こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ピロリの『冬』'83-⑤ Monsoon 「Tomorrow Never Knows」

2011-01-02 14:32:07 | 音楽帳
さくりんさんから「Tomorrow Never Knows」についての「お年賀」を頂きましたが(ありがとうございます)、実は昨年からの下書きで、’83年のモンスーンのアルバムについて書きかけでした。
それも、お釈迦様の言葉、三島由紀夫、坂本龍一との絡みから想起した雑念からでした。

これは偶然の一致としてのシンクロニシティではなくて、やはり水面下の意識が同調したものと思っています。

実は、ボクはビートルズの「Tomorrow Never Knows」では無くて、このモンスーンのカバーがこの曲との初めての出会いでした。
初めて聴いたのはクロスオーバーイレブンで、ヘッドフォンをして神妙な面持ちでラジオをチューニングしながらエアチェックしていました。

ギターは、この’83年、YMO「浮気なぼくら」・彼のソロ「Chimera」・そしてモンスーンのアルバムと、様々なところで聴いたビル・ネルソン特有の伸びやかで艶やかな音色(おんしょく)のE-BOW。
透き通るようなモンスーンのサウンドとの良きマッチング。



ビートルズの「Tomorrow Never Knows」の原曲を知ったのはその後かなり経ってからです。
この「Tomorrow Never Knows」は、モンスーンのカバーも優れていますが、幸宏の「EGO」のトップの曲ですし、ダニエル・ダックスのカバーもなかなかのものです。
カバー曲というのは嫌いな自分ですが、不思議な事に、この「Tomorrow Never Knows」には違和感を覚えません。
原曲が良いからなのでしょう。

「明日は知らねど。」

***

モンスーン自体の活動は、このアルバム1枚のみ。
ヴォーカルのシーラ・チャンドラのソロ活動はその後も続いていて、アルバムを持ってはいますが、、、個人的にはやはりこの「サード・アイ」というアルバムとの出会いと想い出が一番です。



’70年代末から’80年代初頭にかけて、パンク→ニュー・ウェイヴ移行の中で様々な異文化の音楽の取り込みが行われましたが、このモンスーンはインド音楽+テクノ。

初めてモンスーンを聴いたのは、ピーター・バラカンさん&アッコちゃんの「スタジオテクノポリス27」の’82年6月頃の放送(第1回目放送)で聴いたシングル曲「エヴァー・ソー・ロンリー」でした。

その後、’83年秋にアルバムが発売され、よく聴きました。1曲目の「夜明けの翼」の神聖な始まり方。。。メロディアスな曲の渦。

しかしモンスーン-ビル・ネルソン-幸宏-YMO・・と不思議な展開で、’80年前半の隆盛極めるニュー・ウェイヴの広がりを感じさせます。

*************************************

PS:さくりんさんへ
今年も、伴走のほどよろしくお願いします。

ブルガリアン・ボイスは、’84年にDavidSylvian、教授から教えてもらった「ピレンツェ・ペェー」(教授の発音なので正確な読み方は不明)という曲をカセットでよく聴きました。

>いいなと思って見当をつけて買ってみてもなかなか「これ!」に当たらないのですが、記憶が定かでないのですが、だいぶ前に観た番組で

このヴァージョンが、そのときの音楽に一番近いと思いますので、聴いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=LPvxjc3fzV4


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6 コメント

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当たりました(^o^)丿 (さくりん)
2011-01-03 22:56:33
試しに他の「Pilentce Pee」も聴いてみましたが…記憶に残っているのはこれ!この突き抜けた緊張感ですね。
私がここに来たきっかけはスワロー・タンでしたが、また教えていただきました、ありがとうございます。

今日最初に耳にした曲はやはり単なる偶然ではないと思いますが、
マイケルの「BEHIND THE MASK」でした。
原曲の魅力、そしてYMOという新世界の影響力が大きかったが為に、
クラプトンを経由して坂本龍一が再カバー?した珍しい流れだと認識しています。
かたちんばさんはこのカバーについてどう思われていますか。

「Tomorrow Never Knows」のカバーも色々な方がしていますね。
下山淳が居た60/40のバージョンもバリバリの日本語の歌詞ですが、確かに違和感はないですね。
一般的なカバーにはない、あの世界観に近づきたい、会得したい、という修行のような心情があるからでしょうか。
返信する
「Pilentce Pee」 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-01-04 01:14:13
思っていたことが一緒で安心しました(・v・)。

