こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年12月14日 水曜日 山椒魚の夜間飛行 とある拾壱夜 - slow method of progression -

2011-12-14 21:51:51 | 雑記帳


師走。
この言葉の元は説が様々あって、どれが正解かは不明らしいが、自分が学校で教えられたのは「師ですら走る時期なのだ」なるもの。
そう思い込んで、今を向かえているが、師とは無縁な自分も走っている。

脳内メーカーでは無いが、2011年師走段階の自分の脳の中を覗くと、仕事・ドラマ「カーネーション」・キングクリムソンでほぼ構成されているようである。

***

自分の脳内は、ある種の変化を起こしているようである。

大きく位置している「仕事」。
そこで「今」を乗り切るために、日々・時々刻々を生きる中での変化としては、何が起きているか?

思うに、それぞれの部署部門が関係し合う中で進みながら、当然、ボトルネックがサプライチェーン上には発生する。
その際に、最近心に思うことは・・・

・相撲で言う「張り手」技一本でコトが済むならば、誰も苦労はしない
対立構造を作らせて突破するワザは自分は持ち合わせていない

・関係し合う仲に、火を焚き付けても(それで好転するなら放火するが)意味が無い

・犯人探しをして、犯人をさらし者にしても、進展が望めるケースは少ない
特に急場をしのぐには、そんなヒマはない、後で総括すればいい

***

えらそうな事を言えるような「師」では無いやさぐれ者・かたちんばであるから、極めて低脳だが、低脳なりに「今」を生きている。

仕事上、それぞれの部署部門のハザマに立って見る一望の中で、媒介役として努めているのが、急場に大きな飛躍的ジャンプという絵空事の解決が望めないならば、コトを一歩でも前に進めることだけを考えること。
対話と交渉の中で、確認と追跡を繰り返しながら、ぎりぎりのラインまでの双方の協業を進めること。
そのことでの協調と一歩でも前へと好転させること。

但し、その際に、相手として誰を選ぶか?は大事。
本来は、該当する担当が相手となるべきだが、その人が「のれんに腕押し」「馬耳東風」ならば相手としては不適格。
そういう場合は、近くの代理人になりうる存在を見つけて、あくまで冷静にバックしないようにだけ対話を続ける。
あるデッドラインぎりぎりまで、チェーンの糸が切れないように、日々確認連携をしぶとく続けるしか方法は無いと、今の自分は思っている。

ジャンプするだけの能力が無い低脳は、低脳なりにその果てに一歩でもコトが進む匂いのある方向へと航行していくだけ。

2011年師走もあと半月。
デッドラインを割ってしまえば、決裂と破綻のみ。
これは祈りでは無い現実。そして持つ方法・手法は稚拙であろうし、画期的でも何でも無いし、カッコヨクも無い。無様で結構。

それでも、山椒魚なりに水面下に潜みながら、歩を進めることが出来れば。。。その一念しかない。
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2011年12月10日 土曜日 山椒魚の夜間飛行 とある拾夜 - ピンク・フロイドへの追憶 -

2011-12-10 18:58:32 | 想い出かたちんば
ピンク・フロイドを初めて知ったのは、中学1年生・12歳、1979年のことだった。

小学生から中学の制服生活に変わる中、人間自体が大きく変化するさまに驚きとショックを隠せぬまま・・・
「帰宅部」だった自分が、毎週土曜日通りで七輪で魚を焼く三ノ輪の風景に戻りつつ、FM東京のラジオ「ポップス・ベスト10」を聞いていた。
そこでトップ10に入った、2枚組アルバム「ザ・ウォール」からのシングルカット「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」。


その後、洋楽LPレコードの再発とか、TDKやマクセルのカセットテープなどのプレゼントでLPレコードが抽選で当たる企画のパンフレットで、過去のピンク・フロイドのアルバムジャケットをよく眺めていた。
当時は、とにかく情報が少なくて、小さい写真でも貴重なものだった。
時代を象徴した工場の煙突に向かって動物たちが飛んでいく「アニマルズ」・・・・。

