こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年7月17日 火曜日 Alan Parsons Project  「Don't Answer Me」'84

2012-07-17 23:08:40 | 音楽帳


エヴァーグリーンなポップス。
永遠にあせることのない音楽。

生きる糧(かて)・術(すべ)としてきた音楽たち。

音楽を聴くときに、自分の中に広がる至福と開放感を救いに生きてきた。
優れた音楽は、時間も空間をも越えた救いとなる事がある。
エセ宗教では救われない自分が・救われる時が、ここには現実に有る。

音楽があったから、生きてこれた。
この曲を聴くと、ついそんな想いになる。
生きていて良かった、と想う瞬間が、た~まにある。

エヴァーグリーンなる一点を目指して、苦労を重ねてきたアーティストたちに、手を合わせ、感謝。

■アラン・パーソンズ・プロジェクト「ドント・アンサー・ミー」
(1984年アルバム「アンモニア・アヴェニューより)■


最近、この曲を聴きたさに、ドトール・コーヒーに入る。
コーヒーとしては、ベローチェやタリーズの方が好きなのだが。
コーヒー・ショップの差別化として、ドトールは、近時、流す音楽を真剣に選ぶことで、居心地の良い空間=コーヒー・ショップを創ることを目指している。



敬愛するボズ・スキャッグスの曲を含めて、なかなかの選曲。
AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)が中心となるが。。。。
そんな中、必ず掛かる曲がこの「ドント・アンサー・ミー」。

***

アラン・パーソンズ・プロジェクトに出会ったのは、やはり「クロスオーバー・イレブン」。
アルバム「アイ・ロボット」。
そして、1981年発表された「アイ・イン・ザ・スカイ」。
必死にエア・チェックした、宝物のカセットテープ。
ここで、アラン・パーソンズ・プロジェクトは、一気に自分らのココロを掴んで離さなくなった。

自分が持っているLPレコードは「アイ・イン・ザ・スカイ」のみであるが、時代を追って、彼らの音楽を聴いてきた。



そんな彼らが、土曜日・深夜、小林克也さんの「ベストヒットUSA」や、ピーター・バラカンさんの「ポッパーズMTV」でMTVが流れ、アメリカでも大ヒットした曲が、この「ドント・アンサー・ミー」。



当時も「良い曲やなあ~」と想っていたが、ふいにドトール・コーヒーでハブ噛み師匠と流れるこの曲を聴いて、「懐かしいねえ」と言いながらも、そういうレトロ感覚を越えて、この曲が永遠のモノに昇華していることを確認した。
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2012年7月16日 月曜日 祝日 「お誕生会」

2012-07-16 15:17:08 | 想い出かたちんば
伊集院光さんは、自分と1つしか歳が違わないのもあり、ラジオを聴くたびに、頷く部分が多い。
磨きが掛かった話術・頭の回転の速さゆえ、幼い頃の微妙な感じをコトバにするのが、実に上手い。

伊集院さんは、荒川区西尾久出身。
自分が、2年だけ住んでいた場所。

同じ下町生まれではあるが、都電荒川線沿線とはいえ、
三ノ輪が位置的に貧しくリスキーだった時代とは異なり、尾久はもっと牧歌的。
都電沿線は、荒川区・北区の方向に向かうほどに、おおらかさがあった。

小学生の頃、尾久にあるゴルフ練習場に、よく老父の荷物持ちで付き添い、都電に乗った記憶がある。


【昭和42年の三ノ輪橋】

***

伊集院光さんの話の1つに、お誕生会の場面や心理が出てくる。

「お誕生会」は、コドモの残酷さの側面がよく現れる。
金銭面も含めた制限の中、誰を呼ぶか?という選択は、イコール・誰を呼ばないか。
また、呼んだとしても来ないケースなどなど・・・狭い世界の勢力図が見える場面。

当人と、精一杯のもてなしをして上げようとする親は、むしろハラハラする方で、
飽きられないように、食事は何を出し、催し物は何にして・・・・

大人になって振り返るに、こんな残酷な催事の風習はやめるべきなんだろう。
長きに渡って付き合いが出来る友人など、コドモを無理矢理閉じ込めた集団生活からはほとんど生まれない。
人間の残酷さを垣間見るだけのこと。

そんな学校ならば、誰に何と言われようと行かないで良い。
イノチを取られるくらいならば、個になることを選択した方が良い。

***

大人の仕事場の世界も似たようなもの。
しょせんは集団心理が左右する。

しかし、いい歳を迎えて、色んな人が殺される場面を見つつ・見抜いてしまった自分は、仕事にイノチをささげるつもりはさらさら無い。
一緒に釜のメシを食った・共に苦難を越えた人など、
仕事を外しても付き合ってきた人以外はどうでも良い。

