こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記 :鳥肌実先生に清き1票を

2011-02-20 01:00:00 | 雑記帳
最初は単なる「芸」で始まった鳥肌実さんの全てのパフォーマンス。

しかし、様々な外圧との軋轢を経、歴史や思想を学びながら、今では「芸」などという枠を超えて「本当のこと(真実)を伝える本気の思想を持った人」に変わった。

地上波TV・広告代理店・大手新聞・マスコミ・・・全てが協働し合い「本当のことでは無いことを伝える愚民」と化した中、鳥肌実という存在の大きさを、MZ師とよく語る。

彼が選挙に出るならば、私は本気であらゆる手を使い票集めを行う。



よく「本当のこと」を言う自分を、日々周囲は、苦虫潰した顔をして色々言ったり、右翼だテロリストだと揶揄する。

彼らも私も同じ日本に居て会話をしている。
この時点では、お互い日本人である。

しかし、カルト宗教、靖国神社、憲法、日教組、外国人国内滞在、領土問題・・・そういう話をした途端にこういう反応を彼らは示す。

妙なことである。

オウム真理教はサリンを撒いたので当然死刑相当だが、しかし、酷似したカルト団体が平気な顔をして一般生活の中を跋扈している姿には触れない。

自国の為に命を捧げた英霊たちへの鎮魂に靖国に行くと、いきなり右翼と呼ばれる。

不思議な事である。

一体、お前は何人(なんびと)なのだ?

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かたちんば徒然日記  : インフラ独占企業の欺瞞

2011-02-19 19:10:48 | 雑記帳
インフラがパイプラインであるケース多い中、そこには利権の渦と「=独占」に化すのは当然の帰結。
独占は何も恐れる事が無いので、そこあぐらをかいた「勘違いした人々」が集結する。

それが目に見えて分かる日々である。

●某電力会社[追記:東京電力のこと]・・・首都圏(といっても群馬・栃木・茨城・山梨というイナカも含まれるが)の電気供給の独占企業。
この会社には200以上の子会社がぶら下がっている。
そのクセして赤字をコキ(今は異なるが)ながらも、民間の会社なら真っ先にこの子会社統合に向かうがそういう事は無い。
さらに彼らは独占を利用して価格を吊り上げる事を目論んですら居る。

こういう企業の有様。
イヤであっても、彼らにカネを落とさざるを得ない1人として、ここの赤字脱却への経営方針と進む実態が余りにも乖離していて酷い。

彼らを呼んで話を聞いたが、そこには何ら明確なヴィジョンが無い。
まあ、我々のような一介の(=彼らにとっては下界なのだろうが)民に接する人と言うのはしょせん末端の方々だから、そういう方々を責めても仕方の無い事だが、ヒアリングには適している。

★子会社は精査の上統合すべきでは?
→子会社それぞれには役割がある。

経営体質強化と子会社を減らす事はイコールでは無いとでも言いたいのだろう。
結果、子会社は減らない。
しかし、この子会社では居ても居なくても良いような仕事ぶりで大枚貰っている連中が存在する「事実」は握っている。

★では、経営改善に何をしている?
→社内の経費削減を行っている。

そんなハナクソみたいな額が、膨大な資金を運用する企業経営に影響するのは「焼け石に水」。
全体の濡れ手に粟を維持しながら、それを誤魔化し外部に「取り組んでます」というポーズに過ぎない。
多くの企業が電通に金落とす事からTVCMやめ、宣伝広告費を削減する中、御社だけが嬉しそうにCM垂れ流しているのは経費削減と相反する。=ウソ

★そもそもなぜ赤字になったか?
→原発事故が主要因。

★その原発で隠蔽体質があらわになったが?
→「んんん・・・」と返答に窮する。

最後、要は既得権益にジャブジャブ浸かっていればいいが、値上げをするような事態になった際には、我々は行動に出る旨伝えて終わる。

***

●ケーブルテレビ・・・1区1ケーブルテレビ会社という電波法を楯にしているが、要はこれも独占。
墨田区は電波障害が多いので、ケーブルを採用しNET+TVで申し込んだが、TVはほとんど見なくなり、今後NETでのコンテンツ提供が主流になることも含めTV解約を申し込んだ。