「Pilentce Pee」はDavidSylvianが教授のサウンドストリートに出たときに、Davidが最近聴いている曲として、この曲をかけました。

DavidSylvianがJapanを解散させてソロへ、みずから旅立っていく覚悟と気構えを感じたものです。
(すみません。DavidSylvianへの思い入れが強いもので。)
彼がかけたものは、当然ロック色などみじんもなく、ジョニ・ミッチェルの「TalkToMe」に始まり、石を打つ事で出てくる音で構成された音楽(サヌカイト)、そして、ブルガリアン・ヴォイス・・・。

彼の当時のVideo作品「プレパレーション・フォー・ジャーニー」では、京都の寺で佇む姿とインプロヴィゼイション色の強い穏やかな音。

イーノもそうでしたが、日本における「間(ま)」という観念、沈黙・静謐の持つ内包されたエネルギー、Davidも耳を静かにそばだてることの重要性をよく理解していました。

今も好きですが、当時のDavidの心の佇まいの有り方は特に美しく、磁石のように惹きつけられてやみません。

そういうSylvianを「David」Bowieは嫌っていたようです。
そこに、ボクはSylvianに対する脅威・嫉妬のようなものを感じます。
生死を掛けて音楽に1人で対峙する自然な姿は、当時のBowieを超越していましたから・・・。

************

「BEHIND THE MASK」のカバーの話ですが、個人的感想になりますが「曲が掛かると耳をふさぐ」というのが実情です。

YMOが多くの海外アーチストに影響を及ぼしたのは現実ですが、たぶん、影響を受けたもの【インプット】の表現の出し方【アウトプット】が間違っているように思います。

「BEHIND THE MASK」は、メロディだけでも無く・詞だけでも無く・それを包むアトモスフィアとして生み出された「光」のようなふわふわした存在が曲となっている不思議、オーラが発光しているのが魅力。
正直、坂本龍一含めて原曲の存在を捉えきれていないです。

教授の場合確信犯なのは、幸宏との共作なのに、クラプトンを見て「これは自分の曲です」と世界に言うためにカバーしたと思えるからです。
ソロになってから「世界のサカモト」のエゴの悪い面が出た結果と思います。
また、細野さんは創っていませんが、あのアルバム曲の背景には細野さんの存在があって「産まれた」ものだと自分は思うんです。

YMOがライブで演奏しても「あのアルバムのスタジオ録音」には到達し得ないものと感じています。

アルバムもライブも一期一会で、ある偶然を含めたひらめきのようなものが重なった時、とてつもなく大きなパフォーマンスある曲となります。

カバーに対して言いたいことは「アーチストたる者はインプットとアウトプットを間違えると、ただの模写に終わるキケンをはらんでいる」という警告です。
その曲との距離感なのでしょうね。

なあんて、難しいこと、偉そうに言ってすみませんm(_ _)m。
そういう自分は、今、今日買った「食べる煮干」を食べながら書いています〔苦笑〕。

この様を見た人には「おまえが言うな!」と言われそうですが・・・。
返信する
今日も美しい冬の夕暮れを経て (さくりん)
2011-01-04 22:26:30
静かに夜がやってきました。

今月半ばに実践発表があるのですが、曖昧なテーマを与えられているのでずっと落ち着かず、
それでも思いついたら走り書き、携帯にメモし、気付くとブツブツ独り言…
まだまだCUE探しの段階でしょうか。
夜になると考えがまとまる気がして少し落ち着きます。

 * * * * *

アトモスフィアとは言い得ていますね。
その「タイミング(場)」に「もの(人)」があるかないか、「選択」するか否かで空気が変わります。
ものづくりも、人の繋がりにも、
そう言えばうちの職場も…(苦笑)
と広げるとキリがないですね。
会話にウィットというものが必要なように、
ものづくりで言えば、「毒」や「棘」「影」の選択も必要なのでしょうね。