嫌な話をしてしまったが、話しを音楽に180度変える。





他人に擦り寄ることなく・我が道を行くだけの細野さん。
「サル山のボス」になるつもりは一切無いのに、そういう細野さんの周りには自然と様々な人が細野さんを慕って集まってくる。
サル山ならず、森のような世界が形成される。

自分が一番で無いと済まないエゴを持った教授が、その様に嫉妬をし、確執を自ら作り出してきた歴史は、いつかも書いたので、あえて書かない。

細野さんの1982年・YENレーベル発足時に発表された「フィルハーモニー」。
この中に「お誕生会」という曲がある。

■細野晴臣さん 「お誕生会(Birthday Party)」■


細野さんの中では、元々構想として有ったという曲。
アルバムを創るスタジオへ、細野さんにおみやげを持って現れた人の声を撮り、サンプリングして曲としている。
偶発的なチカラが生むもの、ということでは、発想の根源はブライアン・イーノの影響が強い。
ネコちゃんの声は、細野さんの友人(故)モロさんの飼っていた「南無」ちゃん。



ピーター・バラカンさん&アッコちゃんの「スタジオテクノポリス27」に、デヴィッド・シルヴィアンがゲストで来た際に、この曲を彼が選んだ。
曲を掛けた後に、デヴィッドが「happy birthday , hosono san」と親しげにつぶやいた。







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2012年7月15日 日曜日 「なみだ」

2012-07-15 21:52:31 | 音楽帳


こんにちでは、土日とセットで3連休という指針の元「海の日」は浮遊する変動する日となった。
老父の生まれは、過去の「海の日」。

ということで、兄夫婦が段取りをしてくれて、昨日は午後・家族一堂集まりお祝いをした。

近時では恒例となった、昔あんなことがあった・こんなことがあった、という話し。
突き抜けた存在たるお袋さんの82歳とは思えない元気な笑いと共に、親父・兄・自分の三人になると、「三ノ輪のあの頃」の真実の吐露が見え隠れする。

それだけ、全員が語れる歳となったのだ。
そう解釈する。

そんな折、自分が過去2回家出をした話しとなった。
あまり自分に焦点が当たる事は少ないのだが。

兄「思えば、当時、そのへんには浮浪者等々が平気で居る環境で、家出したというのはね。」
父「今なら、とうに何かが起きているよ。ガキがその辺を放浪しているんだから。」
父・兄「そういえば、涙を見たことが無い子供だったな。」

自分は意外に思った。
2人が、たまたま泣いている自分の場面を見ていないに過ぎない、とも思ったが、そう2人に映っているのだとすれば、何かがあるのだろう。

兄に言わせれば、平気でやばいエリアに分け入っていく当たりは、その頃の自分は(今の自分と違って)過激だった、というニュアンス。



***



社会人になった後によく言われたことが、お前は冷酷無情という表現。
他人によく言われてきた。

そういう自分でも、こんな40半ばになって、かなり様々な痛い経験を踏んで、歳を経たからこそ、いとうせいこうさんが表現した「経年変化」をして世界も広がり、人格変容もしたと感じてはいるが、昨日の話しを思い出しながら色々想ってみた。

そう想うに、この世の表面に現れていることが所詮は芝居でしかないのを、当時の三ノ輪人がみな見抜いた上での世界も踏まえて。

世界は、不条理・理不尽は当然の世界の中、人が亡くなったり、事件が起き、クライシスが起きる日常茶飯事。

その際に、自分が動く情動は、涙を流すより前に、「決して許さない」という感情。
2000年以降で言えば、欠陥住宅の件などもその一部だが、許しがたい事象へ、暗い情念が燃えるのが先だった。

とはいえ、涙は誰かに見せては居ないのかもしれないが、自分の中では、美しいものやロマンティシズム・心の深い所に到達しうる何かへ涙を流すことは多々である。

NHK教育テレビでやっていた教授(坂本龍一)での、全く新しいアレンジで仕上がった「千のナイフ」、ワールドハピネス2011でのYMO、サンフランシスコ・ライブでのYMO。
映画「グーグーだって猫である」。
まみちゃんのなきがらに出会った場面。

そう語りながら、あまり人に対しての情感が無いのにも気づく。
それは、いまさらであるが。
アートやアーティスト、生き物以外。
敬意を抱かない手合いの「ニンゲン」に涙は流せないのは、あまり幼少と変わらないのかもしれない。

