-07 23:55:06 | 雑記帳

4日も休みを取ったため、寝・起きがズレてしまう。(安心して休めない)昔の日本人的だ、というより、元来は不精な性格なので、そうなってしまう。

朝の寝起きは想定通りしんどかったが、好天の差し込む陽射しが気持ちを救ってくれたような気もする。
都内にて仕事、昼食の後、午後地方に向かう。
室内で熱心に語るうち、外に出れば宵の空。

帰路を辿るガラガラの電車に座って、パブリック・イメージ・リミテッドの近作「ディス・イズ・PIL」を聴いていたが、気が付いたら、眠りに堕ちていた。
車内で眠るなどは、近時無いことである。
どうやら、休んだ分、疲れが溜まるという逆現象と捉える。

暮らすためだけの買い物をしながら、ふらふらと家路を歩く。

***

すぐエネルギーが枯渇して、次の日に影響する性分は理解しているので、平日のお掃除はほどほどに、ということは理解していた。
しかし、本当のゴミ屋敷は「あかん」とはわかっても自堕落だった。

最初は単純に「今日は、真っ黒になったオナベをキレイにだけしよう」と思っていたのが、それが済むと洗い場をキレイにし、買ってきた電球を取り替えると久しぶりの灯り。
「おお、イイじゃないの」という一方、灯りが照らし出したは、ゆかの汚さ。
そこから、雑巾がけ。。。

結局、1時間半も掃除に費やしてしまった。
夕ご飯を作る気力は、そのお陰で無くなってしまった。

掃除をする間、持ち歩いているミニ録音プレイヤーから流れる、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「原子心母」を聴き切ってしまった。
やはり、自分は「狂気」「炎」「鬱」がしっくり来る。

「アニマルズ」。ヒプノシスのジャケットは、とてもとても素晴らしいが、デイヴ・ギルモアのギターのみで乗り切った、という感覚で、未だにしっくり来ない。「シープ」のイントロ部分は好きですが。。。
「原子心母」も似ており(好きな曲はありますが)歴史的だとは思えど、やはり組曲の大仰さを愛せるのは、本当のプログレッシヴ・ロック時代を体現し得た世代の方。
一歩遅れて、追体験の形で知った自分には、十分な理解が及ばない。

音楽が心底好きな人ならば、それぞれの想いで良いと思っているが、自分には、今聴く「原子心母」組曲はかなり古いものを感じさせてしまう。
「狂気」「炎」が永遠にすたれないのとは距離がある。
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2014年5月5日 月曜日・祝日 東京風景 ~From The Queit Lodge~

2014-05-06 02:49:22 | 写真日和

細野さんの作品は、どれもこれもが、その時点・時点で置かれた状況の中で、心血注がれているので、優劣は無い。
そう言ってしまう自分のアタマは相当イカれていると言われるだろう。

しかし、そんな細野さんの作品の中の1つ。1993年「メディスン・コンピレーション」は、当時大阪に居た自分にとって特別な作品である。
当時の大阪の暮らしは、新しいあらゆるメディアを入手する「場」が少なくて、困っていた。欲しいものとのすれ違いざまの出会いをする「場」が少ないことは、自分にとって苦しかった。
更には、毎夜、先輩の説教含めて付き合い、夜中までの酒の呑み代に給料・生活費のほとんどをつぎ込んでいたので、高価な正価格のCDを購入するにも窮していた。

結果的に、レンタルCDで借りた「メディスン・コンピレーション」をカセットテープに録音した。1994年営業車を転がしながら、夜に一番良く聴いていたのが、この作品だった。
車は、人気(ひとけ)の無い大阪市内の道を走る。道は当然平らなのだが、地球の大地を走っている感触があったこと、やけに夜を照らす灯りや月が意味深けな隠喩のように感じたり、走っているうちに黄泉の世界に突入していたりした。

その後、自分は1995年1月、阪神淡路大震災に突入していくことになっていくのだが、まるでそれを知っていたかのような、地鳴りの音が「メディスン・コンピレーション」には収まっている。
誰もが「イカれている」としか言わないだろうが。

