12月29・30日と家でくたばっていたが、31日 大晦日は、14:30から外出した。
尻に火が付いたというところだろうか・・・。
まだ14:30というのに、陽に赤味が差していて、まずいと思い焦って電車に乗る。
どれどれ今日は、業平橋で降りて、TokyoSkyTree現場の下から見上げてみようと途中下車。
案の定だが、写真撮影する人々で一杯。
自分も撮影した。
2009年末には第一展望台にも届かなかった「この子」も立派になったもんだ。
歩いて、そのまんま浅草に出る事にする。
途中途中で街の影から顔を出すSkyTree。
浅草にて、髪にバリカンを入れる。
今日は6mm。
自分は極度の乱視なのでメガネを外すと自分の姿もよく見えないが、終わってメガネをかけると「おわっ!」と鏡に映る姿は、「ふぁーぜる、くりすます。」というたけし先生を思わせる「坊主」。
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吾妻橋を渡ると、水上バスも相変わらず人だかり。
そして、川の向こうの浅草一帯のにぎわい。
浅草を撮り歩き、年賀状と道具を買い、夕暮れが迫り、日が沈むと田原町の喫茶店に入ってタバコを吹かしながら、年賀状をしたためる。
近時、全てプリンター任せの年賀状も多いが、自分は(全てとは言わないが)手書きする事に固執している。
1人1人に向けて、様々な思い浮かぶ事を記す。
全員は書けなかったが、店が早く閉じるので外に出る。
19:00スプーンでそばを喰う(良き方の)アジア系の方々になぜか囲まれて、せんねんそばでかき揚丼+おそばのセットを食べる。
今日、初めてで最後の食事。
20:30今から浅草で新年を宵越しで迎えようという人々に逆行するカタチで、東武線で家に戻る。
ノンアルコール・ビールを呑みながら、音楽を聴き、ネット三昧。
21:40実家の庭で採れたユズを、いつもよりも温度を上げたお風呂に浮かべて炊き、ユズ湯に浸る。
幼い頃あった年末年始のワクワク感などもうすでにないが、浅草のにぎわいとユズ湯はそれなりに年の瀬を感じさせた最終日だった。
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風呂上がると再び音楽。
FraLippoLippi、チャイナ・クライシス、ピーター・キューザック、富樫雅彦、菊池雅章、ムーンライダーズ、ブルガリアン・ヴォイス。。。etc
23:45毎年通り「ゆく年くる年」のみ観る。
なんと、ついに「ゆく年くる年」にまで「SkyTree」がデビュー。
東京タワーが「三丁目の夕日」の通り、戦後復興から希望に満ちた昭和30年代に建っていくシンボルだったのとは全く異なる時代背景。
人を人と見なさない大不況の吹きすさぶ嵐の中、唯一の輝ける希望の星。
「この子(SkyTree)」がたくましく植物のように、天を・天を・と目指していく中、2011年は一体、自分にとってどんな年になるのだろうか。。。。
かたちんばさんの言葉から
「Tomorrow Never Knows」の世界観を連想しました。
「明日などどうなるかわからない世界」
「ただ今日なすべきことを熱心になせ」
だから
play the game "Existence" to the end
サンプリングの手法や哲学的な歌詞、
ダライ・ラマの説法をイメージした、など
評論家には語りどころ満載の曲ですが、
一瞬でありながらエンドレスにも感じる魔力は人生にも通じるもので
点と点(一瞬)がかけがえのない線(エンドレス)に繋がるのは、まさに人生の妙ではないでしょうか。
という訳で2011年はビートルズの一番好きな曲で明けました。
今年も脱線・寄り道がちな伴走者をどうぞよろしくお願いします。
ブルガリアン・ボイスと言えば、
いいなと思って見当をつけて買ってみてもなかなか「これ!」に当たらないのですが、
(記憶が定かでないのですが、だいぶ前に観た番組で)
細野さんが録音したテープを頼りに声の主を探しまわったところ、
それはプロでも何でもない?町の合唱団のものだった、というのを思い出しました。
繰り返し聴けるのも、一瞬で心奪うのも、音楽の妙ですね。