師走。
この言葉の元は説が様々あって、どれが正解かは不明らしいが、自分が学校で教えられたのは「師ですら走る時期なのだ」なるもの。
そう思い込んで、今を向かえているが、師とは無縁な自分も走っている。
脳内メーカーでは無いが、2011年師走段階の自分の脳の中を覗くと、仕事・ドラマ「カーネーション」・キングクリムソンでほぼ構成されているようである。
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自分の脳内は、ある種の変化を起こしているようである。
大きく位置している「仕事」。
そこで「今」を乗り切るために、日々・時々刻々を生きる中での変化としては、何が起きているか?
思うに、それぞれの部署部門が関係し合う中で進みながら、当然、ボトルネックがサプライチェーン上には発生する。
その際に、最近心に思うことは・・・
・相撲で言う「張り手」技一本でコトが済むならば、誰も苦労はしない
対立構造を作らせて突破するワザは自分は持ち合わせていない
・関係し合う仲に、火を焚き付けても(それで好転するなら放火するが)意味が無い
・犯人探しをして、犯人をさらし者にしても、進展が望めるケースは少ない
特に急場をしのぐには、そんなヒマはない、後で総括すればいい
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えらそうな事を言えるような「師」では無いやさぐれ者・かたちんばであるから、極めて低脳だが、低脳なりに「今」を生きている。
仕事上、それぞれの部署部門のハザマに立って見る一望の中で、媒介役として努めているのが、急場に大きな飛躍的ジャンプという絵空事の解決が望めないならば、コトを一歩でも前に進めることだけを考えること。
対話と交渉の中で、確認と追跡を繰り返しながら、ぎりぎりのラインまでの双方の協業を進めること。
そのことでの協調と一歩でも前へと好転させること。
但し、その際に、相手として誰を選ぶか?は大事。
本来は、該当する担当が相手となるべきだが、その人が「のれんに腕押し」「馬耳東風」ならば相手としては不適格。
そういう場合は、近くの代理人になりうる存在を見つけて、あくまで冷静にバックしないようにだけ対話を続ける。
あるデッドラインぎりぎりまで、チェーンの糸が切れないように、日々確認連携をしぶとく続けるしか方法は無いと、今の自分は思っている。
ジャンプするだけの能力が無い低脳は、低脳なりにその果てに一歩でもコトが進む匂いのある方向へと航行していくだけ。
2011年師走もあと半月。
デッドラインを割ってしまえば、決裂と破綻のみ。
これは祈りでは無い現実。そして持つ方法・手法は稚拙であろうし、画期的でも何でも無いし、カッコヨクも無い。無様で結構。
それでも、山椒魚なりに水面下に潜みながら、歩を進めることが出来れば。。。その一念しかない。