こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

9月23日 金曜日【祝日】 スズムシの鳴く夜。 1990年の秋を静かに想う。

2005-09-23 21:14:35 | 音楽帳
休みの夜、窓を開けてスズムシさんの鳴くイイ声を入れながら、ビールを飲みつつ、じっくり音楽を聴く。

社会に放り出される寸前、つまりは大学4年生の秋(1990年)に聞いていたと思われる音楽を聴いていた。
社会にでなければいけない前夜の妙な静けさのあった15年前の秋の夜を想う。


●Peter Gabriel - Mercy Street (アルバム「So」から '86)
神妙な静けさのある曲。虫たちの音色が聞こえてくる。

●Enya-Storms in africa (アルバム「ウォーターマーク」から '88)
これも静かな中にエネルギーを持った大地の音のような曲。

●prince - under the cherry moon ('86.05.19日本発売)
まさに月夜に聞くべき、月の持つ狂気を表現したピアノ曲。
クロスオーバーイレブンでやったプリンス特集で初めて聞いた。

●Kate Bush - Heads We're Dancing (アルバム「センシュアル・ワールド」より '89)
ミック・カーンのフレットレスベースが走り、うるわしのケイト・ブッシュのボーカルと絡み合う。

●David Sylvian - Let The Happiness In(アルバム「The Secret Of Beehive」より '87)
「幸せを招きいれよう・・・」

●Fleetwood Mac - Seven wonders ('87.07.04アメリカンチャートイン)
大学時代にはとにかくよく聞いた曲だった。メロディの美しさが光る。エロティックでロマンティックなフレーズ。
【写真】はこの曲の入ったアルバム「タンゴ・イン・ザ・ナイト」。
ジャケットが美しい。

●Depeche Mode - Policy of Truth (アルバム「ヴァイオレーター」より '90)
80年代後期DMの最後の名曲。
一番初めに聞いたのは'89年末、FM-NHKで渋谷陽一が振り返った'89/'90年代に向けての特別番組にてかかったものだった気がする。

●Happy Mondays - Step On ('90)
新しい人を受け入れていなかった自分が、珍しく(当時)新しく知った新人バンド。この曲はPOPで良い。だが、上記の「かたちんば」趣味の曲調からは大幅に外れる。この曲を知ったのは、当時FMでやっていたスネークマンショー。

●Prince - Lady Cab Driver (アルバム「1999」より '82.10日本発売)
古い曲だが、これもプリンス特集で久々に聞いて記憶に強い曲。
「1999」には、長い曲が入っているが、この曲も8:19という長さがあるが、その長さを感じさせない。
ニューヨークの雑踏の音に始まり「ヘイ、タクシー!タクシー!」とタクシーを止めようとする声と共に始まる。
ファンキーなギター、シーラEと思わせるSexyなあえぎ声のコーラス、古時計のボンボンボンと鳴る音のSE、象の鳴き声など・・・様々な音を絡ませながら、次々に展開していく。天才プリンスの名盤。
コメント (9)
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9月21日 水曜日 昭島 アメリカ村~国立「とん金」~BOOKOFF

2005-09-23 16:54:16 | 音楽帳
交通安全週間なのか、警官がえらく目立つ日だ。

ラジオには今日も泉麻人さん。
高校2年で、ナーバスであった性格+強い酒の飲酒で十二指腸潰瘍になり、入院したという。
(かたちんばの私は、神経症が元で、胃潰瘍で、高校2年に入院したが)

立川を運転しているうち、間違った路に入り、気が付くと、「アメリカ村」なるものに入りこんでしまった。「私有地につき立ち入り禁止」とそこらじゅう書いてある。
細野さんのホソノハウスの世界だ。「恋は桃色」のような福生の世界だ。
私は無断で、2~3枚写真を撮る。

・・・・その後、国立に移動して仕事。

昼、「とん金」にてとんかつ定食を食す。肉が固くてよくない。
食べた後知るが「上とんかつ」というのがあるという。じゃあ、私が食べたのは「下とんかつ」か?200円の違いなら上にしたかったなあ。

昼食後、時間が空いたので、国立のBOOKOFFに入る。ちょっとだけ見よう、と思っていたのが、いつものごとく1時間コース。
仕事も忘れて、CDのえさ箱をさぐる。

4枚購入
●Human League  「オクトパス」 '95 250円
●シンプルマインズ 「Sons&Fascination」 '81 750円
●ディップ・イン・ザ・プール 「オーロリー」 '91 250円
●深町 純 「シビライゼイション」 '99 1000円


午後、営業の仕事を続けるが、40近くになって、仕事先にしかられ、冷や汗かいて、もんもんもん。まるでドラマの中のシーンのようだ。
何をやってるんだか・・。と空を見てしまう。


夕方、ラジオで白羽玲子「愛はかげろう」が流れる。
なつかしい。雅夢の曲のカバーだ。いい。CDシングル欲しい。

昼、きっちり食べたのに、夕方お腹が空いてどうしようも無くなり、コンビニエンスストアでコロッケパンとピザパンを買って、クルマで頬張った。

会社に戻り、仕事を続けるが、思考が思考を追いかける悪循環の精神的不調に陥る。急激に頭がつらくなってきて調子悪く、帰ることとした。
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スケッチブック : 浅草のうんこビル(アサヒビール本社)