今日は引き続きYMOを聴いて過ごしました。
と言ってもあまり持っていないのですが…
「NICE AGE」がやはり好きです。
~花のように姿を現わす22番~の意味が分かった今でも、
あのニュース速報が謎めいて素敵です。
返信する
バタバタでんねん(T_T) (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-01-05 22:36:23
実は自分も今月半ばに面接発表で、そのレポートが7日朝提出で12月~焦ってました。
何度もローリングし、骨子が整い、今日、有難く指導してくれた上の方からOK貰いましたが、更に良くと言われて22時迄格闘したら、逆に余計こんがらがり、自分で自分を見失って進まなくなったので、切り上げて明日1日の勝負になりました。
今まであえてその話題には触れてませんでしたが、裏事情は「泣き」が入っていたのです。
明日朝一番で、4~5回目の指導を上の方に時間を割いて頂くよう申し入れます。
なかなか「周囲に見せられる類の資料」では無いので、特定の仲間にしか相談出来ませんし。

***

アトモスフィア…ですが、マーケティング・ミックスでの4P概念を思い出します。
製品(Product)、価格(Price)、プロモーション(Promotion)、流通(Place)。
これがうまくミックスされて初めて、ヒットの土俵に乗るということ。

的確なモノに釣り合う価格と打ち出し方で的確な在庫管理でエンドユーザーに届ける事。
これも日々経済やユーザー嗜好は変わっていくので難しくものです。
人は飽きっぽいものですから。

***

アートにもこれは言えます。
ある役者、例えば大杉漣さんが今やNHKの朝ドラマの厳格なお父さん役になりましたが、かつてはミドル・オブ・ザ・ロードの人ではなく、ピンク映画ばかり出ているサブ・カルチャーの人でした。
まさに毒・棘・影の持ち主でした。
そう思うと、大杉漣さんも、今からの動向の方が苦難で、その振る舞いによっては「日和ってつまらなくなったな」と言われるか?「さすが大杉漣」と言われるか?…

日々の変化に対する「立ち位置」が私も含み重要です。

***

「NICE AGE」が好きなんですね。
自分も「増殖」はたんまり聴きましたよ。

不思議なもので、林家三平さん・大平首相共に、アルバム発売後間もなく亡くなりました。
謎めいた「縁」です。
「増殖」は、当時、夕方、小室等さん出演の東京12チャンネルでやっていた音楽番組で特集しました。
映像は磨りガラスの向こうで、人がしゃべったり・動いている様、そして、YMOの曲。
「KDD」「ミスター大平」の部分が「無音」に消されていました。
それをよく覚えています。
返信する
またも真夜中。 (さくりん)
2011-01-07 03:41:13
レポートは納得いくTREEに育ちましたか。
お疲れ様です。

私はこれからです(+_+)
今浮かんだ点を線に繋げる作業のその先に
ご無沙汰もいいところのパワーポイント…
まとまらない頭のまま、今日は立場上、新年会を断れず、
一時の松田優作ではありませんが
耳から毛穴から考えが漏れないよう必死で、肩・首ガチガチです(苦笑)


「日々経済やユーザー嗜好は変わっていく」
前のコメントのところに同じ内容を続けようとして、収拾がつかないので止めたのですが、
かたちんばさんがまとめて下さって良かったです。
「変化」で私がいつも思うのは、自分はビートルズの一連の楽曲が揃った後に出会えて良かったなと。
同時進行で聴いていたら、どこかで離れていた気がします。
その日の気分で同じ曲も(絵も人も)違った印象を持つことを考えると、
一期一会の連続=ずっと、でい続けられるのはありそうでいて実は稀かもしれませんね。


…ミック・カーン残念です。
ご冥福をお祈りします。
返信する
一期一会 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-01-09 10:59:00
ボクの音楽旅行も「一期一会」の連続でした。

1970年代から、ずっとそうです。
ネット時代以降は、幾らでも試聴が可能で、それで聴いた上で履き捨てるような音楽の聴き方はボクにはありません。

ラジオのチューニングをmm単位でしながら、雑誌のFM番組欄に蛍光ペンでマーキングし、重厚なヘッドフォンをして、期待する曲の録音に備える。
そして、その音楽との一期一会の出会い。

80年代は、その積み重ねでした。

もうそんな時代は過ぎ去った。
しかし、その頃のトキメキの仕方は未だに自分の中に棲んでいて、音楽旅行は続いています。
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