昨日、日曜日。
どれだけぶりだか・・・「サザエさん」を久方ぶりに見た。
どーゆーわけだか。
そこで妙な会話がテーマになっていた。
カツオやマスオさんが「ああ、日曜日も、夕方になると憂鬱だよ」などと言う。
明らかに恣意的な隠喩がここには含まれていた。
世間で「サザエさん症候群」と呼ばれていることを意識して、こんな放送をするまでに「サザエさん」は変化してしまったんだなと思った。
もうすでに、作者である長谷川町子が亡くなって、かなりな年月が経つ。
そして、時代は21世紀・2012年の現在。
人気に衰えはないものの、昭和の家族を描いた「サザエさん」の世界は、とうにSFの世界となっている。
今後、どうやってこの番組を維持・終息していくかに、スタッフは色々と喧々諤々・裏側で議論を重ね・迷走しているのだろう。
そんなニュアンスが見え隠れした。
***
そして、カツオやマスオさんが嘆いたような月曜日を、自分も迎えた。
ユーウツなのは自分だけではない、と思いながらも、ココロもカラダもちぐはぐなまま、そろりそろり・・・と大したことも出来ぬまま終わった。
「ブルー・マンデー」は、何もイアン・カーティスだけのことではない。
統計学上でも、自殺者が月曜日が一番多いのは明らかな事実。
休みから活動への立ち上がりにおかしくなるのは、誰かだけの「症状」ではない。
やることがうまく進まない。
リミットまでの時間が迫り、焦る。
追い詰められたような感に陥る。
まあ、よくあることだが。
そんなただでさえ暗い日に、連動する部署がチョンボし、自分の責任でも無いのに足手まといとなる。
ゾンビに足を掴まれて・溺れて水死しそうになる。
いたたまれない気持ちにもなる。
よく「殺されるわけじゃあないんだから」と言うコトバがある。
だが、なかなかそのコトバだけでは救われない日もある。
今日は、このコトバは、ココロに一撃も響かない。
相田みつをの『にんげんだもの』という詞が、何ら自分の一生に響かないのと同様に。
***
こんな殺伐とした夜。
それでも、訪ねて来られたお客様。
雑然として、ロクなおもてなしも出来ないが。
「今夜は、おかずはな~んも無いけど、お新香とご飯とお茶を上がって行ってくださいな。
ささっ。どうぞ、上がってください。」
「こないだ、日本橋富沢町に行く用事がありましてね。
でも、道に迷ってしまいまして・・・。
小伝馬町やら馬喰町やら横山町やら、うろうろしてしまったんですよ。
そんときの写真でもよろしければ、見てくださいな。
ジュリア・フォーダムの歌う、美しい曲を聴きながら。」
■ジュリア・フォーダム 「ポーセレイン」■
どれだけぶりだか・・・「サザエさん」を久方ぶりに見た。
どーゆーわけだか。
そこで妙な会話がテーマになっていた。
カツオやマスオさんが「ああ、日曜日も、夕方になると憂鬱だよ」などと言う。
明らかに恣意的な隠喩がここには含まれていた。
世間で「サザエさん症候群」と呼ばれていることを意識して、こんな放送をするまでに「サザエさん」は変化してしまったんだなと思った。
もうすでに、作者である長谷川町子が亡くなって、かなりな年月が経つ。
そして、時代は21世紀・2012年の現在。
人気に衰えはないものの、昭和の家族を描いた「サザエさん」の世界は、とうにSFの世界となっている。
今後、どうやってこの番組を維持・終息していくかに、スタッフは色々と喧々諤々・裏側で議論を重ね・迷走しているのだろう。
そんなニュアンスが見え隠れした。
***
そして、カツオやマスオさんが嘆いたような月曜日を、自分も迎えた。
ユーウツなのは自分だけではない、と思いながらも、ココロもカラダもちぐはぐなまま、そろりそろり・・・と大したことも出来ぬまま終わった。
「ブルー・マンデー」は、何もイアン・カーティスだけのことではない。
統計学上でも、自殺者が月曜日が一番多いのは明らかな事実。
休みから活動への立ち上がりにおかしくなるのは、誰かだけの「症状」ではない。
やることがうまく進まない。
リミットまでの時間が迫り、焦る。
追い詰められたような感に陥る。
まあ、よくあることだが。
そんなただでさえ暗い日に、連動する部署がチョンボし、自分の責任でも無いのに足手まといとなる。
ゾンビに足を掴まれて・溺れて水死しそうになる。
いたたまれない気持ちにもなる。
よく「殺されるわけじゃあないんだから」と言うコトバがある。
だが、なかなかそのコトバだけでは救われない日もある。
今日は、このコトバは、ココロに一撃も響かない。
相田みつをの『にんげんだもの』という詞が、何ら自分の一生に響かないのと同様に。
***
こんな殺伐とした夜。
それでも、訪ねて来られたお客様。
雑然として、ロクなおもてなしも出来ないが。
「今夜は、おかずはな~んも無いけど、お新香とご飯とお茶を上がって行ってくださいな。
ささっ。どうぞ、上がってください。」
「こないだ、日本橋富沢町に行く用事がありましてね。
でも、道に迷ってしまいまして・・・。
小伝馬町やら馬喰町やら横山町やら、うろうろしてしまったんですよ。
そんときの写真でもよろしければ、見てくださいな。
ジュリア・フォーダムの歌う、美しい曲を聴きながら。」
■ジュリア・フォーダム 「ポーセレイン」■
『おかずはな~んも無いけど、お新香とご飯とお茶を上がって行ってくださいな。』