中学2年生になって、歌詞レコード屋さんでレコードを借りてはカセットテープに録音したシリーズがたんまりある、大して仲が良い訳ではない同級生の家に行って、色んな音楽を聴かせてもらった。
その中の1つにピンク・フロイドもあった。

唯一の兄弟の6つ上の兄とは年の差=精神の差もあり、いがみ合っていたが、それが寄り添うように歩み寄ったのが1981年・中学3年生の夏以降だった。
1981年夏に、親の事情で生まれ育った三ノ輪から引き離され、当時まだこうもりが飛ぶ異国の地=「だ」埼玉に転居させられた。
周囲に知る人も居らず、いなかの地にぼうぜんとしつつ、孤独を深めていった。
そんなさなか、受験生は、兄に勉強を教わる・・・と言っては、夜な夜な時間を取って指針を乞うようになるなか、話しは次第に勉強から音楽の話になっていった。
そういう夜が続いた。

そこで、イーノの一連アルバム、過去のボウイやロキシーのアルバム、そして、ピンク・フロイドの「狂気(ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン)」を借りて聴くことが出来たのだった。
YMOとニューウエイヴ中心の自分の音楽世界から、次第に色んな広がりが生まれていった。

兄は、それとは別にお手製のセレクションカセットを作ってくれた。
ツェッペリン、イエス、キング・クリムソン、EL&P、そして、ピンク・フロイドなどの入ったカセットテープ。
そこに納められたA面1曲目の「ウエルカム・トゥ・ザ・マシーン」。
この曲は、その当時よりも、次第に刻を経るごとに、自分の身に迫ってきた名曲である。

90年代にジ・オーブがこの曲をリミックスしていたが、フロイドというのはそういったムーヴメントの主役にも影響を及ぼしていた。

1981年の当時、「時空の舞踏」なるフロイドのベスト盤が出て購入した。
ここには、「ウエルカム・トゥ・ザ・マシーン」は入っていないが、「狂ったダイヤモンド」という曲が大好きになった。
ポップスバンドでもあるまいに、ピンク・フロイドに「ベスト盤?」というのも、笑われるような事態だが、この時期にはレコード会社側の単なる戦略で、ブロンディだのなんだの・・・多くのベスト盤がぞくぞくと発売された。

ちなみに「時空の舞踏」に収録された曲は以下の通り。

A面
1-吹けよ風、呼べよ嵐
2-マネー
3-シープ
B面
1-狂ったダイヤモンド
2-あなたがここにいてほしい
3-アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール

この後「炎~あなたがここにいてほしい」を聴くことになる。「ウエルカム・トゥ・ザ・マシーン」「狂ったダイヤモンド」「あなたがここにいてほしい」と・・・全てが入っていることも「えらい」ことだが、ジャケットの写真にかなりなショックを覚えたのは事実だった。

・・・・そんなときから相当の「タイム」を経て、ネット時代になって初めて「ウエルカム・トゥ・ザ・マシーン」にMTVが存在していたことを知るが、この曲の重さとMTVなる存在の不一致が実に奇妙かつ不気味である。

■pink floyd 「welcome to the machine」■


PS:今夜の不気味な月夜。

最近、月と雲の姿がおかしい。体内感覚としておかしく感じる。
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2011年12月8日 木曜日 山椒魚の夜間飛行 とある玖夜 - 2000年以降のクリムソン -

2011-12-08 22:13:06 | 音楽帳
近時のロバート・フリップせんせい、及び、キング・クリムソンに詳しくなかった。
よくアルバムが出されているのを目にはしたものの。
ただ「スラック」は偶然、兄がお袋さんにCDをプレゼントした御陰で聴く機会に恵まれ、借りて聴いて「おお、カッコイイなあ」と思っていたものの・・・。


幼い頃「入ったらダメだ」と言われたカギを締めた兄の部屋のたてつけの悪いドアの隙間から部屋を覗くと、真正面に、キング・クリムソンのファーストアルバムのレコードジャケットが立てかけてあり、幼少の弟は「これはえらいことだ。とんでもない世界に、あの人は逝ってしまっている。」と、こちらも目を見開いたことがあった。


