京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

京都モダン建築祭② 京都芸術センター(元明倫小学校)

2022年12月31日 07時43分00秒 | 日記
 元成徳中学校から現在は京都芸術センターとして使われている元明倫小学校へ来ました。







明治2年(1869)に京都の町衆たちの力で開校した明倫小学校が母体となった施設です。

平成5年(1993)年に閉校になり、京都市、アーティスト、その他に芸術活動をする人達が連携し京都市の芸術活動の拠点として平成12年(2000)に開設された施設です。













① ジャンルを問わない若い世代の芸術家の制作活動の支援。

② さまざまなメディアを用いた、芸術文化に関する情報の収集と発信。

③ 芸術家と市民あるいは芸術家相互の合流の促進。

以上のコンセプトのもと京都市芸術文化センターが指定管理者となり活動されています。







京都の町衆の心意気を感じる立派な小学校です。

次に旧寺村家住宅に向かいます。






京都モダン建築祭① 元成徳中学校

2022年12月30日 07時44分00秒 | 日記
 今回からは暫く2022.11.11〜13日まで開催された「京都モダン建築祭」の記事を書く予定です。





最初に訪れたのが「元成徳中学校」です。
下京区烏丸高辻西入ルにあり、祇園祭の際には周りに鉾町が多くあり大変賑わうエリアです。



昭和6年(1931)竣工の元成徳中学校の校舎が残され、現在も事務所や文化施設として現役で使われています。

僕が賛助会員として所属している「京都文化協会」の事務局もこちらにあります。
平常時でも見学出来るので"特別感"はありませんが、建物の外観や内装などじっくりと見学した事が無かったのでいい機会になりました。









外観や階段周りには重厚感があります。











懐かしい雰囲気が漂う校内です。

次に京都芸術センター(元明倫小学校)に向かいます。









妙心寺② 退蔵院方丈襖絵プロジェクト 壽聖院

2022年12月29日 08時47分00秒 | 日記
 12月25日、妙心寺退蔵院を拝観前に同じく山内塔頭のひとつ壽聖院を拝観しました。







壽聖院は慶長4年(1599)に石田三成公が父正継公の菩提を弔う為に建立した寺院です。

境内には石田三成一族の供養塔が建立されています。





創建当時は現在の敷地の4倍を有し、客殿の軒先瓦には、金箔瓦が葺かれ妙心寺山内で最も豪華なお寺だったそうです。

しかし、関ヶ原の戦いで三成率いる西軍が敗れ、敷地は4分の1に縮小されてしまいましたが今日まで法脈を繋いでいます。



2011年に退蔵院方丈襖絵プロジェクトの「絵師」として採用された村林由貴さんが壽聖院とご縁を頂き奉納されたのが方丈、書院の襖絵です。









このプロジェクトに関心があり壽聖院の襖絵鑑賞ツアーにも参加しています。

壽聖院はそれまでは全くの非公開寺院でしたが来年度のNHKの大河ドラマ「どうする徳川家康」にちなみ来年1月7日から始まる「京の冬の旅」で初めて一般公開されます。











その時は村林さんがご自身で今まで練習してこられた雀の絵が描かれた巻物や奉納された襖絵の説明をされました。



巻物には百羽もの雀が描かれ、一羽一羽には名前が付けられていました。

大学では水墨画の勉強はしてこなかったとのことでしたが、雀の一瞬を捉えて描かれた絵には彼女の才能を感じたのを覚えています。

その後、退蔵院方丈の襖絵の構想を描く工程で大変なご苦労をされたようです。



寺宝に「石田正継像」(重要文化財)をお持ちですが傷みが激しく修復するにクラウドファンディングで募金を募られています。





狩野永徳が設計したと伝わる庭園です。
写真では見えませんが、中ほどには瓢箪型の池があります。

瓢箪は三成の主君・秀吉の馬印です。
ここにも三成の秀吉に対する忠誠心が表れているように思います。

石田三成公に対しては様々に言われていますが、一途に私利私欲なく主君の秀吉公や豊臣家の事を第一に考えていた人物の様に思います。











生まれるのが少し早すぎたのかも知れないですね。
徳川の泰平な時代に生まれ、取り立てられていたら非常に有能な官僚だった事と思います。




妙心寺① 退蔵院方丈襖絵プロジェクト

2022年12月28日 08時14分00秒 | 日記
 12月26日は妙心寺退蔵院へ。

11年前から「退蔵院方丈襖絵プロジェクト」に注目し、「絵師」となった村林由貴さんの動向に注目して来ました。

僕にとっても今回の方丈襖絵完成は感慨深いものです。





今から約11年前に重要文化財である退蔵院方丈の襖絵76面全てを新調するプロジェクトを立ち上げられました。



新たに現代の「絵師」に選ばれたのが京都造形芸術大学(現京都芸術大学)大学院を卒業されたばかりの村林由貴さんです。



寺に住み込み、禅では最も重視される"作務"や"坐禅"を通して「禅の精神」を体得し、方丈襖絵を描くと言う一大プロジェクトです。

紙や筆、炭、胡粉をはじめ絵の具など現在で手に入る最高の物が準備されました。

当初の計画では三年間の予定でしたが、なんと11年もの歳月を費やして完成した"彼女の魂と根気、努力、負けん気、、、半生を賭けたとも言っても過言ではない大作"です。

① 「鳳凰圖」


令和3年1月27日には庫裡玄関に奉納された「鳳凰圖」です。

玄関とは「玄々たる関門」が略されたもので退蔵院の庫裡もかっては"お寺の台所"でしたが、現在ではその機能を失い"玄関"として使われています。(通常非公開)