それに伴い、近所の営業所の営業マンが訪問した。

営業マン:あなたのプランは既に去年、似たようなセットで価格変更している。
当方  :調べると2010年2月には既に変更されている。
1年分ムダ金を引き落とされていた訳だ。
営業マン:TVで告知している。
当方  :TVはほとんど見ないので知らん。

その後、いろいろなプランの説明を受けるが、何もかも変更すると「解約手数料」だ「2年間は縛りで契約してもらう」だの・・・制約だらけ。

当方  :「解約」とはヘンなコトバでコースを変えるだけでしょ?
ヤクザな保険会社が、誰も読まない分厚い定款に書いてあることを楯に保険金を支払わないのと同様、お前らもキチガイじゃないのか?
おおよそ今まで10000円近くだったものが、NETだけで5500円、TV付ければプラス500円というセットもおかしくはないか?
また、NET見ればわかるとおり、お宅、評判悪いよ。
営業マン:わたしはそういうNET見ないので知らない。
当方  :自分の会社がNET提供しているのに、NETを見ないと言うのは、きみは、営業マン失格じゃないのか?
だいたいがでかい態度した営業姿勢、何なのだそれは?
「そういうNET」じゃなくて「○com 欺瞞」で検索するとたんまり「そういう」ことが書かれている。
自社の評判を知りませんとは奇特な人だね。
アインシュタインの言う通り、光を超えるモノが発見されていないからフレッツも検討したが、額面ベースのみ見ると似たりよったりだね。
営業マン:NTTさんよりはマシだと思う。
当方  :何が??
営業マン:NTTの方が態度は大きいですよ。
お客様、どうも当社に余り好印象抱いて居ないなら、他に変更した方がいいんじゃないですか?
当方  :お前、何年営業やっている!遠○!おい遠○!
営業マン:はっ、はい。3年です。
当方  :3年ごときの若造にでかいツラで見下した態度取られる覚えはねえよ。
インフラ独占しているからって、いい気になんじゃねえよ。

***

その後、カスタマーセンターとやらから電話アリ。

センター:事情は遠○から聴いた、不快な思いさせて申し訳無い。
当方  :大丈夫。
遠○さんも想定内の態度、応対でしたから。
NETに書いてある「事実」と同じだった。
但し、そういう事独占下でやっていたら、あなたの会社も多くの人々からの恨みを買い続けるだけのこと。
いずれX-DAYを向かえる。
あなたもおうちに帰ったら、NET検索すれば、実態が分かる。

我々は、御社の見えない水面下で動きます。

「応対品質向上の為の録音」の意味も分かっているから、これ以上ことばでは言わない。
ことばでは無い行動。
いずれ何がどうなるか?
勝手に想像下さい。
・・・・かしこ。

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かたちんば徒然日記 : 春雨の中の月

2011-02-18 01:14:38 | 雑記帳
0:00傘もないまま春雨の中歩いて帰宅。生温かい。

今日中に仕上げるはずの資料完成せず。
半分迄出来た1枚のみメール送信し、残りは明日にさせて貰う、と投げた相手は今頃風呂に浸かってますよ…と後輩は言ってくれた。

「そう。彼とは補完関係なんだな。」と今、気付く。

しかし何故こんなに時間を喰ってしまったのか。
ここには自分の行動プロセス・エラーのCUEが潜んでいる。
それが何かは今解らないが。

月曜ひろさちやさんの「狂いのすすめ」読了。
それから養老孟司先生の「無思想の発見」を読んでいる。
2冊共多くのCUE/示唆を含んでいる。

雨音が強くなる。



高橋鮎生さんの「月の庭」「水の鏡」を繰り返し聴いている。
ここにも多くのCUEがある。

『…あんまり静かだったから…
眠れない
そんな夜だった…』(月の庭)

外は、1時を過ぎてざーざー降りの雨音になった。

こんな夜でも、完璧な月が雲の上では輝いているに違いないのだ。

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かたちんば徒然日記 : 2011021

2011-02-16 23:57:00 | 雑記帳
昨夜、入浴後に睡眠薬と3本目の「ノンアルコールビール」を飲み、01:30に寝床で消灯。
小さなラジオから流れる「爆笑問題カウボーイ」の音量を絞り、枕元で耳にしながら、結果、点けっぱなしで墜ちた。

