こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

5月29日 月曜日 深夜 YMO「BGM」のナゾを想う夜 

2006-05-30 00:10:14 | 音楽帳
なんだか、急にYMOの「BGM」を聴きたくなって、ビールを呑みながら、聴いている。
今、3周目のCDリピートである。

25年たっても、自分には不可思議なアルバムだ。
言いたいことは山ほどある。
つらつらと、今夜の気分で適当に、思いつくままに書いてみよう。

***

僕は、この「BGM」は、完成形、という形でアルバムを作って行くというアルバム製作過程で出来ていない、ということが、この「BGM」を不可思議なものにさせていると思っている。

「テクノデリック」とは、その点において、作り方が大きく異なる。

「テクノデリック」がある意味完成された姿であるものの反対の姿を「BGM」に感じる。

モノを作る際に、絵でいうと、いつ・どこで、筆を置くか?
ということがあるが、そういった視点は捨て去られている。

極めて乱暴な筆使いの断片の集積が、このアルバムという感じを、今夜は抱く。

1981年3月21日の発売に向けた時間と様々な制約の中、最終リミット時間が切られた瞬間に、唐突に切り落とされた残骸がそのまま納まったもの=その入れ物自体を、「BGM」というパッケージにパックしたというものを感じる。それをアルバムの完成形と呼んでしまおうという、それも、数百万人の前に提示してしまおうという、何という過激な!と思える手法が取られている。

***

いろいろと時間の系列を並べていくと、実に、驚くような時空の中で、このアルバムは作られている。

1980年 YMOは、少年の胸をわくわくさせたワールドツアーに明け暮れた。
その最終地点が、
1980年12月24日~27日の武道館公演「FromTokioToTokyo」コンサートだった。

1980年12月31日 日本レコード大賞で「アルバム部門」で賞をもらったYMOは、年が明けると、この「BGM」の制作に突入する。

1981年1月15日 レコーディング開始

1981年2月14日 開始からたった1ヶ月後には、既に、このアルバムのCM、伊武さんが「YMOはニューアルバムBGMを発売します」というナレーターの不気味なCMを撮影している。 

1981年2月20日 には、レコーディングを終了している。
実質35日しか、このアルバムの録音にはかかっていないという強行軍である。

1981年3月10日 写真集 「OMIYAGE」(おみやげ)が発売。

1981年3月21日 アルバム「BGM」発売。

という流れである。
なんというスケジューリングか、と驚く。
***

◎「BGM」には歌詞カードが無い。というのも、間に合わなかったというのが真相らしい。そのため、「OMIYAGE」に収録されている。

ピーター・バラカンは、録音をする彼らと現場で打ち合わせ、仮のミックスを聞きながら、スタジオの外で、YMOの日本語歌詞を英訳していたという。

全てがぎりぎりの時間の状態で、全てが分離されながら進んでいた。このアルバムの頃から、分離して作って組み立てていくという録音手法が取られている、そのスタートであった。

◎プロデューサーである細野さんから、坂本さんは、こういう曲を作るように言われていたが、坂本さんの精神的な不調から、新曲が出来ず、タイムリミットを迎えたため、「ありもの」である「千のナイフ」「ハッピーエンド」(元々は教授のシングルで既に、この時点で出来ていた曲。ここでは、そこにダブ処理がくわえられている。)をぶちこんだ、というのも真相らしい。

◎音を壊すために、いったん音はアナログのラジカセで録音し、それをデジタルに置き換えるという作業を経ている。そのため、音がざらざらしている箇所がある。僕は、そこが、音にリアリティがあって、好きだ。

◎最初に時間=分数を決めてスタートしている。
時間が無かったというのが最大の理由ではあるが、極めて実験的な録音方法を取っている。
AB最後の曲を5:20.他を4:30と設定。
このため、幸宏得意の唐突に終わるエンディングに似た手法が効果的に出ている。
それが、この「BGM」を、いっそう不気味でリアリティある音にしているのも事実だ。

***

などなど、いろいろ湧き出る夜である。
ビールは2本目、CDは4周目に入った・・・。
好きなことには変わりないが、ナゾはいっそう深まるばかりである。

***

【写真】は、「OMIYAGE」に掲載されている、細野さんの写真。
1981年1月26日 「BGM」の録音しているスタジオで、プロフィット5を前に眠る細野さんである。
コメント (2)
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