絶望的になり、自分の行動の行方に迷った挙句、坂本さんのサウンドストリートのテープを聴くこととした。
1981年当時の陰鬱な生真面目でシャイな「教授」の放送は、悩める同時代を生きる人間としての片鱗を見せられる想いがして、遊びで聞いてんじゃねえんだよ、という気分にさせてくれる。そして昔の熱い想いに、力が湧いてくるのだ。
自分は永遠にYmoから離れられないのだろう。
1981年夏休み明け初めての放送となる、この8月18日放送。
教授のガラガラの暗い声で始まる。
「フォトムジーム」が最初に流れた。(当時はまだ名前が付いてはいなかったが)
1ヶ月以上開いた間に来たはがきを読みながら曲をかけていく日。
1・スパンダー・バレエ チャントNO.1
2・トニー・ベイジル ミッキー
今では、お笑いのゴリエが踊ってヒットという馬鹿げた事態になってしまった「ミッキー」。この曲を初めて聴いたのはこの放送。アメリカでヒットしたのは、これより1年くらいブランクあったと思う。ということは、発売当初は、相当マイナーな出方だったのかもしれない。
3・分からない・・・・・BGMでかかった電子音楽、これがイイのだが、誰か分からない。
*ソロアルバム製作中(左うでの夢)ということで、相当疲れていたのかもしれない。「この放送がされる頃には完成していなくてはいけない・・。」
*宮崎美子のLP制作に2曲参加→いまだ聞いたことが無い。
*8月終わりからYmoシングルとLPの録音。
それが10月頭に終わり、11月21日に発売予定。→テクノデリックのこと。
*Ymoウィンターツアーの話題。
*土屋昌巳のLPをプロデュースをするという話→結果ボツになった、というか2人の関係はこの後決裂する。
*Japanが8月に来る予定が来れなくなってしまい、11月に来る。
半年間日本に住むという話→結果ボツになった。
*新潮文庫のCMの話題。→出演&曲。コピー「坂本君、でっかいことをやろうじゃないか」
*中国女のフランス語は誰?という質問。→アルファレコードの社長秘書の「エベ」さん。Ymoファンには重要事項。詳細は「電子音楽InJapan」に掲載されているので参照のこと。
4・マガジン AboutTheWeather
5・<ブリッジ>クラフトワーク ナンバーズ
6・ペンギン・カフェ・オーケストラ Telephone and Rubber Band
7・ペンギン・カフェ・オーケストラ Walk, Don't Run(原曲 ベンチャーズ)
*ペンギン・カフェは、まだ人気になるブレイク前。幸宏、鈴木慶一などとひそかに盛り上がっていたという。ミュージック・マガジンで記事としてスポットを当てられたのは1981年11月号であった。【写真】
*7を聞いて「うう、イイ曲!涙がでちゃう」という教授。幼い頃のベンチャーズを思い出すという。
*「へんたいよい子」集会の話題。
*「4週間とかぶッ続けでYmo座談会やろうとか思っているんだけど・・。」→実現。来週以降2週間に渡り放送になった。
8・ブラック・ウフルー アイ・ラブ・キング・セラミー
9・坂本龍一 フォトムジーク(ダブ・バージョン)【未だメディア化されていない】
*昨日も夜中3時くらいまで「左うでの夢」の録音ということで「盛り上がり切らぬまま、今週は終わります」。
1981年当時の陰鬱な生真面目でシャイな「教授」の放送は、悩める同時代を生きる人間としての片鱗を見せられる想いがして、遊びで聞いてんじゃねえんだよ、という気分にさせてくれる。そして昔の熱い想いに、力が湧いてくるのだ。
自分は永遠にYmoから離れられないのだろう。
1981年夏休み明け初めての放送となる、この8月18日放送。
教授のガラガラの暗い声で始まる。
「フォトムジーム」が最初に流れた。(当時はまだ名前が付いてはいなかったが)
1ヶ月以上開いた間に来たはがきを読みながら曲をかけていく日。
1・スパンダー・バレエ チャントNO.1
2・トニー・ベイジル ミッキー
今では、お笑いのゴリエが踊ってヒットという馬鹿げた事態になってしまった「ミッキー」。この曲を初めて聴いたのはこの放送。アメリカでヒットしたのは、これより1年くらいブランクあったと思う。ということは、発売当初は、相当マイナーな出方だったのかもしれない。
3・分からない・・・・・BGMでかかった電子音楽、これがイイのだが、誰か分からない。
*ソロアルバム製作中(左うでの夢)ということで、相当疲れていたのかもしれない。「この放送がされる頃には完成していなくてはいけない・・。」
*宮崎美子のLP制作に2曲参加→いまだ聞いたことが無い。
*8月終わりからYmoシングルとLPの録音。
それが10月頭に終わり、11月21日に発売予定。→テクノデリックのこと。
*Ymoウィンターツアーの話題。
*土屋昌巳のLPをプロデュースをするという話→結果ボツになった、というか2人の関係はこの後決裂する。
*Japanが8月に来る予定が来れなくなってしまい、11月に来る。
半年間日本に住むという話→結果ボツになった。
*新潮文庫のCMの話題。→出演&曲。コピー「坂本君、でっかいことをやろうじゃないか」
*中国女のフランス語は誰?という質問。→アルファレコードの社長秘書の「エベ」さん。Ymoファンには重要事項。詳細は「電子音楽InJapan」に掲載されているので参照のこと。
4・マガジン AboutTheWeather
5・<ブリッジ>クラフトワーク ナンバーズ
6・ペンギン・カフェ・オーケストラ Telephone and Rubber Band
7・ペンギン・カフェ・オーケストラ Walk, Don't Run(原曲 ベンチャーズ)
*ペンギン・カフェは、まだ人気になるブレイク前。幸宏、鈴木慶一などとひそかに盛り上がっていたという。ミュージック・マガジンで記事としてスポットを当てられたのは1981年11月号であった。【写真】
*7を聞いて「うう、イイ曲!涙がでちゃう」という教授。幼い頃のベンチャーズを思い出すという。
*「へんたいよい子」集会の話題。
*「4週間とかぶッ続けでYmo座談会やろうとか思っているんだけど・・。」→実現。来週以降2週間に渡り放送になった。
8・ブラック・ウフルー アイ・ラブ・キング・セラミー
9・坂本龍一 フォトムジーク(ダブ・バージョン)【未だメディア化されていない】
*昨日も夜中3時くらいまで「左うでの夢」の録音ということで「盛り上がり切らぬまま、今週は終わります」。