***

07:30朝の空は、雲一つ無いドピーカン。
目玉焼きとワカメのお味噌汁。

朝の1曲、ディップ・イン・ザ・プールの「黒いドレスの女」をかけ、揺らぎの刻にたゆたう。

出発して野外に出ると、脇道に雪の名残が汚れ・溶け・凝縮した固まりとなって散乱している。

その道をクロネコちゃんが悠々と横切る。

駅のホームで電車を待つ間、外気に皮膚感覚を澄ます。
いっときやって来たかに思えた春は、寒の戻りで遠ざかってしまったようだ。

三寒四温。
これからは、春との揺らぎの日々となってゆく…。

***

最近、電車では目ざとく空席にさっと座ることがうまくなった。
確か「電車で座れる技術」のようなタイトルの本があったなあ。

座ることに今まで躊躇してきたが、本にえんぴつで線を引いたり・思考のカケラをいたずら書きしたり、ぼーっとしたり…
苦労は仕事だけでたくさん。
往復交通で苦しむ必要など無い。

***

しばらくして、右手だけに白手袋、マスクをした不気味な妖気を持つ40~50代女が、座る私の前で聖教新聞をおもむろに広げ出す。

私は、そのオンナの風体を一巡蔑視し「このカルト野郎が」と呟く。

「…『新・人間革命』
創価学会は、どこにあるのか?
遠く彼方にあるのではない。
自分が暮らし、日々戦い、励ましの歩みを運ぶ、わが地域、わが地区、わがブロックにこそ、絢爛たる創価の大城があるのだ!」
と無意識に字ツラを追い掛けてしまう。

***

仕事場で朝まず一番に、砂糖たっぷりのコーヒーを飲むことが、自分の些細な幸。
明日期限の資料の元案作りをしている間に昼が来た。

ノリ弁当とアサリ汁。
午後は、3月末迄のミッションの打合せ。
主催者ではなかったが、ロスの多いダラダラの暇人に耐え兼ね「要はこうだろ」と即結論付け発言でぶった切るが、メンバー悪く次々進まなあかん所、つっかえつっかえした為、終わったら18:00。

そこから、やっと明日迄の資料着手へ……。
結果、完成を『明日中』と見切り、22:21茅場町発の電車に乗る。

***

眠くてまぶたが重い。帰り際飲んだ弛緩クスリのせいか…。

2315帰宅。
マグロ刺身にトロロを混ぜて、御飯にかける。
ノンアルコールビールとタバコを友に。

そして、音楽は、幸宏の「And I BeIieve In You」。



砂漠の坂道をラクダを引いて歩く人をバックしたスーパーニッカ・ウイスキーのCM曲。
日曜日の夜に、久米宏と横山やっさんがやっていた番組のCMだった。

1983年1月1日発売のシングル盤。
哀愁漂うビル・ネルソンの乾いたギター。
アルバムにも収録されていないYENレーベルからのシングル曲。
1982年「What Me Worry?」から1983年「薔薇色の明日」の間に発表された曲。

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レベッカ 「One More Kiss」'88.11

2011-02-14 17:30:00 | 音楽帳


私がレベッカを取り上げるのを「意外」と思われるかもしれない。

渡辺美里は目がキレイな人だが、何度も繰り返すようだが、容姿と音楽は無縁ではないものの(音楽が容姿を形作る、というケースは、役者同様あるが)、どうしても「明日がある」「希望を捨てないで」ということに走る安易な音楽のウソ臭さには同意しない。

なおかつ、1986年末でほぼ、自分と共に走ってきたテクノ/ニューウェイヴが溶解した以降、こうして出てきた日本のミュージシャンというのには、本質的に好意的ではない。
むしろ悪意を抱くことが多い。

私も、そういう中の1つとしてレベッカを捉えていた。

***

だが、そんな「祭りの後」の1987年、移転した草加の近所に住んでいた、高校時代共に血反吐を吐いてきたセミ君の家に遊びに行き、手打ちうどん屋さんだった彼の家の2階で、おしゃべりをしながら、音楽を聴いた。



彼がそのとき、レベッカの「ポイズン」(1987年11月リリース)を聴かせてくれた。
そのとき初めてレベッカのそのアルバムの中に「このバンドは軟弱を乗り越えて、核のようなものが生まれている」と感じた。

その前後にシングル・カットされた「ナーヴァス・バット・グラマラス」という曲に一撃を喰らったのもある。
キーボードの音色(おんしょく)が全体を覆い、自由に変化するノッコのヴォーカル、全体のバランスはまさにベストな状態。

