京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

奈良興福寺 東金堂

2021年07月13日 09時13分00秒 | 日記
 興福寺国宝館の後に東金堂を拝観しました。



 過去6度にわたる焼失・再建を繰り返し、平成30年(2018)再建された中金堂の東にある事から東金堂と言われています。

創建は神亀3年(726)に聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気回復を願い造立された薬師如来坐像をご本尊とします。





創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ薬師瑠璃如来の世界が広がっていたそうです。



 

しかし、創建以来5度にわたる被災、再建を繰り返し、今の建物は室町時代応永22年(1415)に再建されたものです。





左側の写真は東金堂のご本尊薬師如来坐像(重文・室町時代)と右側の写真の脇侍日光・月光菩薩立像(重文・白鳳時代)です。

薬師如来坐像の制作方法は土型原型による銅造仏です。

また、日光・月光菩薩立像は飛鳥の山田寺に安置されるために造られた像で、12世紀に東金堂に移された像です。
ご本尊と制作年代が異なる訳です。



ご本尊の薬師如来坐像を守護する四天王立像(国宝・平安神宮)です。
四天王にふさわしい力感、どっしりとした重量感を感じます。

四天王本体、岩座、邪気まで檜材による一木造りです。

右側の写真は維摩居士坐像と文殊菩薩坐像(ともに国宝・鎌倉時代)です。

維摩居士坐像は慶派仏師定慶による制作、幸円による彩色が施されています。
文殊菩薩坐像も同じ定慶の作と考えられているそうです。



十二神将立像(国宝・鎌倉時代)です。
ご本尊の薬師如来坐のをお守りする守護神12躰です。

鎌倉時代の十二神将が一躰も欠ける事なく現存しているのは極めて貴重です。

各像の頭上には十二の支獣がのり、薬師如来坐像の周りを守護しています。








境内には、五重塔や南円堂、北円堂、三重塔が残り、五重塔を除き、定期的に公開されています。







奈良興福寺 国宝館

2021年07月12日 10時16分00秒 | 日記
 和銅3年(710)の平城京遷都と時を同じくして興福寺も平城京左京三条七坊に創建された藤原氏の氏寺です。

天平文化のみならず平安、鎌倉時代を代表する多くの文化財が保存、展示されています。





現在の国宝館は昭和34年に食堂の跡地に建てられました。
地下には旧食堂の遺構が保存されているそうです。



2018年には耐震補強や展示方法の見直しなど大規模なリニューアルが行われました。ガラスケース越しではなく、よりリアルに見える様になりました。







旧食堂のご本尊千手観音菩薩立像(国宝・鎌倉時代)が展示室のセンターにおられます。
像高が520cmもあり圧倒的な存在感です。




天燈鬼立像と龍燈鬼立像(ともに国宝・鎌倉時代)は過去に切手の図柄に採用されたので年配の方なら覚えておられる方もおられると思います。











馴染みのある銅造の仏頭(国宝・白鳳時代)です。
応永18年(1411)の火災で胴体が失われてしまいましたが、この如来さまのお顔だけでも残ったのは奇跡的な事と思います。

白鳳時代にこれだけの仏像を作れる技術を持った仏師がおられたのは驚きです。
鞍作止利を中心とした渡来系の仏師による制作なのでしょうね。

もとは天武天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂の供養の為に天武14年(685)に制作れた仏像で年代が記録に残ると貴重な仏頭です。



こちらも過去に切手になっています。





脱活乾漆造十大弟子立像(国宝・奈良時代)

奈良時代独特の仏像制作技法・脱活乾漆造で制作され、平安時代になると一木造が、鎌倉時代になると寄木造が主流となって行きます。

技法についてはパンフレットの解説を参照して下さい。



脱乾漆造八部衆立像(国宝・奈良時代)

説明にあるように八部衆はもとはインドの神々で後に仏教に取り込まれ守護神になりました。
仏教の懐の深さを思います。
再三の火災にも関わらず救い出されたのは脱乾漆造で重さが15kgと軽い事が幸いしたようです。





他の寺院の阿修羅像が憤怒相なのに対していて、仏教の守護神にしては少年の様な表示の柔和なお顔をされています。
その表情には"懺悔"と言う仏教で重要な宗教行為が反映サレていると言われています。