2005-09-23 15:58:12 | スケッチブック
これも2002年の手帳にあった。

毎年正月は必ず浅草に行く。
また普段もたまにぶらりといく。

元々、三ノ輪の生まれなので、空気はよくわかる地だ。

行くと必ず、このうんこビルは写真に撮る。もはや浅草のシンボルになってしまった感がある。
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スケッチブック :~東京ウィークエンド~

2005-09-23 15:39:29 | スケッチブック
ゴミのチラシの山から拾い出してハサミとノリでノートに切り貼り(コラージュ)するということをよくやる。

今朝出てきた2002年のダイアリー手帳を開いたらこんなページがあった。
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写真日和:今の画面

2005-09-23 08:42:34 | 写真日和
買って1年もたたない愛用のVAIOちゃん。
モニターだけは古いの使ってますが。

しかし、まあ下品な画面(壁紙)ですな。(と言われそうで怖い。)
壁紙が、うるわしい伊東美咲さんになって3ヶ月くらいかな。
前は、ハワイの空の写真を載せていたのですが、パソコンの不調の際に、飛んでしまったもので。今はこうなってますねん。

TVはこうして、パソコンで見るようになってしまったです。
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写真日和:沖縄の 風と海

2005-09-23 08:29:45 | 写真日和
今日、9月23日は祝日で休みです。

が、相変わらず、寝ても調子悪くて、ロクに寝ないで起きる。
不調が続き、急に、狭苦しい所にいる気分。
開放されたい。

朝、夏の沖縄旅行の写真をめくっていたら、気分がすっと晴れてきた。
覆いかぶさってくるものの少ない、風がいつも、ぼぉ~ぼぉ~吹きすさぶ、あの自由な空気に自分の身をさらす感じを思い出したんだ。

【写真】は夕暮れ時の海。
静かで、もの想いには絶好のときだった。
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かたちんばの「告白」

2005-09-23 00:48:28 | 想い出かたちんば
毎週、楽しみししていたドラマ「電車男」が、今晩、終わってしまった。

しかし、ドラマとしてというより、2人<エルメスと電車男>のシーンに、色んな過去がダブって「フラッシュバック」してしまった。

私は、何はどうあれ結果的に現在は「電車男」のネット住人と同じ、毒男=独身男 である。
但し、それはそれで、ああいうシーンもあったなということを、思い出すつもりもなかったのだが、様々な「瞬間」を思い出してしまったのである。

伊東美咲さんのエルメスの可愛さにノックアウトされながら、「好きって言ったらもっと好きになっちゃいました 」というセリフにグッときてしまった。

(bluegoldさんも同様の事を言っていた。同じくして、グッときた人も多いだろう・・)

これを聞いて、今は亡き、愛する中島らもさんの本の「大好きな」名文を思い出した。
らもさんでなければ言えない(もしくは、糸井重里さんくらいか?)痛く、痛い、重い、コトバだ。

あんな瞬間が自分のようなかたちんばにもあった。永遠のような停止した瞬間が。
もう戻ることない、一瞬の、瞬間が。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
・・・恋におちてしまうのは僕の責任ではないのだ。

そいつはいつも、何の予兆も無くいきなりやってくる。

チャイムを鳴らしてくれれば逃げる手もあるのだが、散歩に行こうとドアを開けると、いきなりそこにヌッと立っているのだ。
アッと思ったときはもう遅い。

・・・そうやって恋に落ちるたびに、僕はいつもボロボロになってしまう。
何日も家に帰らない。
熱でうなされたようになって、相手への想いではちきれんばかりの頭を抱え、ただただ夜の街をほっつき歩いているのだ。
そのへん、恋というのは病気に似ている。

・・・そんな風に、目に見えない力に引き裂かれるような想いで、痛い痛い夜々を過ごすのけれど、それに対する報いというものは何もない。

・・・「恋愛は日常に対して垂直に立っている」と言い換えても間違えでは無い。
極端に言えば、恋愛というのは一瞬のものでしかないのかもしれまい。

唇と唇が初めて触れ合う至高の一瞬、そこですべてが完結してしまい、
それ以外は日常という散文への地獄下りなのだ。

ただし、その一瞬は永遠をはらんでる。

その一瞬は、通常の時間軸に対して垂直に屹立していて、その無限の拡がりの中に
この世とは別の宇宙がまた一つ存在しているのだ。

・・・今夜、街のどこかで向かい合っている唇と唇の間の何センチかの中に、
永遠の時間と、無限の距離と、そして無数の激痛をともなう夜々がうずまっているだろう。

・・・金輪際ごめんだと思っているにもかかわらず(恋を)またやってしまう。
そのへん、恋は二日酔いに似ている。
しかし、言い訳では無いけれど、こういうことなのかもしれない。

もし、誰をも愛していないとしたら、結局僕は「居ない」のだ。
闇の中で、「想い」だけが僕の姿を照らしてくれているような気がする。
それ以外のときは僕は一個の闇であり、一個の不在でしかない。

そのへん、恋は灯台に似ているようだ。

(中島らも「恋は底ぢから」より)
コメント (4)
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