そういうことで、それまでの「レベッカ」観が壊れ、不思議な出会いとセミ君に感謝し、カセット・テープに録音してもらい、そのテープをよく聴いた。

私個人は「ナーヴァス・バット・グラマラス」という名曲、そしてA面の「Moon」~「真夏の雨」~「デッド・スリープ」という流れが素晴らしいと思った。

ちなみに「デッド・スリープ」という曲はヴォーカル無しのインストゥルメンタル。

A面の「Moon」~「真夏の雨」~「デッド・スリープ」という流れは、今聴いても、夜の道-松原団地から草加に行く道路のそばでに建った朽ち果てた小屋、そして、その向こうに煙突からの黒煙を夜空に吹かした工場地帯の妖しげな風景が、いつもダブって浮かぶ。

ボクは、当時、夜の闇の中、フィルム・カメラで何枚もこの闇の風景にシャッターを切った。

***

ある意味、この「ポイズン」というアルバムが、レベッカの頂点だったのかもしれない。
それから20年近く経って「ロック命」の80歳のお袋さんに、この「ポイズン」をプレゼントしたところ、「いいじゃない!」と気に入られた。
お袋さんはどちらかというと、アグレッシヴな面が気に入ったのだろうが、ボクはこのアルバムの叙情的でロマンティークな面が好きなのだが。

***

この「ポイズン」の後に、奇妙なアルバムを出したが駄作で、レベッカは解散した。
私が惹かれたのは、このバンドがバンドを維持する中で醗酵した、まさ「ナーヴァス」で「グラマラス」な面だった。



この「ポイズン」と最後のアルバムの間に、1枚名シングルをレベッカは発表している。
この曲がとても素晴らしく、すぐレコード屋さんに行ってシングル盤を買った。
「ポイズン」の流れを汲みながら、更に叙情的な名曲。

元々、キーボードの音色(おんしょく)にうるさい自分だが、とても美しい音色を描いており、曲の抑揚・振幅が大きく、そこに卓筆すべき変調を含んだパーカッション・ドラム・・・。

レベッカ=ノッコ、ノッコ=元気という方程式に思われがちだが、この曲を聴けば分かるとおり、レベッカ≠ノッコであり、ギター・ベース・キーボード・ドラムそれぞれが高度の絡み合いをすることで成立した名曲。



***

特に女性ヴォーカルを囲んだバンドの場合、情事のもつれがバンド解散の発火点になるのはよくあるケース。
バンドのテンションがそこに起因するケースは多々あること。
レベッカの解散もその例にもれないのかもしれない。

まあ、そんなことは自分にはどうでも良いことで、アルバム「ポイズン」とシングル「ワン・モア・キッス(トゥ・ミー)」は素晴らしい作品として、今も聴く、私の音楽の引き出しの1つとして過去の想い出と結びつく体内に包含されたものなのだ。

聴きたい方は、以下YOUTUBEへ
http://www.youtube.com/watch?v=jXzFD7xJfA8

オリジナルがアップされていないのは残念ではあるが。



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The Smiths 「Asleep」

2011-02-13 01:08:33 | 音楽帳


この「アスリープ」という曲を知ったのは、スミスが1987年解散した後のことだった。
1991年- 大阪に居た自分に、ハブ噛み師匠が定期的にカセットテープを送ってくれた。
そのカセットテープの中の1曲だった。

***

「夜想曲」を思わせる、この静かな曲をよく夜になると聴く。
窓を開けたカーテンが風に揺らぎ、蒼白い光があたりをほのかに染めている。
荒野の夜の風の音に始まり、延々と奏でられるかのようなピアノと繰り返されるせりふ。
そして、最後に、赤子の時ゆりかごの上で回っていたであろうオモチャの音。

