こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年3月25日 月曜日 「リニューアル」

2013-03-25 21:57:55 | 雑記帳

大勢でのお酒の場には行けない中、遠くに行く仲間へのお礼のモノを選びに、秋葉原のヨドバシカメラで買い物をして帰った。
小雨が降り、ガスっているのもあり、写真を撮り歩く気分にもなれずに、用が済むとすぐに電車に乗った。

4月1日が年度の境目であるのは知りながらも、解せないことが多い。
それは、例えば好きなラジオ番組が終わっていくことだったり、街が変化したり、組織を改変させることだったり。。。
じぶんがよく思うのは、数年・あるいは・1年で「リニューアル」することに、どれだけ意味があるのか?という疑問である。

【最近、毎朝、したくをしながら数十分聴いている吉田照美さんの番組】

ラジオ番組で言えば、多くのファンが居て、安定した良さを聴く人が思っている中、一方ではスポンサーや経営者の意思に拠って打ち切られる。
結論を最初に言ってしまえば、そういうことだろう。
ラジオ番組の、何が良くて・何が悪かったのか?そんなことはどうやら一切関係がないようである。
小学生の頃から聴いているTBSラジオだが、かつて昼の「ストリーム」を営業車を転がしながら楽しみにしていたが、いきなり打ち切りになった時にそう思った。
ウラで何が動いたかは不明だが、番組改変は、聴く者とは無縁であるようだ。

また、街の変化や組織の改変も似たようなものだが、何かそこには強迫観念めいた、「いじらないと風化する」という思想。
普通の感覚とすれば、軌道に乗っているものは、それをそのままにすべきだが、いじくればリニューアル=活性化・UPするという思い込み。
まあ、東京という街が、そんな勘違いをしながら、記憶喪失都市であるのは、長いこと・嫌というほど見てきたが。。。

この分水嶺は、80年代という時代に始まっていて「それに組(くみ)したお前が言うな」というのも分かる。
しかし、それとこれとは違う、という感覚がしている。
80年代初期には、旧態依然としながら・守りに徹した・中身の腐ったモノへ向けて。。。
抵抗と破壊工作でありながらも、それが本当に新しい創造性として昇華されていたと、じぶんは思っている。

■Eurythmics 「シティの夜(This City Never Sleeps)」1983■


聞こえてくるのは地下鉄の音
まるで遠雷のよう
とてもたくさんの人が、この家に暮らしている
なのに、わたしはその名前さえ知らない

フィーリングだけなのね
都会ってところは

カベはあまりに薄く、呼吸さえ聞こえてきそう
耳を傾ければ、じぶんの心臓の鼓動を感じる

コメント (2)
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