■細野晴臣 「ラフター・メディテーション」1993■
5日・月曜日は、相変わらず、近所をほっつき歩いていた。
太陽など空が、その日の一周を時刻時刻と地上の陰影・表情・有様を変化させる中。

先日、東洋医学の施術師の方と話していて、知ったこと。
「住めば都(みやこ)、という言葉があるが、実は今語られている意味ではない。
住んで居るうちに、そこが一番良くなる、というのではなくて、どこに行っても都(みやこ)。
つまり、移動するほうの人に、実は源が宿っている。」
なるほど。。。と思いながら、まだ自分の中では咀嚼しきれていない。






















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2014年5月3日(土曜日)~4日(日曜日) 東京風景 ~北千住・荒川土手・隅田川・小さな喫茶店~

2014-05-04 05:28:09 | 写真日和

色々やっているうち、深夜2時を過ぎる。寝ねば、と睡眠導入剤を服用し、明かりを消す。
・・・耳の横からは、デイジーホリデーの放送が流れる。
細野さんの深い声は沈静作用があるからね。。。。

と思っていたが、ピーター・バラカンさんとのお話しが楽しかったり、昔の音楽が軽やかに流れるうち「ああーっ、眠れないや」と布団をはいで、身を起こす。

まあ、こんな深夜も良いではないか。

***

昨日(2日・金曜日)は、仕事場に向かう電車内にも、人はまばら。
更には、良い天気。お昼にお弁当を買いにいけば、なんだか、もう休みみたいな、だらりんちょんの空気。
仕事を室内でしていることが、バカバカしくなるような日だった。

しかし、そんな空気のお陰で、自分の体内からも、それまで重く捉えていた悩みやストレスといった毒が抜けていくようで、夕暮れを迎えると同僚の可愛い29歳・後輩くんと「パソコン奴隷で、室内でこんなことしているのが、バカバカしくなるな!」と2人で大笑いしつつ、バカ話。

意識してはいなかったのだが、自分の中で「よいしょ」と荷を降ろしてしまったようだった。糸の切れた凧(たこ)モード。
人は、そういうとき、吹っ切れたかのように、やけに軽やかになったり、饒舌になる。

帰ると、ついつい深酒してしまう。明るいお酒。どんどん呑んでしまう。
酔っ払った勢いで、29歳・後輩くんに電話し、仕事場では話せなかった話しで大盛り上がり。ドカンドカンきわどい笑いが出る。

この後、ある地点からプチッと記憶が途切れている。

***

今朝、7時45分に目覚める。酒は残るは、水、木、金の疲れは一挙に押し寄せるわ。まあ、いつもそんな具合だが。
みうらじゅんさんと仲間たちが繰り広げてきた、男同志のバカ道同様、毎週毎週友人3人で逢っては、バカをやってきた数十年の日々は、2年前に友人MZ師が結婚してしまってから、集まる機会が全く無くなってしまった。

ここ数年、3人で集まったのは、ほんの数回。
ほぼ兄弟のような人と逢えない時間が続けば、バランスを欠く。
これが自分の見えるもの・聴こえるものの質を変えてしまった感は否めない。

しかし、せっかくのお休みなんだしい。。。と、まだ独身の友人ハブ噛み師匠とアポイントするとOK返事に、ニンマリ。
しんどいけれども、休みには服用しないQPコーワゴールドをクチに含んで、鳩ビッコを引きづりながら、北千住でおちあう。

大晦日以来だから、4ヶ月逢えていなかった。
(今年の時間の経過の速さは、自分には異常に感じる。1年の3分の1が終わったなんて。。信じられない。)
逢って、彼とあてもなく北千住の街を迷走する。いろいろバカ話しをしたり、近況を話したりしながら。

紫外線強い陽光。汗だくで街を歩き、シャッターを切る。
柳原を抜けて、荒川土手に向かい、そこからは隅田川沿いを、風に吹かれながら、2人で音楽の話しをしながら。

















喫茶店で休憩。
お茶を飲みながらも、話しの中心は音楽談義。
自分は、今週インターFMで聴いた、羊毛とおはなの「イエローバード」、ローラ・マヴーラのグリーン・ガーデン」、ピンク・フロイド、ストーンズ、細野さんのライヴなどを話す。