モリッシーらしい皮肉と怨念が充満する眠りへ送る歌。



ボクに「眠れよ眠れ」と歌いたまえ
ボクに「眠れよ眠れ」と歌いたまえ

ボクはくたくたに疲れて「ベッドに行きたい」んだ

ボクに「眠れよ眠れ」と歌いたまえ
ボクに「眠れよ眠れ」と歌いたまえ

そして、ボクを独りにさせてくれ

朝、起こそうとなんかしないでくれ
だって、ボクは死んでいこうとしているんだから

ボクのために気を悪くしないでくれ

キミに知ってほしいことは
ボクの心という独居房の深海

僕は本当に行きたいんだ

ボクに「眠れよ眠れ」と歌いたまえ
ボクに「眠れよ眠れ」と歌いたまえ

ボクは目覚めなんか、もう望んでいないんだから

ボクに歌いたまえ
ボクに歌いたまえ

ボクは目覚めなんか、もう望んでいないんだから

ボクのために気を悪くしないでくれ

キミに知ってほしいことは
ボクの心という独居房の深海

僕は本当に行きたいんだ

「そこ」には、別の世界がある
「そこ」には、より良い世界がある

死の先に素晴らしい世界が待っている
ボクは本当に行きたいんだ

サヨナラ
バイバイ
サヨナラ・・・

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Black 「Wonderful Life」'87.09

2011-02-12 12:48:24 | 音楽帳
私個人に取って、新しい音楽の「手法」が日々生まれていたのが、1986年末から1987年初めに終わった事と、自己精神破綻と共に、音楽を日々の単位で追いかける事を終えた1987年。

自分は、絵を描く事に時間を割いていた1987年。

そんな中で、ウィスキーのCMで掛かった、ブラックというミュージシャンの「ワンダフル・ライフ」という曲だけには虜になった。



明らかにそこには、とても「ワンダフル」とは思えないような情念・怨念に満ちた心境=ワンダフルを希望しながらも悲惨な状況からワンダフルを夢見る世界が広がっていた。

ブラックという彼は、実際はコリン・ヴァーコムという名の青年。

この「Wonderful Life」というシングル、アルバムは、友人の資金援助を得て自費で作ったものという。



正直、アルバムも持っているが、結局のところ、この「ワンダフル・ライフ」という曲に全ては収斂されている。
ここまでの孤独の中ワンダフルを夢見る心境を曲として表現化した作品というのは、なかなか作れるものではない。

彼が今どこで何をやっているのかは全く知らないが、この曲だけは時代を越えて心に響く曲としての永遠性を獲得している。



歌詞が、また泣かせる。

サビである部分
「No need to run and hide
it's a wonderful, wonderful life
No need to laugh and cry
it's a wonderful, wonderful life」

ここでコリン・ヴァーコムがイメージしている「ワンダフル・ライフ」が語られる。

「逃げたり隠れたり、そんな必要がない・・・ワンダフル・ライフ
 笑ったり泣いたりする、そんな必要がない・・・ワンダフル・ライフ」

まるで、涅槃に至るような、DavidSylvian的世界とも等しい、フラットな心の姿勢こそが「ワンダフル・ライフ」なのだという。

「I need a friend
oh, I need friend
to make me happy
not so alone.......
Look at me here
here on my own again
up straight in the sunshine」

「ああ、ボクは友達が欲しい
幸せにしてくれて、孤独をかき消してくれる友達が

僕を見てくれ
またもや、孤独になってしまったボクを
太陽のなかにまっすぐ立ち尽くす僕を」

***

過去、大阪に1人暮らしをしているさなか。
いまだ奥手の自分が1994年に出会い、恋に落ちた彼女と自分。
もてない自分の出会いの不思議さ・相思相愛の不思議さ。
その反面危うい橋を感じていた自分。

彼女との結婚を前にして、彼女が若くして内臓イカれて死にかけた過去の恋人の病床に走り去ってしまったときに、呆然としながら、南港の海の夕暮れを見に行った。。。



そして、孤独という痛みに戻ってしまった自分の部屋で、この「ワンダフル・ライフ」を聴いていた記憶が焼きついている。

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New Order 「Regret」'93

2011-02-11 01:59:36 | 音楽帳
かつて、このブログでも取り上げたニュー・オーダーの「リグレット」を、今夜も再び聴きたくなり、繰り返し聴いている。



「Regret」とは「後悔」というネガティヴなことを意味するのにも関わらず、この曲には、なぜかポジティヴで、ほの明るく見える一筋の希望を感じてしまう。

あれほど下手くそだったバーナード・サムナーのヴォーカルが、なめらかで説得力ある流麗さに変化していたことに、初めて聴いたときに驚いた記憶がある・・・。
そして、流れるようなメロディ。
下手の塊だったそれぞれのパートもチカラ強い演奏に変わっていた。