***

2010年の教授のNHK「スコラ」で、イエロー・マジック・オーケストラは、ビートルズの「ハロー・グッバイ」を演奏した。
自分には情動が動く名演奏。

「You say goodbye and I say hello
Hello hello
I don't know why you say goodbye, I say hello
Hello hello
I don't know why you say goodbye, I say hello」

なぜ、自分がハローというのに、キミはサヨナラというのか?
ボクにはわからない。

■イエロー・マジック・オーケストラ 「ハロー・グッバイ」■






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2012年7月14日 土曜日 「7月の上野」

2012-07-14 14:11:26 | 写真日和

今日、今年初めてのエアコンを付けた。

世の中「節電」と叫ばれているが、一般家庭がエアコンを付けないでも、総電力に対する影響力は実は大して無い。
総電力の削減の一助にはならない。
むしろ、外置きから排出される暖気が、街のヒートアイランドを助長する面。
それが、ノラネコたちへ影響することを考えたい。

電力の8割が産業界が占め、残り2割の家庭電力。
そのうち、他の電気機器が発する電力に比較すれば、やっている側の気持ちや気分は良いが、エアコンを切ることのみが節電には直結しない。
捻じ曲げられた流布に基づいて、室内で熱中症にかかり、死んだら元もこも無い。
戦中に、贅沢は敵だ、というスローガンに近いものを感じる。
それを真に受けて死んだ人々を思い出す。

適度に付け・適度に消すこと。
そこに扇風機を絡めて、より滞在する環境の空気温度を効率よく下げる。
それが心身ともに一番良いのだろう。

自分には、「節電」と叫びながら、その一方で、サウナで水をだくだく使うに始まり、観光も含めて、公的場所でエネルギーを消費者気分で使いたい放題の人々への違和感が去らない。

***

昨夜、ビールをたんまり飲んで憤死した割には、9時に起きた。
暑さへの「エコ」には、裸族でパンツ一丁に、うちわ。
これが一番良い。

脳に夏のスイッチが入ったのか?
細野さんの1982年作品「フィルハーモニー」を、エンドレスで聴いている。

■細野晴臣さん 「ホタル」( Liminescent)■


この「ホタル」は、当時のドラマ「北の国から」の蛍ちゃんをイメージして、細野さんは創ったという。




【LDKスタジオ】

***

先週、老父の兄弟が、趣味で描いていた絵が入選したというので、お付き合いで父と上野へ出向いた。
中国から億単位のカネを払って「借りている」パンダで騒ぐのを一瞥し、美術館に向かった。






























館内の方に断りを入れたら、写真撮影は良いと言われて、好きな絵を撮る。

















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2012年7月13日 金曜日 「13日の金曜日」の終了

2012-07-14 00:51:19 | 写真日和




■細野晴臣さん 「メディスン・ミックス(Medicine Mix)」
(1993年「メディスン・コンピレーション」より)■




























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2012年7月11日 水曜日 「なかび」

2012-07-11 23:44:46 | 写真日和
生きていく上で「中日(なかび)」もへったくれも無いのだが。。。。

近時、常々思うこと。

ぐだぐだと、内輪モメを延々と3・11から16ヶ月繰り返し。
それが、そんな程度の破綻国家の有り様そのものだが。

では、今まさに、再度、リアルタイムで有事が起きた際に、初動は如何に?

「あなたがた」は、あたかも「3・11以降」の有り様でくくるが。

それこそが、国防であり、クニのカタチが明らかになる場面だが。。。
そんなことは一寸も考えずに、お庭を追いかけっこする様。
ノーガードで居る、今の方が最近非常に怖い。

























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2012年7月9日 月曜日 そして、また休みが明けて

2012-07-09 22:16:10 | 写真日和
昨日、日曜日。
どれだけぶりだか・・・「サザエさん」を久方ぶりに見た。

どーゆーわけだか。

そこで妙な会話がテーマになっていた。
カツオやマスオさんが「ああ、日曜日も、夕方になると憂鬱だよ」などと言う。

明らかに恣意的な隠喩がここには含まれていた。
世間で「サザエさん症候群」と呼ばれていることを意識して、こんな放送をするまでに「サザエさん」は変化してしまったんだなと思った。

もうすでに、作者である長谷川町子が亡くなって、かなりな年月が経つ。
そして、時代は21世紀・2012年の現在。
人気に衰えはないものの、昭和の家族を描いた「サザエさん」の世界は、とうにSFの世界となっている。

今後、どうやってこの番組を維持・終息していくかに、スタッフは色々と喧々諤々・裏側で議論を重ね・迷走しているのだろう。
そんなニュアンスが見え隠れした。

***

そして、カツオやマスオさんが嘆いたような月曜日を、自分も迎えた。
ユーウツなのは自分だけではない、と思いながらも、ココロもカラダもちぐはぐなまま、そろりそろり・・・と大したことも出来ぬまま終わった。