ハブ噛み師匠からは、知り合いを辿って、出会えることとなったという宮原良仕子さんの存在を教えてもらう。

彼が持ち歩くヘッドフォンをアイ・フォンに繋いで見せてくれたユーミンの曲の弾き語り。
まずは、なんてかわいくて美しい人なんだろうというのは先にあったが、耳から聞こえてくる声のキレイさ・歌の上手さ・情感に参った。

自分「ギターを駅前で歌うガラクタ音楽家気取りも、しょせんはブームで、全部消えてくれたね。ゆずとかいうしょーもない歌しかつくれないヤツは、まだ居るけどね。
じゃあ、こちらは、青葉市子さんの『ひかりのふるさと』を推すよ。それとSALYU×SALYUもね。」

こんな会話が久しぶりに飛び交った今日は、幸福だった。

■宮原良仕子 「A Happy New Year」'13.12.31■
お互い同意「ユーミンの曲とは思えないほど、上手いねえ。
こんなにも良い曲だったんだと、今日気が付いたよ。」




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2014年5月2日 金曜日 音楽風景 ~ピンク・フロイド、細野さん、新宿・・・・昨夜のこと~

2014-05-02 22:42:46 | 音楽帳

・・・3月~4月~ゴールデンウィーク前後に来る仕事のヤマは、毎年の宿命。
年度が交差する地点で、両方の業務が交錯するので、一般のヒトが11連休などとイッテしまっているのとは、相容れない。
多くのヒトが働く中、というのに、ラジオが「ゴールデンウィーク交通情報です」という言い回しが、奇妙に聴こえるのも、もはや慣れた。
しかし、今朝、起き抜け・バクチクな髪型に、眼もロクに開かない、しんどい中でのラジオから聴こえた「ゴールデンウィークも、後半ですね」という意味不明の言い回しには、「うるさいから、黙っててくれ」と、寝ぼけた状態でぼそぼそつぶやいた。

そんなクライシスの山場だったが、一応『とりあえず突破セヨ』という信念の元、今年は徹夜をせずに、くぐり抜けられ、4連休を迎えられることとなった。
そんなメド付けがついたら、さっさと、仕事『場』は去るべし。

それなりに形(体裁)を作って、手放し得た。
100じゃない。
20で構わぬのだ。

***

そこには、今回の山場をさっさと終えたい、後押しする力の源があった。
何とか取れた細野晴臣さんのライブチケット。
5月1日19時開演・新宿文化センターの35周年記念として、3,500円という破格値のチケット。それを握りしめて、昨夕、一路新宿へと向かう。

途中、越境入学していた小学校の毎日、通過し、寄り道していた銀座駅の構内を歩く。
毎日、銀座の駅員さんに可愛がってもらい、一番仲良しだった、子供好きの駅員さんがくれた地下鉄グッズたちは、未だどこかに眠っている。
毎日ココで遊んでいた、あのランドセル背負っていた日から約40年が経過したんだ、という感慨に浸る間もなく、たくさんの人が構内を急ぎ足で往来し続ける様。
装飾は変われども、駅構内の骨格・配置・導線は変わらない。
それを知る者は、ほとんど誰も居ないであろう、消えていく者のみの感傷。

丸の内線に乗り換え、小学生時代、有楽町線が出来るまで降りていた駅・赤坂見附を通過していく。

暑い中、新宿から歩いて街をさまよい・寄り道をしぃしぃ、新宿文化センターに向かう。
なんだか懐かしい空気を建物が放っている。自分がまさにスーパートランプなどを聴いている頃に出来た、新宿文化センターのたたずまい。

いつ来たのか?もう忘れてしまったけれども、合唱コンクールだったか?ライヴだったのか?。。。。いつか来たホール。
ホールの中のイス・ステージなど、昔の小学校の講堂を想い出す懐かしいにおい。
音楽を静かに楽しむには、格好のぜいたく空間。