そういう世代、先輩から見れば、自分は80年代の「ディシプリン」でキング・クリムソンに出会い、そこから追体験の形で過去のクリムソンを確認してきた世代であり「お前にクリムソンを語られたくない」だろう。

ただ、YOUTUBEの御陰で2000年に出た「Construcktion of Light」を聴く機会にぶち当たった。
自分の中には「キング・クリムソン」という想いは無くて、ただギタリストとして敬意を抱くロバート・フリップとエイドリアン・ブリューの音が大好きで、そういう意識で聴いていたが、これまた「えらくカッコイイ」と思ってしまった。


この「Construcktion of Light」は中古CDショップで出会いながらも、悩んだ挙句に「やっぱりやめておこう」と買わなかったアルバム。
しかし、買うべきだった。
このアルバムをめぐっては、クリムソン世代・私のような中間世代・新世代、それぞれ色々言い分があるだろうが、軟弱者の自分は、単純に音だけを聴いて「カッコイイ」で済ませたい。
今までの変遷において・・・いろいろなそれぞれの見方・異論反論はあってしかるべき。
音楽が好きな人だからこそ、そういうものがあるはず。

しかし、今の自分は、音だけを聴いて終わりたい。
特に「ヘヴン&アース」という曲が気に入った。
今度、アルバムを買おうと思う。

■King Crimson 「Heaven and Earth」■
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2011年12月7日 水曜日 山椒魚の夜間飛行 とある捌夜 - アフロディテス・チャイルド -

2011-12-07 22:27:18 | 音楽帳
ついプログレッシヴ・ロックというとキング・クリムソン、イエス、ピンク・フロイドという大御所を思い出すが、そういうところ以外にも多様な音楽がある。

自分がアフロディテス・チャイルドに出会ったのは、80年か81年の冬のFMラジオ。土曜日の夜中1:00-3:00。
ユーロピアン・ロックの特集をするとのことだった。
そこで、自分が知らない過去の音楽を知る。
まだピーター・ゲイブリエルが仕切っていた頃のジェネシス、スティーヴ・ウィンウッドが所属していたトラフィック、そして過去のピンク・フロイド、なぜか間にブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポーツ」などなど・・・不可思議な番組構成だった。(冬の深夜のイーノが、実に不気味だった)
そんな中に、ヴァンゲリスが居たアフロディテス・チャイルドが入っていた。
「666」というアルバムの中の曲。


「666」を聴くと、実に現代の音楽のほとんどが、全然取り組みが甘くてチンケに見える。
特に日本は、何一つ革新的な音楽を生み出していないようにさえ思えてしまう。

今夜は、このアルバムに入っている「ラウド・ラウド・ラウド」を聴く。
ラウドと言うとうるさいイメージが浮かぶかもしれないが、その真逆の曲。

■Aphrodite's Child 「Loud, Loud, Loud」■

・・・と一曲のみ出すと誤解を生むので、もう一曲。今度は、躍動的でカッコイイ曲「バビロン」。
実はこれでも不足している。縦横無尽の世界は、ユーロ、プログレッシヴ・・という世間の呼称などはどうでも・・・
中近東の世界やアヴァンギャルドまで包括したふくらみを持つ。

■Aphrodite's Child 「Babylon」■
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2011年12月5日 月曜日 山椒魚の夜間飛行 とある漆夜 - アモン・デュール周辺 -

2011-12-05 22:29:42 | 音楽帳
80年代の始めに、ジャーマンやイタリーなどのユーロ・ロックのレコード再発が続いた。
雑誌の白黒のページを穴が開くほどに眺めて、中身の音楽を想像した。
LPレコードは正規に買えば2,500円(その後値上げで2,800円)のところ、2,000円での再発だった。
当時のおこづかいが月3,000円。
いかにレコードというものが高価だったかが分かる。

そんな中、せっせせっせといそしむのはラジオでのエア・チェック。
しかし、なかなか、FMラジオでもかからないものばかり。
そこに現れた貸しレコード屋さん。有名だったのは「友&愛」だったが、あるレコードは底の浅いものばかり・・
そして・・・1981年に神保町に出現したのがジャニスだった。
ジャニスの出現は、当時革新的だった。

