こんにちでは、土日とセットで3連休という指針の元「海の日」は浮遊する変動する日となった。
老父の生まれは、過去の「海の日」。
ということで、兄夫婦が段取りをしてくれて、昨日は午後・家族一堂集まりお祝いをした。
近時では恒例となった、昔あんなことがあった・こんなことがあった、という話し。
突き抜けた存在たるお袋さんの82歳とは思えない元気な笑いと共に、親父・兄・自分の三人になると、「三ノ輪のあの頃」の真実の吐露が見え隠れする。
それだけ、全員が語れる歳となったのだ。
そう解釈する。
そんな折、自分が過去2回家出をした話しとなった。
あまり自分に焦点が当たる事は少ないのだが。
兄「思えば、当時、そのへんには浮浪者等々が平気で居る環境で、家出したというのはね。」
父「今なら、とうに何かが起きているよ。ガキがその辺を放浪しているんだから。」
父・兄「そういえば、涙を見たことが無い子供だったな。」
自分は意外に思った。
2人が、たまたま泣いている自分の場面を見ていないに過ぎない、とも思ったが、そう2人に映っているのだとすれば、何かがあるのだろう。
兄に言わせれば、平気でやばいエリアに分け入っていく当たりは、その頃の自分は(今の自分と違って)過激だった、というニュアンス。
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社会人になった後によく言われたことが、お前は冷酷無情という表現。
他人によく言われてきた。
そういう自分でも、こんな40半ばになって、かなり様々な痛い経験を踏んで、歳を経たからこそ、いとうせいこうさんが表現した「経年変化」をして世界も広がり、人格変容もしたと感じてはいるが、昨日の話しを思い出しながら色々想ってみた。
そう想うに、この世の表面に現れていることが所詮は芝居でしかないのを、当時の三ノ輪人がみな見抜いた上での世界も踏まえて。
世界は、不条理・理不尽は当然の世界の中、人が亡くなったり、事件が起き、クライシスが起きる日常茶飯事。
その際に、自分が動く情動は、涙を流すより前に、「決して許さない」という感情。
2000年以降で言えば、欠陥住宅の件などもその一部だが、許しがたい事象へ、暗い情念が燃えるのが先だった。
とはいえ、涙は誰かに見せては居ないのかもしれないが、自分の中では、美しいものやロマンティシズム・心の深い所に到達しうる何かへ涙を流すことは多々である。
NHK教育テレビでやっていた教授(坂本龍一)での、全く新しいアレンジで仕上がった「千のナイフ」、ワールドハピネス2011でのYMO、サンフランシスコ・ライブでのYMO。
映画「グーグーだって猫である」。
まみちゃんのなきがらに出会った場面。
そう語りながら、あまり人に対しての情感が無いのにも気づく。
それは、いまさらであるが。
アートやアーティスト、生き物以外。
敬意を抱かない手合いの「ニンゲン」に涙は流せないのは、あまり幼少と変わらないのかもしれない。
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2010年の教授のNHK「スコラ」で、イエロー・マジック・オーケストラは、ビートルズの「ハロー・グッバイ」を演奏した。
自分には情動が動く名演奏。
「You say goodbye and I say hello
Hello hello
I don't know why you say goodbye, I say hello
Hello hello
I don't know why you say goodbye, I say hello」
なぜ、自分がハローというのに、キミはサヨナラというのか?
ボクにはわからない。
■イエロー・マジック・オーケストラ 「ハロー・グッバイ」■