お言葉に甘えて、私は図々しくお茶漬けにしていただいています(笑)。
最近は、かたちんばさんの写真や言葉にも音楽を合わせるのがひそかな愉しみ。
今日はため息まじりの話題を、かえってあっけらかんと招いていただいたこの不思議な空間に、
ウルリッヒ・シュナウスの「In all the wrong places」を。
wrongとは否定的な単語だと認識していますが、こんなにも光を感じる曲なのはなぜなのか。
wrong places とはどこなのか。
分からないなりに、裏の・ねじれたという意味を「外側」と解釈しました。
それであれば、世界の淵=外側を歩くかたちんばさんにいかがかしら、とひとり自己満足しています。
あと何時間後かになるのでしょうが、今日もお疲れ様でした。
まみちゃんのように。
小学校になると、海辺であばらが浮いたガリガリ君の写真。
そういう自分は、若年寄で、あんまりゴチソウには興味が無くて、お茶・漬物・塩昆布などが好物の子供でした。
今でも、たいして変わらないかな?(笑)
いまや電子レンジなんてものがありますが、昔は冷めたら冷や飯。
お茶漬けとは、そういうときならではのアイデアでしたね。
お茶漬けは、未だに、ごうせいなゴチソウよりもゴチソウです。
世界の辺境を歩く、というのは、その通りかもしれませんね。
道の真ん中を堂々と歩いている奴に、ロクな奴は居ない。。。。
ようく、そんなことを言っていた時期がありました。
ちまちましたおフランス料理を、ご大層にナイフとフォークで人が食べる様は、未だに滑稽でわらってしまいます。
そんな馬鹿高いものよりも、身近で素のままの基本食を楽しめない人とは、永遠に友達にはなれないんでしょうね。
持って産まれたサガは、変わらんものです。
また、対話せざるをえない相手側に「相田みつをがすきなんですよお」と、同調を求められる。
さらには、親切心から「相田みつを」のカレンダーを贈られたりする。
あたかも「相田みつを」とは新興宗教?
と思ったりもする。
そんな風潮に囲まれて過ごすのは、辟易とします。
伊集院光さんのかつてあったコーナー「だめにんげんだもの」の方が、自分のココロには響きます。
お茶に漬物に塩昆布…(新日本紀行など見つつ、でしょうか)若年寄、おつじゃないですか。
子どもの頃、どんなに好きなおかずの晩であっても、
遅く帰ってきた父にだけ出されるお茶漬けが、何とも美味しそうでした。
自分で自由にお茶漬けを作れるようになると、何を乗せようかもうわくわく(^_^)
同じように父の居ない日、母とばあちゃんの休息究極メニューとして出された
「うどんに玉子とお醤油」
讃岐うどんの「釜玉うどん」などで今でこそ市民権を得た食べ方ですが…
好きなテレビを見せてもらいながら(ポイントはこちらかもしれませんね、笑)、3人でどんぶりを箸でぐるぐるする幸せな時間でした。
今はねぎやおかかを加えて、グレードアップさせています(笑)
書いていて思いましたが、かたちんばさんのパスタがいつも美味しそうに見えるのは、このうどんの刷り込みがあるからかもしれません。
我が家がとても裕福とは言えなかったのもありますが、
ごちそうとは知恵、工夫であったり発見であったり、何の変哲もないものが魅せる化学反応を知っていることだと思います。
* * * * *
今回の写真の流れはまた、不思議なアトモスフィアですね。
頭の中では…ヴァージニア・アストレイ「A Summer Long Since Passed」がかかります。
万華鏡の中のような七夕飾り。
タリーズのカップ。
先日のビールの缶にも思いましたが、容器の柄だけで季節感が味わえるものですね。
(もっとも、版下を替える過程で莫大な経費なのでしょうが。)
指が被った写真が挟み込まれているのが、好きな空間です。
バラの上の写真は…人によって様々に見えるのでしょうね。
「なかび」も過ぎて、折り返しました。
ゴールが見えると途端に遠退くのですが、荷を降ろせる週末を目指して。
そうつくづく思うまっくらけの夜の寝床です。
さくりんさんの家父長の話は、自分らより前世代には共有されやすい場面かもしれません。
所ジョージさんが、昔話していた会話を想い出しました。
親父さんが「さきいか」を食べていて、そこに手を伸ばしたら、手を叩かれ「馬鹿!これはコドモが喰うもんじゃない。オトナの喰うものだ。」
それで、オトナになったら、大量のさきいかを買って、口一杯に頬張って食べた。。。というお話し。
うどんに玉子、ようくわかります。
四国の出身のヒトには、さまざまな場面で交流してきましたが、うどんを愛している人が多いですね。
「これは、四国のうどんに近い」「遠い」
へええ~と言いながら、一緒に食べる。
確かに、お蕎麦にウンチクを語る人は多いが、うどんは少なかったかもしれません。
近時、いろんなうどんのお店が出来て、語れる場が多くなったのは事実でしょう。
男子校の仲間で唯一交流のある人の実家は、手作りのうどん屋さんでした。
彼は、一度企業に勤めましたが、親父さんの後を継ぎ。。。
その後、景気と共にお店を閉じ。。。
今は、店を渡り歩く職人さんです。
彼の腕の太さ。
食の仕事は体力勝負。。。と彼のことを思い出す度に、そう改めて思います。
まあ、実は、ホワイトカラーも同じ。
仕事はいろいろあれども、続けることにおいては、体力勝負なのだと思います。
ということで、老体は寝ます。