でも、ユーロ・ロックも結局のところは、アフロディテス・チャイルドやタンジェリン・ドリームの過去の作品、それにエドガー・フローゼやピーター・バウマン、クラウス・シュルツのソロ、カンやブライアン・イーノと繋がりある音楽には傾倒して聴けたものの、それ以外のものは聴けずじまいだった。
近時、やっと当時聴くことが叶わなかったものを聴いている次第。
それは、24時間を費やしても追いつかない80年代ニューウェイヴの隆盛のせいでもあり、自分の耳の狭さでもあった。


昨年出会ったポポル・ヴーの素晴らしさに続いて、最近はアモン・デュールを聴いている。
そんな中、偶然ネットで出会ったHaboobというユニット。
アモン・デュールの一員だったジミー・ジャクソンという人が作った1971年の作品という。
「イスラフィル(Israfil)」という曲がなかなか良いので、紹介する。

■Haboob 「Israfil」■


追い詰められたら、自分を逃がすこと
違う場所にそらすこと

生き詰まったら、そこからクラゲのようにふらふらと回遊し、適当に移動すること
リゾームを志向すること
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2011年12月4日 日曜日 かたちんば徒然日記

2011-12-04 14:49:56 | 写真日和

ちょっと分かりづらいですが、ドラマ「カーネーション」の冒頭のミシンと人形たちの映像。ドリーミーです。

■・・・その一方で

「さあ、皆さん、ご覧あれ。
夏に引きつづいて、冬の節電キャンペーンを始めますよ〜。
節電する理由?
さあ、どうなんですかねえ。ようく分かりませんが、とにかく節電・省エネがブームなんですよ。
そこに一緒に乗っかりましょうよお。
理由なんかどうだっていいじゃないですか。
そんな雰囲気なんですよ、世の中。
そんな事言っていたら、世の中に乗り遅れて、はぶんちょになってしまいますよ。
それでも、いいんですか?
嫌でしょ?

さあさあ、冬の節電グッズをたんまり買って!買ってえ!
ブームに乗り遅れないように〜。」

***

次第に寒くなる夜が増えた。
コートを着てはいるが、それでも頚椎ヘルニアが痛む。
鎮痛剤を飲み、手でマッサージなどもしてはいるのだが。
すぐ痛みは戻るものの、こんな夜には、入浴剤を入れたお風呂にゆったり入る時間が幸福。

寒い夜には、つい喫茶店に入ってしまう。
いつものアメリカンで体を温める。最近好きなのが、ヴェローチェのアメリカンにキャラメルシロップをたんまり入れて、溶かして飲むこと。
甘さと匂いの良さが、より幸福感を生む。


■12月2日の写真

午後、順天堂病院に行った際の歩いた御茶ノ水、須田町。


















師走がおとずれ、季節は次第に秋から冬へと移ろいゆく。
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2011年12月2日 金曜日 一筋の希望 - ドラマ「カーネーション」 -

2011-12-02 23:31:52 | スケッチブック
地上波テレビを見ない、NHKはうんぬんかんぬん・・・そう言いながら。

NHKの持つある部分の力は理解しつつも、公共放送・受信料必須という姿勢に反感を抱く一方。
ただ、両親が次第に八十代を迎える中、実家でたまたま見た朝の連続ドラマ。

十月から始まった「カーネーション」。
それに惹かれてやまなかった。
これには、お金を払っても良いと思っている。


一体、なんなのだろう。この気持ち。

***

昨年「ゲゲゲの女房」にお袋さんがハマり、毎日、BS・地上波朝、昼と三回視る中、家族で集まった際に、兄がお袋さんへの贈り物に、総集編をDVDに収めてプレゼントした。
それを五人で囲みながら見た日。
水木しげるの実話を題材にしたドラマ。

自分が、かつて営業していた武蔵野の自然と匂い残る調布。
実家の中は、ゲゲゲの鬼太郎のグッズであふれかえっていた。

***

そして、今回の「カーネーション」は、コシノジュンコら妖怪ベム三姉妹、ではなく、その産みの母の苦労を描いた大正から昭和への岸和田が舞台。
その母を演じるは、「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子。
彼女の芝居は、別段上手では無いし、決して美人ではないのだが、三十にも関わらず初々しさの残る好感を持つ雰囲気を湛えている。
時にユーモラスに、時には可愛く・美しい。