展示されている仏像がすべて国宝や重要文化財で白鳳時代から鎌倉時代への仏像の変遷過程がよく分かる展示内容です。

奈良に来られたら是非に見て頂きたい「興福寺国宝館」です。












梅宮大社の神苑(花菖蒲・紫陽花)

2021年07月11日 06時54分00秒 | 日記
 阪急「松尾大社駅」を下車し、東に徒歩で約10分のところに梅宮大社が鎮座されています。







「酒造の祖神」として知られる梅宮大社ですが、境内摂社や末社には「授子の神」、「安産の守護神」、「縁結びの神」、「学業の神」、「音楽芸能の神」がお祀りされ多くのご利益があるようです。









御朱印や神苑の受付には猫がいて、参拝者の人気者になっていて、受付ではブロマイドまで売られている程です。



御本殿のよこに鎮座されている「またげ石」です。
詳しい由緒はわからないそうですが、この石をまたぐと子宝に恵まれると言われています。

平安時代の嵯峨天皇の妃・檀林皇后がこの石をまたがれたところ皇子(後の仁明天皇)を授かったと伝えられています。

神社ではご夫婦一緒に「子授けの祈祷」を受けたご夫婦のみ案内しているそうです。

もはや、永遠に見る事はないですね!













池の畔には色とりどりの花菖蒲が咲いています。まだ蕾が多く平安神宮の神苑に比べ遅い感じです。



睡蓮を期待して来ましたがまだ、蕾ができる途中の状態で開花はもう少し後になるようです。






ここ梅津は王朝時代には公家により多くの別荘が営まれた場所です。
さくや池の島にある「池中亭茶室」は江戸時代嘉永4年に建築された茶室です。

昭和60年の「京の冬の旅」の観光バスでの周遊「わびコース」に組み込まれ公開されましたが、それ以来公開がないのは残念ですね。





















紫陽花苑はまだまだ見頃が続いているのには驚きですね。
一体、何種類の紫陽花が植えられているのでしょうか?
ひとつひとつが「世界にひとつだけの花」なのを感じました。



時々、雨が降るような天気の中、カタツムリ君は元気に活動していました。







最後に御朱印を授与して頂きました。








新門前 米村

2021年07月10日 07時41分00秒 | 日記
 7月5日は京都「新門前 米村」さんにランチを頂きに来ました。








長らく祇園で「レストラン よねむら」をされていましたが閉店され、2019年5月にこちら新門前通に新たにお店を出されました。

暖簾は同じ新門前通にある「染司よしおか」の先代吉岡幸雄さんに染めて作って頂いた暖簾だそうです。

フードライターの関谷絵里のブログで、その評判は知っていましたが今回が初訪問です。

"今日のメニュー"の初めにオーナーシェフ米村さんの「決して枠に縛られないで、変幻自在でいられることを大切に考えています。」の言葉があり期待が膨らみます。





料理は昼も夜もコース料理が2種のみです。

この日の昼メニューです。
・毛蟹となめこのガスパチョ
・アミューズ5種盛り
 味噌漬けホワイトアスパラガスの瞬間
 燻製
 抹茶ブリオッシュのサンドウィッチ
 白エビのトマトファルシー
 漬けマグロのカナッペ
 フォアグラソテー
・ハマグリのグラタン
・ビーフシチューとウドの天ぷら
・カレイとタコのサラダ 葉ワサビの
 ソース
・甘鯛とじゅんさい すっぽんのスープ
・鱧とホタテ貝柱 タルタルとエンドウ豆
 のピューレ
・ヤリイカ、ウニ、キャビアの冷製パスタ
・黒毛和牛
・デザート





・毛蟹となめこのガスパチョ
毛蟹の身の甘さとトマトソースの酸味の調和がちょうどいい案配です。











「アミューズ5種盛り」
どれも食べたことの無い味わい!
夢中で頂きました。







オーストリア産のトリュフです。
今の時期、秋口にあたるオーストリア産が最も香りがいいそうです。



「ハマグリのグラタン」
一枚板のカウンターに置かれたトリュフが気になっていましたが、グラタンの上にこれでもかと言うほど、削って下さいます。

ハマグリの旨味とトリュフの香りのハーモニー、、、素晴らしく美味しかったです。







「ビーフシチューとウドの天ぷら」
仕上げにキャベツとカリフラワーの泡がかけられます。
シチューが美味しいのは無論ですが、その下にはリゾットが隠れています。
リゾット単品でもメニューに入れてもいい程の美味しさです。