「ブルー・マンデー」は、何もイアン・カーティスだけのことではない。
統計学上でも、自殺者が月曜日が一番多いのは明らかな事実。
休みから活動への立ち上がりにおかしくなるのは、誰かだけの「症状」ではない。



やることがうまく進まない。
リミットまでの時間が迫り、焦る。
追い詰められたような感に陥る。

まあ、よくあることだが。

そんなただでさえ暗い日に、連動する部署がチョンボし、自分の責任でも無いのに足手まといとなる。
ゾンビに足を掴まれて・溺れて水死しそうになる。
いたたまれない気持ちにもなる。

よく「殺されるわけじゃあないんだから」と言うコトバがある。
だが、なかなかそのコトバだけでは救われない日もある。
今日は、このコトバは、ココロに一撃も響かない。

相田みつをの『にんげんだもの』という詞が、何ら自分の一生に響かないのと同様に。

***

こんな殺伐とした夜。
それでも、訪ねて来られたお客様。
雑然として、ロクなおもてなしも出来ないが。

「今夜は、おかずはな~んも無いけど、お新香とご飯とお茶を上がって行ってくださいな。
ささっ。どうぞ、上がってください。」

「こないだ、日本橋富沢町に行く用事がありましてね。
でも、道に迷ってしまいまして・・・。
小伝馬町やら馬喰町やら横山町やら、うろうろしてしまったんですよ。

そんときの写真でもよろしければ、見てくださいな。
ジュリア・フォーダムの歌う、美しい曲を聴きながら。」

■ジュリア・フォーダム 「ポーセレイン」■






































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2012年7月8日 日曜日 「テクノチウム・リミックス」'02

2012-07-08 15:47:31 | スケッチブック




2002年に、MZ師がベニア板にパステルやクレヨンで書いた「テクノチウム」という絵を写真に撮って、メールでもらった。
その「テクノチウム」という絵を元に画面上でいじくり回して「テクノチウム・リミックス」が出来上がった。
言わば、MZ師との共作。

10年前に描いたものだが、太陽にスペル星人が描かれている。
2012年になって振り返って、こんなものを描いてしまっていたのだなと思う。

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2012年7月7日 土曜日 天空と地

2012-07-07 23:52:35 | 写真日和
今夜は一年に一度だけ、おり姫とひこ星が出会う日。
天候が悪くて、空は人間界からは見えない。
しかし、その雲の上では、二人は出会っているはず。

神道の本を読みつつ、さくりんさんからの影響で細野さんの「源氏物語」を聴きつつ、くもおさんや三ノ輪銀座さんとの会話を通じつつ・・・
我々に大事なのは、即物的なもののみではなくて、想像力を働かせることなのだと、想う夜。

「ユーレイは居ない」と先日言った。その通りで、それはニンゲンが創りだした産物に過ぎない。
ユングのシャドウという概念そのもので、誰かが追ってくる、と恐れていたら、実はそれは自分の影だった。

今まで多くのニンゲンが、想像力が転じて社会と絡み「理念」発生に至り、それが人殺しへと発展するさまを見てきた。

***

ユーレイは別として、神道の本を読みながら、日本人がどうやって見えない存在=神を制御してきたかが見える。
生きていくための農耕、そこに恐怖をもたらす自然の猛威。
日本人にとっての神とは、自然なのだろう。
神社仏閣は、キリスト教世界とは異なり、神が実物として対象化された存在ではなく、見えない何かが「どうかお鎮まりくだされ」という忌避の祈りと化して祈るために存在する。

■細野晴臣さん 「羅城門」 (源氏物語より)■


***

もはや、逆戻り不可能な世界。
時間が不可逆な通り。
0か1かのデジタル、YESorNO。
その道の分かれ目の選択の果てに、カオスたる未来に突入していくのは回避出来ない。

本能壊れた「人間」なる、変な生き物。
その壊れた本能を補完する機能として生まれた想像力。
それを生かすも殺すも人間。

そのハザマで生まれた、人間最大の貢献武器の1つが音楽。
そして、アート。

現実社会がどうあれ、我々は最大の想像力という武器を駆使して、様々なリスキーな場面を回避せねばならない。
意味の無い・大儀の無い自死だけは回避せねばならない。

























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2012年7月6日 金曜日 御茶ノ水~Dynamic CT~神保町(7月2日撮影)

2012-07-07 01:28:58 | 写真日和




















































***

■坂本龍一 「エル・クク・ナンバー1」
(1992年・映画「HIGH HEELS」サウンドトラックより)■



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