周囲を囲む人々と小さな街のざわめきへの温かみ。


自分が大阪時代の五年のうちの最後の五年目は、それまでコテコテの大阪市内の渦に居た所から一変して、南大阪地区、つまり堺市から細長く下る岬町までの広範囲の営業エリアへと移された。
それはまたもや未知の世界であったが、四年目に結婚破局・大失恋と阪神淡路大震災を経験した自分には、今思えば何の導きか?分からないが、あえて想い出多き市内から引き離した。
そこで出会った自然や風景、市内とは異なった人々の異なった暮らしと言葉と世界に惹かれた。
ずいぶんとぶきっちょだけども、今思えば優しい人々との出会いがあった。
まるで開拓者の如く営業車を縦横に走らせながら、PLの塔が見える場所で風景に浸ったり、海岸線で海を見たり・・・。
そんな中で偶然、岸和田の無骨な織り元の社長と偶然の出会いをして「お店を出したい」という希望を二十代の自分が聞き、一緒に悩み・設計士でも無いのにお店のパース・絵を描き・店員に育つ同世代の人に自分なりの知る知識を教えながら、数箇月を経て、そのお店はオープンした。
まるで自分の店のように喜び、写真を撮り、自然と自分の仕事の商品も沢山売れた。

四年目の絶望は心の底に大きなキズを残していたが、それでも救いがあった。
そういう流れが、まさか一年で終わり、東京に戻らねばならないとは、その時には思いもしなかった。
社長の行く岸和田の海沿いの小料理屋で、よくほかの協力会社の営業仲間と漁で上がったシャコや刺身をたんまりごちそうになった。
大酒をくらい・沸かした湯であげたてのシャコをみんなでハサミを入れながら食べた記憶。
(今では御法度だが)酔いながら、梅田近くのマンションまでたらたらと運転をして帰った夜の路。

***

朝の連続ドラマというのは、よく(兄曰く)学芸会みたいなもの・・
その程度の芝居なのかもしれない。
また、昭和の過去からやめる訳にも行かずに続いている面がある。

ただ「ゲゲゲの女房」が大ヒットを飛ばして、「まさかの」水木しげるブームとなったように、また、実家では再度「カーネーション」ブームが起きたように・・
これらは、過去あったものをなで返しているだけのものとも違うように思える。

個人的な体験・経験で惹かれているのは当然だが、どうやらそれだけではない。

映画「三丁目の夕日」がヒットしたように、行き先に希望が見えない「今」という時代に、ゲゲゲの女房もカーネーションも似たような「過去の」暗い時代や苦労や貧しさがあるにも関わらず、その先にほんのりと「明日が視える」、そういう過ぎ去った時代のあかりに自分を照らそうとしているのだ、そう自分は解釈する。



***

またもや一日三回「カーネーション」を見るお袋さんは『むかし、ミシンを踏んで洋裁をやっていた頃の懐かしさがこみ上げる』と言っていた。
思えば、自分が幼児の頃、毎晩、近隣の嫁入り前のお姉さんたちに「先生」と呼ばれながら、仕事場で服をみんなに教え・縫っていた母の姿。
夜も寝ずに徹夜でラジオを聴きながら、翌朝までに仕上げなければならない服に、ミシンを踏んでいた音と姿が甦る。
洋裁学校に通い、ファッションの世界に生きようとしていたのも知らず、そこに夢中だったがゆえに、相手にされず・あずけられた周囲の育ての親にダダをこねていた幼児の自分。

ドラマ「カーネーション」の世界・岸和田には、それぞれの想い出が交錯する。

PS:いまやネットでもMEGAVIDEOで「カーネーション」が見られる。
昼休みの職場でもこれを見ている。
大正から昭和へのとある岸和田で・先進を作ったとあるド偉い母の物語に、微笑みながら見ることが、今の自分の少ない希望でもある。
椎名林檎が歌うテーマ曲と、冒頭のミシンと人形の映像がまた泣ける。
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