デヴィッド・ボウイ&ブライアン・イーノの「ロウ」に収められた重く深い名曲「ワルシャワ」をバンド名にしたところからスタートした彼らが、ジョイ・ディヴィジョンという哲学的暗きバンドを経て、ツアー直前にヴォーカルのイアン・カーティスを首吊り自殺で失うと同時に唐突に切断されたジョイ・ディヴィジョン。
そんな解散という目に会いながら、ニューオーダー(新しい秩序・配列)という名で再出発し、その中でもがくようにして、ジョイ・ディヴィジョンでは無い新しい音楽を・・・と。
大抵の凡庸な「集まってバンド始めました」という、実にありきたりな成り立ちとは全く異なるスタート地点から、構成主義的に音を配置する実験と試行錯誤を取りながら、最終的に、彼らにしか手に入れられなかったプロセスで、ニューオーダー(新しい秩序・配列)という稀有な音楽を確立した。

さらに、その後も変遷を辿りつつ、全く元居た地点からはるか彼方の地点で、この「リグレット」は穏やかに鳴っている。



彼岸から此岸へ
死から生へ

全身全霊で、この大きな距離を跳躍した、このニューオーダーという、実にまれなるバンドの跳躍距離のすさまじさに驚く。

死の淵という血の凍るようなマイナス温度のところからスタートしたバンド。
ジャケットにバンド名さえ表記しない、誰が聴こうが知ったことかというバーナード・サムナーの発言に見えたルサンチマンとあらがい。

そんなバンドに、生命の赤い血が流れ出し・人との「関係」への視線が生まれ・・・
そこに生まれた人間のエネルギーの強さ。
・・・長きプロセスの果てでの血の色(青→赤へ)の変化がもたらした優しさが、この「リグレット」をほの明るくしているのかもしれない。

ニューオーダーとは、本当に長い付き合いで、ほとんどを聴いてきたし、好きなアルバム・曲はたくさんあるが、その一連の曲の中でも、私個人はこの曲に非常に想い入れ強い。

ニューオーダーに勇気付けられるなんて日があるなどゆめゆめ思わなかったが、この曲に込められた、繰り返し繰り返し聴くごとに「意志」「強い意志」に勇気付けられるのである。

音楽が持つ力。

それは、上っ面の愚集社会とは隣り合わせで居ながらも、高貴な輝きを持って、光を放ちながら我々を支えている。

***

■ニューオーダー 「リグレット」■

たぶん、ボクは住所も名前も忘れてしまったんだ
今まで知り合った人までも

別に「後悔」はしていないよ

それは今日じゃなくっていい

今日は学校のテスト・・そして、子供たちは逃げ去っていった


ボクが「自分自身の居場所」って言えるところ
電話で話すこと
毎日起きて始まり、それでかまわない
傷ついたことに異論はないよ


ボクは、キミを見るたびにいらいらしてた
ほとんどいつも

たしかにキミは、かつて知らない人だったけど
今では、キミはボクのものなんだよ


ボクはキミに信頼さえ持っていなかった
ボクはあげるものなんて、そんなに持ってない
ボクたちは、限り在る中での親しき関係
誰とだかなんてわかんないけど
キミは、ボクがナイーヴで手におえないと思っているだろうね
それは、よくわかっている
馬鹿かもしれないし・・


でも今回は違う
ボクを見てくれよ
ボクはキミじゃないんだ

たしかにキミは、かつて知らない人だったけど
今では、キミはボクのものなんだよ


ボクは気が短くて、絶えずキレていたし
たしかにキミは、かつて知らない人だったけど
今では、キミはボクのものなんだよ


ボクが「自分自身の居場所」って言えるところ
電話で話すこと
毎日起きて始まり、それでかまわない
傷ついたことに異論はないよ


ただ明日が来るのを待つ
みんなが言うように
なにもかもが駄目になってしまう前に

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エイリアンの人間観察 : 年賀状

2011-02-10 22:00:00 | 雑記帳
ブログには、書く際にジャマな機能がある。

「ジャンル」という選択肢。
その「ジャンル」とやらをプルダウンしていくと「どぉ~でもいい~ですよぉ~」という区分の多い事多い事多い事多い事多い事・・・。
上から下まで見るが、その内容たるや。

めんどくさいので、チョー名作「冬のソダナ」でチョー世界的チョー大ヒットを飛ばし、世界全ての民を泣かせた、世界に名だたるチョー名俳優のカッコイイ「ペ・ヨンジュン」にすることにしてみた。