ステージが始まると、もはや、今の細野さんは、ご自身が「今」愉しいと思う音楽をひたすら演奏するのみだ。
その奏でる音楽は、縦横無尽なジャンル、音楽世界全部を吸収しえた細野さんだからこその、その中でだけ醸造された曲・曲・曲が続く。
まさにFM番組「デイジーホリデー」世界。
その音楽領域の広さには、とてもではないが追い付けない。

今の細野さんは、好きな曲を、自分の音を理解してくれる若きメンバーと、カバーをしていくことを愉しんでいる。
「ホソノヴァ」「ヘヴンリー・ミュージック」からの曲は数曲のみで、現在進行形・アレンジしたいと思った曲の2014年細野さん流カバーが中心となっていた。
映画「2001年宇宙の旅」からの曲(この最初部分は細野さんの弾くギターとヴォーカルだけだったが、その繊細さに泣いてしまった)や、ボブ・ディランのナンバーなど。そこに混じって、新しいアレンジでの「ボディ・スナッチャーズ」「ポンポン蒸気」と。

ユーモアある語りが、一同の気をゆるゆるさせながら進む。
細野さんの家で演奏している、おもちゃ箱みたいな世界。
後半は、ブギウギ調の曲で一挙に駆け抜ける。

昨日は、朝の仕事場への道、新宿会場に向かう道も、ひたすらピンク・フロイドの『炎』を聴いていた。
そのモードとのギャップが激し過ぎた。
ピンク・フロイドの音楽には、麻薬のようなものがあり、聴き出すとやめられないものがあるから。

昨日、細野さんは『僕は暗くなれないんだよねえ』と、やけに明るい自分を自嘲しつつ、軽やかに次々と演奏していく。
そんな元気な細野さんの演奏を、前かがみで、頬づえついて聴いているうち、あっという間にアンコールへ。

アンコールになって「ええっと、ああそうだ。メンバー紹介していないや。」と一人一人を紹介。
しゅっとした美脚のうるわしきコシミハルちゃんは、バレエのあいさつの仕方でポーズを取る。

アンコールは、少しだけ原曲に近い形で演奏された「香港ブルース」。
・・・そして、エンディングは、我々YMOの息子たちが、永遠の想いで時代に揺られながら、胸に抱いてきた夢の原点「はらいそ」。

■細野晴臣 「はらいそ」(90年代前半・大阪で独りぼっちだった頃見た「ホソノ・ハレルヤ」の映像より)■

帰り道は、と言えば、ガラリと180度反対側にある別世界。
昔のテレビチャンネルをガチャガチャと回したみたいに。
森山大道さんが棲み・語る、その肉体を宿した街、繁華街新宿。
渋谷ほどではないが、ヒトがまみれた欲望を吐き出しながら変容し続ける街を小一時間徘徊し、シャッターを切る。

駅に着いて、構内の隅っこを振り向くと、サラリーマンとOLが抱き合い、ディープに舌を絡めあうキス、カラダをぴったりと壁際にくっつけて、陰部をまさぐりあっていた。
帰りの山手線に揺られながら、再度、ピンク・フロイドの「狂ったダイヤモンド」を大音量で聴いた。「ああ、なんて美しく官能的なギターなんだろうか」と思いながら。









思えば、都会と下町、両方の世界に片足づつを乗せた股裂き状態。
そんなアンバランスな引き裂かれた状況の中で均衡を保っていく、という暮らし。
それは、40数年前も今も、自分には変わりはない。

「まだまだだよ、キミ。」と細野さんには言われるだろう。
同じ東京が変わりゆく様を見てきた細野さんの方が、この手のジレンマに包まれてきた時間を、もっともっと味わってきたのだから。
多くの悲しみ・苦しさを超えて、未だ軽やかにステップを踏み・ユーモアに富んだ細野さんという達人。
そう、まだまだ進むべく、硬直的商業世界音楽を離れて、もっと多様な音楽を聴かなきゃいけない。

もう季節は、すでに夏に向かっているんだなあ。。。と思った夜だった。
コメント
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