辿る帰路。仕事が遅くなり、ふだんなら空いているお店が閉まっているから、とあまり入らないお店でビール6缶セットを買う。
夜道を、よたよた・いつものごとく歩いていたら、狭い道をクルマが来る。
脇にそれたとき、手に掛けた・重い・缶ビール入り袋をくいっと角度を変えた。
すると、ビニール袋が破け、道に缶ビールが産卵。ではなくて散乱。
「ああっ」と拾うが、あちらこちらで「プシュー」と穴から吹き出す音が。。。
・ついていない日だね。
・まあ、たまにはそんなこともあるよ。
・重量を勘案しないで、袋を選択するようなバイト程度の店だからだよ。
いろんな言い方が脳側からの自動生成でよぎるのだが、一番・瞬間に・強烈に浮かんだこと。
「要は、じぶんは産まれてこのかた不愉快を抱えて生きてきたのだ。」というカルマ。さすが根っからのペシミスト。
ああだのこうだの、言い換えをしながら、誤魔化して、「ああ、楽しいね」「ああ、キレイだね」そんな自己暗示を掛けて来たのだが、一番根幹にあるのは、既に三歳程度には、既に用意されていた、「この世は、なんでこんなに不愉快なんだろうか?いつまで、この不愉快に苦しめられ、周囲の不愉快な世界の中に居るのだろうか?そもそも何で、このような容器の中に居なければならないのか?」という自覚していた事実。
そんなことを言いながらも、自死未遂を経て、なんとかコトバをすり替え・すり替え、46歳まで来たのは、ある意味奇跡的なこと。
ヒトを殺して、塀の向こうに居ても、何の違和感も無い。
たかだか、缶ビール6缶セットを落としたくらいで、こう揺らぐのが、事実・今のじぶんの有様である。
往路・復路、とひさしぶりに中島らもさんの文庫本「恋は底ぢから」をめくり、間瀬きわみさんの・たぶん生涯好きであろうイラストに、ささやかな「見る」安堵をしていたさなかのこと。
しかし、思いもしない死を迎えたり・ミミちゃんのことを想えば「ふざけんな!」とは脳では理解しながらも、上っ面で・そこに肉体が伴わない夜。脳が疲れているのは、いつものことなのに。
***
道の途中で転がっていた袋に、缶ビールを置き換えて、急ぎ足で家に向かう。
助かった2本のうちの1本をコップに入れて飲むが、旨いとは言えない。のこり4本はとりあえず冷凍庫に入れた。
本当は、「そうだ。今日は、YMOの『BGM』のLPレコードの発売日だった。」と、思考を巡らせていたのだが、その気も失せた。
そんな1000円もしないビール「モドキ」の事故程度に、しょげるじぶんは、一生「太陽のように明るく・たくましく・強い」お袋さんにはなれない。
もとより、父・母どちらにも似ていない隔世遺伝のじぶんだが、運悪く・山陰は出雲の寺の息子として産まれた、暗く性格の悪い父のDNAをおおいに引いてしまっている。
陰と陽が、凸と凹のようにはいかぬまま、日々夫婦喧嘩三昧を切り抜けてきた、兄とじぶん。
決して豊かではないが、まずしくも無かった。
しかし、父は、異常神経症で、いっとき休職して自律神経失調症で居た。
それは、じぶんが産まれる前のことだが、それはその後の我が家庭に大きな影を作っていた。
あの天真爛漫なお袋さんが居なければ、家族は殺し合って終わっていたのだろう。
話せばとめどもなく落ちていくので、このへんでやめる。ブレーキだ。
本来は、YMOの「BGM」からの曲を掛けようと思ったが、事の次第でやめる。
その代わりといっては何だが、昨日見ていた・好きなDVD「おちゃらけソーセージ」に収録されている、実力あるインパルスのYOUTUBEを見て、午前0時を迎えたい。
DVD「おちゃらけソーセージ」も、中を見ると2003年。もう10年も経ってしまった。
地上波テレビをほとんど見なくなって数年が経つが、「お笑い」というカテゴリー(=単なる看板)とはなんだろうか?
それは昔も今もだろうが「お笑い」と呼びながら、ほとんどがココロの底から笑えるものが如何に少ないか。
少ないのに、笑っているフリをしているのが、如何に多いことか。
堤下さんの素直な性格と、説教臭くなってしまった太田光をも超える・板倉さんの狂気をコントに仕立てる能力の組合せのインパルス。
じぶんにとっては、ほんとうに笑える少ない・貴重な存在である。
■インパルス 「万引きGメン」2003■