他のジャンルを見ると「きいて!きいて!」とか「ラブラブ」だってさ。
実にしょ-もない。
けったいなもんやのお。



それは、ともかく・・・

***

「年賀状」を書き出したのが、社会参加し出した小学生になってから。

そこから、歳を重ねる度に毎年年賀状を書いてきた。

幼い頃は、木版画をしたり、野菜に手を加えたスタンプ、水彩画・・・・
年末にコタツに入って一枚一枚仕上げた遠い記憶。

社会人になったのが1991年。
90年代後半からのパソコンの普及で、2011年の年賀状の90パーセント近くが、住所宛名も中身も全部パソコンという事態と化した。

ということで、次回より一部の人を除いて断筆宣言をしようと思っている。
まあ、今年の末まで生きてればの話だが。

***

私が過去一緒に働いた先輩は、年賀状は交わさないのを信条としていた。
理由ははっきりしている。
無意味だからである。
彼は徹底していて、携帯電話も持たない。

「世間」「公的ロス」には束縛されない意志が読み取れる。

彼は、昔からの趣味で、パソコンが普及する前からコンピューターには造詣深い人だからこそ、思慮の上の考え方の持ち主。

***

90パーセントがパソコンの自動生成で済ませるなら、まさに郵便で送る意味もゼロ。

来た年賀状を分類すると以下のようになる。

A・同じ仕事場、或いは、関連する関係者から仕方無く送ってくるもの。
    ↓
これは、関係性が切れた瞬間に八割方来なくなる。
    ↓
逆に、送らなくても来た者だけが、心の底で何らかの糸が繋がった者。

B・過去、血反吐を共にしてきた者
    ↓
20年前から絶えずにやりとりしている人が多く、自筆で何らかのコメントが入っているケースが多い。

C・過去上司だっただけで人生の先輩ヅラし、自分の支配下の「グル」と思っている連中
    ↓
年が明けて、来てから、こちらも全部パソコン任せで、鏡割りの頃遅れて発送

D・学生時代からの付き合いの人。
社会人になってからの付き合いでも、今では別の企業に転職した仲間。
    ↓
お互いの生存確認と近況を伝え合うためのやりとり。

全体のウエイトではやはりAがダントツでトップという状況。

***

☆2012年向け年賀状方針☆

A → 「仕方無し」の人には送らない。
送ろうと思った人のみ送る。
この中には大事な「ネコ大好き」仲間が居るので、ネコ写真を特選して年賀状作りをしたい。

B → 今までどおり、丁寧に書いて送る。
といっても、転勤で住所がわからなくなってしまった人も多い。
事前に住所が入手出来れば良いのだが。。。。

C → 送らない。
来ても返信しない。

D → 今までどおり、丁寧に書いて送る。

※なお、MZ師やハブ噛み師匠など、しょっちゅう会う友人は、送るまでも無いのはお互い分かっているので送らない。
※親兄弟は、しょっちゅう会ってはいるが、送る事はお互いの暗黙の了解。

A、Cを送らないことで、何らかの支障が出る事は想定内だが、仕方無しに送ってくる人に、自分のロスタイムを使うほどこちらもヒマじゃない。

年末年始の些細な休みを良い気分で過ごすには、集中と選択あるのみかと思う歳になった。

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Morrissey 「Our frank」'91.03

2011-02-09 07:30:00 | 音楽帳
1991年3月。

社会人の船出・曳航への前夜。
とはいえ、研修等々は既に始まっていたが・・・。

エンヤの超越不可能な名盤LP、渋谷陽一さんの丸1日かけてのNHM-FMでのビートルズ特集を録音したもの、クロスオーバーイレブンでのジョニ・ミッチェル特集を録音したもの・・・
そこに、渋谷陽一さんが紹介したモリッシーの新譜「KILL UNCLE」をようく聴いていた。



「アワ・フランク」は、その「KILL UNCLE」のトップナンバーであり、かつ、最初にシングルカットされた曲。

シングルカットというには、それなりに曲調はポップ?な面もあるが、スミス亡き片腕もぎ取られた詩人モリッシーらしい歌詞となっている。



■Morrissey 「Our frank」■



今になって。

じっくり歌詞を読むと。
この自分に重なる部分がとても大きくて。

モリッシーへのシンパシーを今更ながらあらためて強く持った。

コメント (4)
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