「カレイとタコのサラダ 葉ワサビのソース」

魚卵に見えるのは"海藤花(かいとうげ)"と言われるタコの卵です。
産卵期の蛸壺漁の時に取れるようです。
プチプチの食感がいいです。









「甘鯛とじゅんさい すっぽんのスープ」

この時期にしか収穫されない貴重なじゅんさいです。
かっては瓶詰めされたじゅんさいをよく見かけましたが今やお目にかかる事はないですね。

甘鯛は京都では"ぐじ"と呼ばれ珍重される魚です。皮目はパリパリ、中身はジューシー、、、絶妙な焼物です。

甘鯛を頂き、すっぽんのスープを半分程頂いた後に、残りのスープをじゅんさいの中に入れて頂きます。
見事に"味変"します。

器に口がある意味が分かりました。









「鱧とホタテ貝柱 タルタルとエンドウ豆のピューレ」



ホタテ貝柱の大きさに驚きます‼️
直径5cmはあるでしょうか❓その上には"鱧のたたき"が載っています。

鱧と言えば、湯引きか、鍋しか知りませんでした。
食感を良くするために丁寧に骨切りされるのはもちろんですが皮引きまでされています。









「ヤリイカ、ウニ、キャビアの冷製パスタ」

具材を全て入れ、軽く混ぜて頂いて下さいとの事。









・「黒毛和牛」
向かって右には鹿児島牛の"かいのみ"、左には仙台牛のフィレ。
それにヤングコーンとズッキーニが添えられています。

ソースは、ポン酢、ガーリックピーナッツバター、醤油の3種類です。

肉の旨味を味わうならやはり岩塩ですね。





最後にカレーライスかちりめん山椒のご飯を選択できます。
「レストラン よねむら」から評判のカレーを選択。
こちらは祇園花見小路のショップでも購入でき、また、お取り寄せも出来ます。







「デザート」
まさに"デザートの玉手箱"です。

最後にコーヒーを頂きコースは終了です。
よく食べる方の僕でさえ満腹状態です。
女性の一部の方は持ち帰り用の箱をお願いしていました。
紙袋にはちゃんと保冷剤も入っていて気配りを感じます。




































達磨寺 聖徳太子御遺跡⑬

2021年07月08日 07時48分00秒 | 日記
 7月3日の最終は奈良県王寺町にある達磨寺です。寺名からわかるように臨済宗の寺院(南禅寺派)です。


寺伝によると聖徳太子が推古天皇21年に片岡に遊行された際、ひとりの異人が飢餓に苦しんでいました。太子は衣食を与え一首の和歌を詠んで去られました。
しかし、翌日にその異人は亡くなり太子は側近に厚く葬るようき命じられました。

ところが、その屍を検視すると屍はなく、衣服だけが棺上に残されていました。

世間の人々は達磨の化身と驚き、達磨塚を築いて太子自刻の達磨の木造を安置したのが始まりと伝わります。









達磨寺方丈(江戸時代)と庭園です。

次に本堂にお祀りします。
現在の本堂は平成16年に落慶した新しい本堂で、通常は閉められていますが土曜日、日曜日は地元ボランティアガイドの方々の協力で、開けられています。









ご本尊は木像千手千眼観音坐像(室町時代)を中心に左には達磨大師坐像(室町時代・重文)が右には聖徳太子坐像(鎌倉時代・重文)がお祀りされています。





「達磨寺出土石塔及び舎利容疑」(鎌倉時代)
現本堂建替えに伴う発掘で平成14年に発見されました。
その時に出土した水晶製五輪塔型舎利容器が遺構の真上にお祀りされています。







このお寺を有名にしているのは聖徳太子の愛犬「雪丸」のお墓がある為でしょう。
「雪丸」は人の言葉が理解でき、お経を読み、臨終の際には「達磨塚の丑寅の方角(北東)に葬るように」と遺言したと伝わります。





また、境内には松永久秀の墓があります。
天正15年(1577)に信貴山城で自害した際、筒井氏が首級を持ち帰り、ここに埋葬したと伝わります。
墓石には「松永弾正久秀」「天正五年十月十日」と刻まれていたと伝わります。
また、形が"無縫塔"の型をしているのが不思議ですね。





最後に御朱印を授与して頂き、帰宅の途につきました。

ちゃんと「雪丸」の御朱印まであるのですね。