エヴァーグリーンなポップス。
永遠にあせることのない音楽。
生きる糧(かて)・術(すべ)としてきた音楽たち。
音楽を聴くときに、自分の中に広がる至福と開放感を救いに生きてきた。
優れた音楽は、時間も空間をも越えた救いとなる事がある。
エセ宗教では救われない自分が・救われる時が、ここには現実に有る。
音楽があったから、生きてこれた。
この曲を聴くと、ついそんな想いになる。
生きていて良かった、と想う瞬間が、た~まにある。
エヴァーグリーンなる一点を目指して、苦労を重ねてきたアーティストたちに、手を合わせ、感謝。
■アラン・パーソンズ・プロジェクト「ドント・アンサー・ミー」
(1984年アルバム「アンモニア・アヴェニューより)■
最近、この曲を聴きたさに、ドトール・コーヒーに入る。
コーヒーとしては、ベローチェやタリーズの方が好きなのだが。
コーヒー・ショップの差別化として、ドトールは、近時、流す音楽を真剣に選ぶことで、居心地の良い空間=コーヒー・ショップを創ることを目指している。
敬愛するボズ・スキャッグスの曲を含めて、なかなかの選曲。
AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)が中心となるが。。。。
そんな中、必ず掛かる曲がこの「ドント・アンサー・ミー」。
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アラン・パーソンズ・プロジェクトに出会ったのは、やはり「クロスオーバー・イレブン」。
アルバム「アイ・ロボット」。
そして、1981年発表された「アイ・イン・ザ・スカイ」。
必死にエア・チェックした、宝物のカセットテープ。
ここで、アラン・パーソンズ・プロジェクトは、一気に自分らのココロを掴んで離さなくなった。
自分が持っているLPレコードは「アイ・イン・ザ・スカイ」のみであるが、時代を追って、彼らの音楽を聴いてきた。
そんな彼らが、土曜日・深夜、小林克也さんの「ベストヒットUSA」や、ピーター・バラカンさんの「ポッパーズMTV」でMTVが流れ、アメリカでも大ヒットした曲が、この「ドント・アンサー・ミー」。
当時も「良い曲やなあ~」と想っていたが、ふいにドトール・コーヒーでハブ噛み師匠と流れるこの曲を聴いて、「懐かしいねえ」と言いながらも、そういうレトロ感覚を越えて、この曲が永遠のモノに昇華していることを確認した。
それでもスイカには一人で食べるイメージがないことと、その日のご馳走の中からあえて登場したところに惹かれる、
好きな写真です^_^
『生きる糧(かて)・術(すべ)』『時間も空間をも越えた救い』なる音楽。
エヴァーグリーンの名の通り、生かし生かされているのでしょうね。
いわゆるクラシックやアンビエント以外でも
好きな音楽であればアルファ波・シータ波が出ると聞いたことがありますが、
本当であれば実際に細胞が活性化されているのかもしれませんね。
今の職場はありがたいことに月に2~3日ほど一人体制の勤務があるので
便利なYou Tubeをかけっ放しにしたり、逆に自然の音だけにして(電話が邪魔ですが)
雑音からリセットする時間としています。
夏のエヴァーグリーンもたくさんありますが、今の時期はドゥルッティ・コラムが長居してもらうひとり。
「Lips That Would Kiss」「Favourite Painting」は言わずもがな、
「Requiem Again」「Sketch For Summer」(これには「Sketch For Winter」という冬の愉しみも…)
この先も、生きている限りはきっとずっと変わらない、こんな曲選びと、少しの友人との少しずつの共有。
悪くないですね。
不健康でなかなか水々しい果物をクチにしない、っちゅうのはあきまへんなあ。
音にはルール、規則性が無い。
それを高校時代~素浪人時代に嫌というほど痛感しました。
細胞が日々変わっていくように、環境も風景も変わっていくのに敏感過ぎた精神衰弱の頃。
ある日のある時には、良く響いたはずの曲が、TPOががらりと変わるとダメになる。
たぶん、ほんまもののキチガイだったのかもしれません。
当時、ドゥルティ・コラムの「フェイバリット・ペインティング」は、夏エアコンを付けた部屋で、青い空に白い入道雲がある土曜日午後のシーンでしか聴いてはいけない。
そう決めないと、自分の胎内と同期化がはかれませんでした。
そんな繊細では生きてはいけない。
胃潰瘍で入院・退院後も、常なる胃痛と付き合いながら、自分でその細かい神経を潰すことを試み、実現し、今があります。
紆余曲折の上で、今更戻りようもないし、戻る気もないですが、それが正解だったか否かなど、もうどうでもいい地点です。
もはや、胃をすぐ痛める繊細さは失いましたが、今ではドゥルティ・コラムを心地良く聴けるTPOの範囲は大幅に広くなりました。