こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

航海日誌:おまけショット

2024-01-28 18:30:00 | 写真日和

昨年年末 大みそか、年賀状の写真選びをするために撮り溜めた写真を観ていた。
最近はもっぱら撮影するだけで満足して、疲れて見返すことがない写真たち。。。
それをこんなに長く見られるのも大みそかならではのことかもしれない。見ているうちに、本来の目的を離れて 見ることに夢中になってしまった。
そこで思う。つくづく写真というのは、狙って撮ったもの、また、構図やフレームサイズを意識して撮影したものがいかにつまらないことか!
そういうと大げさだが、記録という要素を除けば、左脳や意識で計算して撮影した写真は実につまらない。

***

撮影した写真を見返すうち、その中にあった撮影ミスや切れ端の面白さに夢中になってしまった。今、自分が持ち歩いているコンデジにはワンシャッターで3ショット連続撮影するモードがある。3枚写真を撮る以外に、撮影したフレーム枠の中の一部を切り取って勝手にトリミングした「おまけショット」が付いてくる。サイズはパノラマだったり、4×3、タテヨコ同サイズと色々無作為だが、それがまた時に面白い効果を生む。
写真とは偶然の産物だ。

若くから影響受けてきたアラーキー(荒木経惟)の写真集の1つに、横長パノラマサイズで日付入りで撮影された「A日記」という写真日記がある。そこに収録された写真を想い出す。この「A日記」は写真撮影日をわざと1年先にして、「1年後の未来の今日」を365日“先撮り”した写真集。写真そのものが本来持っている予知夢的な側面がうまく表現されている。これを自分に勝手に引き寄せるなら、「おまけショット」たちはこの写真集に載った写真に似ている。
また、もう1人の写真の師・森山大道さんが従来のフィルムカメラにフィルムを装填した際、最初の数枚・不意に空(カラ)シャッターを切ったときに映った写真を拾い上げて作品にしたことも想い出す。森山さん曰く、そこにたまたま写った像も世界の一部。。。うまく撮れた、とか焦点が合うとか、そういうことは関係が無くて、写ったものは全て世界の一部。
下は、自分が撮影した写真のごく数枚。全てがたまたまの切り取りでもないのだが、どれもがたしかに世界を構成する一つの像・一つのかけらである。写真は撮ることだけでなく、見ることによって、世界がいかに多面体であるか、新しい視点を教えてくれる。

面白がっているのは自分だけであっても、自分が面白いと思えばそれだけでも構わない。




















スナップ2023~2024より。。。

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