今回の公開(12月24日から1月9日)ではこちらの庫裡の玄関から入り方丈の襖絵を鑑賞するコースになっています。

② 方丈襖絵





③ 退蔵院方丈襖絵プロジェクトのパンフレット





重要文化財の方丈を飾るに相応しい水墨画で、余白の使い方や襖何枚もにも及ぶ力強いく、かつ生命力溢れた松の木、そして彼女が何度も練習していた鳥など、、、これから何百年も守り伝えられ、退蔵院の"顔"になる事でしょう。

「絵師」になって二年間は妙心寺山内塔頭「壽聖院」の襖絵を奉納するなど順風満帆に思えていましたが、その後は退蔵院の襖絵に対する重圧に長い間スランプに陥ったり、自分を見失う様な経験をされたと漏れ聞きます。

退蔵院からアトリエを龍安寺に変えたり、ひとり旅に出て自分を見つめ直したりと彼女にしては試行錯誤の連続だったと推察します。

76面もの襖絵を描き上げた充実感、達成感は彼女を一回りも二回りも人間として成長させた事でしょう。

お疲れ様でした。
暫くは身体と精神の栄養をたっぷりに取り次のステップに進んで貰いたいものです。

③ 元信の庭





江戸時代の絵師集団を率いた狩野派二代狩野元信が作庭したと言われる庭園です。

常緑樹と白砂と石組で作庭された枯山水庭園です。

狩野派、あるいは退蔵院の繁栄を願って作庭されたのでしょうか?

④ 国宝「瓢鮎図」如拙筆



退蔵院を代表する寺宝です。

賛は小さな瓢箪の中に如何にして"なまず"を入れるかを問うた禅問答が書かれています。

方丈にあるのはレプリカでオリジナルは京都国立博物館に寄託されています。

⑤ 余香苑











島根県にある足立美術館の庭園を作庭され"昭和の小堀遠州"と謳われた名作庭家・中根金作氏により昭和40年(1965)に作庭されました。

春の桜、5月の藤、夏の蓮、秋の紅葉、冬の雪景色と四季を通して楽しめる庭園です。

立地の高低差を巧みに利用し、あたかも庭園のはるか奥から水が流れて来てるかのように奥行き感のある庭園です。



当時、中根金作さんは妙心寺北総門の近くに住んでおられ、お孫さんの幼稚園の送り迎えに退蔵院の前を毎日のように通われていたそうです。

退蔵院の先代のご住職がお声をかけられて作庭を依頼されたのが「余香苑」誕生の"ご縁"となっています。

⑤ 大休菴







お抹茶席をはじめ、坐禅道場として使われています。





室内の障子には"瓢箪"が、菓子には"なまず"が、、、瓢鮎図の世界に居るかの如くですね。



いつ訪れても魅力溢れる退蔵院です。








松殿山荘(宇治市) 特別見学会

2022年12月27日 08時12分00秒 | 日記
 久しぶりの京都の記事です。
11月23日は京都府宇治市木幡にある「松殿山荘」の特別見学会に参加しました。







松殿山荘のある地は約900年前に時の関白藤原基房が別荘・松殿(まつどの)を営んでいたところです。
(藤原基房は"松殿"と別称されていました。)

大正7年(1918)にこの地を買い求めた山荘流の流祖・高谷宗範は茶道の起源の"広間の茶"、"書院式の茶道"を復興を目的に茶道道場「松殿山荘」を造り上げました。
3.5万坪の広大な敷地に17もの茶室を設けた近代数寄屋建築の傑作のひとつです。

先日まで京都国立博物館で開催されていた特別展「京に生きる文化 茶の湯」展でも野村徳七や住友吉左衛門(友純、号は春翠)らと並び"近代の数寄者"のひとりとして紹介されていました。

① 大書院







先ず通されたのが大書院です。
30畳の広間で床柱は天王寺屋五兵衛居宅の大黒柱を削ったもので、鴨居は節なしの五間通しの栂材が使われていて、使われている材にも宗範のこだわりを感じます。

② 蓮斎












久しぶりの濃茶席です。

コロナで茶碗の回し飲みが出来ないので、ひとりひとりに濃茶が練られます。
お正客の席に着いてしまったので、お手前された濃茶を頂きました。

お薄とは違い、お茶の風味や味わいが全然違います。
久しぶりに頂きました。

濃茶席が設けられた十畳の茶室「蓮斎」は円形状に造られた蓮池に浮かぶかのように建てられています。
(残念ながら、現在では水は貯まらないそうです。)

その後、宗範のひ孫さんで公益財団法人松殿山荘茶道会の代表理事をされている平岡巳津夫山荘内から建物内部の案内をして頂きました。

③ 中書院









非常に凝った意匠が施されていて違い棚は桂離宮の「霞棚」を模したものですが、左右を反対にしています。

④ 瑞風軒









室内からの眺望は素晴らしく、また、縁側の天井には数寄屋造の長いひさしが庭園まで伸びています。

⑤ 眺望閣







眺望閣の二階は十八畳の立礼席になっていて、比叡山、上醍醐、生駒山、石清水八幡宮、京都西山、桃山御陵が遠望できます。
(この日は、生憎の雨模様で眺望がイマイチでした。)







○と□にこだわった意匠が印象的です。