京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

源氏物語ミュージアム 京都府宇治市

2024年06月30日 08時33分00秒 | 日記
 6月23日は、源氏物語ミュージアムへと来ました。
何度も来ているミュージアムですが、NHKの大河ドラマ「光る君へ」を毎週見ている為か?もう一度、源氏物語を学びたくて再訪しました。






館内に入るとそこは「源氏物語」の世界にタイムスリップしたかの様です。

順路に従って進みます。

① 平安の間(平安京と光源氏がテーマ)











⑴ 映像化展示(源氏物語と光源氏がテーマ)
⑵ 牛車と女房装束
⑶ 平安時代の垣根見

特に光源氏が住まいした六条院は見応えがあります。
春・夏・秋・冬をテーマに作庭されている凝りようです。

牛車も豪華です。
どの位の貴族が乗る牛車でしょうか?





② 架け橋

両側には宇治の風景が描かれています。

貴族の別荘が多く建てられた"宇治"
今も昔も風光明媚な所だったようです。












③ 宇治の間

源氏物語の最後の十帖は宇治が舞台になっています。

光源氏はすでに亡くなり、息子の薫が主人公です。
お父さんに似て?女性に関心が強いのは父親譲りですね。

こちらでは沙幕や実物大のセットで宇治十帖の名場面が再現されています。



映像展示室ではアニメ「GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした」のオリジナルアニメが上映されていました。





最後の展示は光源氏、薫が得意とした"香り"に関する展示です。

日本では香木は採れないので、中国や東南アジアからの輸入品です。
貴族のトップクラスになると、貴重な香木も手に入ったのですね。





アンティカ ピッツェリア ラジネッロの絶品ピザ

2024年06月29日 08時43分00秒 | 日記
 6月23日は、まいまい京都の「【宇治茶】茶工場を探検しよう!町家の奥、日本最古の碾茶炉へ
~水出し碾茶、ひんやり抹茶ラテ、ほんず抹茶の特製アイス付き~」に参加後、宇治に来れば"昼食は"ここですねー

もう一ヶ所、"京料理の辰巳屋"がありますが、お値段が張ります。







宇治橋通りにある「大阪屋マーケット」に店を構える「Antica Pizzeria L'ASINELLO(アンティカ ピッツェリア ラジネッロ)」です。



ここのオーナーは大削恭介(おおげ・きょうすけ)さん(37)で「ナポリピッツァ職人世界選手権日本大会で"優勝"された経歴を持つ職人さんです。







店内は少し"びっくりドンキー"に似た雰囲気はありますが、出されるピッツァは本格化なものです。





水牛のモッツァレラチーズがふんだんに使われています。
(モッツァレラチーズの原料は水牛と乳牛とがありますが、味の良さでは断然、前者になります。)

また、生地は薄くて、生地と具材の美味しさとが同時に楽しめます。



一枚のピッツァを約時間は約2分。
この窯の火力がピッツァをより美味しくしていると思います。

お近くにお越しの際は是非寄って欲しい"ピザ屋"さんです。


【宇治茶】町家の奥、日本最古の碾茶炉へ宇治茶房 山本甚次郎

2024年06月28日 09時51分00秒 | 日記
 6月23日は、京都府宇治市にある"宇治茶房
山本甚次郎"さんへ。
まいまい京都での参加です。









京都の町家"表屋造"で、道路に面した表側に店舗があり、その奥には居住空間が広がっています。



先ずは、店舗内でご当主の山本晃一郎さんから宇治茶についてのレクチャーがあり、抹茶の原料となる"碾茶"を見せて頂きました。







また、水出しされた碾茶を頂きました。
碾茶だけでは市販されていないので貴重な機会です。

抹茶の濃厚な旨みとは全く違い、さっぱりとしていますが、ちゃんと茶葉の旨みを感じる事が出来ます。













碾茶のテイスティングの後、町家の奥には日本最古と言われる堀井式碾茶炉が今も現役で使われています。

大正13年(1924)に堀井長次郎氏により開発された堀井式碾茶乾燥炉は茶業界に革命をもたらしました。
蒸した碾茶の茶葉を乾燥させる装置です。

それまでの手作業による製茶をオートメーション化し、より効率的に良質なお茶を均一な品質で作りだす事ができるようになった画期的な炉です。

現在当製茶場にある
堀井式碾茶乾燥炉が最古のものになり、
大正15年(1925)製のものになります。

同じ中宇治にある福文製茶場さんにももう一台現存しており、同年のものになります。

ですからこの画期的な装置は日本で2台のみになっています。



工場内では抹茶ラテの試飲があり、水出し碾茶とは全く違った抹茶本来の味覚を楽しみました。

最新の炉で出来るお茶とは、また違う独特なお茶になるそうです。




ほんず抹茶の特製アイスクリーム。

抹茶の味が濃厚で、ハーゲンダッツのグリーンより美味しく感じました。





再び店舗内に戻り今度は「ほんず抹茶の特製アイスクリームを試食。
抹茶の味が濃厚で、ハーゲンダッツのグリーンより美味しく感じました。


あぶり餅 一和(一文字屋和輔)

2024年06月27日 08時03分00秒 | 日記
 6月23日、大徳寺三門(金毛閣)を初めて拝観し、13時から仕事が入っていましすが13時からで時間があるので今宮神社の門前名物"あぶり餅"を頂きに一和(一文字屋和輔)さんに来ました。







あぶり餅の歴史は驚くほど古く、初代一文字和助が、香隆寺という寺の名物だったおかちん(勝餅かちもち)を今宮神社の神殿に供えたのが始まりといいます。

一和さんの創業は平安時代(天保2年/1000年)。
かざりやさんは江戸時代の寛永14年(1637年)と日本でも最古の和菓子屋さんとして知られています。

どちらが美味しいか?と尋ねられても「どちらも美味しい」です。と答えは「両方美味しい」と答える方が大半だと思います。









黄な粉をまぶしたお餅を親指サイズに千切って竹串に刺し、炭火であぶって香ばしい焦げ目をつけたら、絶妙な甘さの特製白みそだれを絡めて仕上げる今宮神社の門前名物のあぶり餅。

お腹が空いていたので二人前をお願いしました。

奇数が縁起が良いとされる日本ならではの一皿13本入り600円ですが、13本では足りず、僕の様に一人で2皿以上注文する方もたくさんおられます。

もちのお焦げに白味噌とだれがよく絡み、なんとも言えないくらいに美味しいのです。

初めての方をお連れすると、ほぼ100%の確率で「美味しい」と「また、来たい」の二言を聞く事になります。



一和さんのお店の中には井戸があり、お声かけしたら、下まで降りる事が出来ましたが、何か事故でもあったのでしょうか?今は竹で柵がされています。





一和さんの向かいには、江戸時代創業の「かざり屋」が同じくあぶり餅で商売をされています。

お互いに客引きをする訳ではなく、店に来られたお客様を大切にもてなしてくれます。
これぞ「共存共栄」ですね。
定休日も同じく水曜日なのです。

飢饉の時には、地域住民の方にあぶり餅を振る舞ったそうです。
立派に社会貢献もされている両店です。

















大徳寺 三門(金毛閣) 京都和敬会特別拝観の集い

2024年06月26日 09時34分00秒 | 日記
 6月22日は、京都に通い初めてからの願望だった大徳寺三門(金毛閣)の二階に上がり拝観する事が出来ました。







古文化保存協会の会員組織"京都和敬会"の「特別拝観の集い」でようやく実現しました。

大徳寺山門(三門)は、東福寺三門に次ぐ現存二番目に古い山門です。


しかし大徳寺の山門は一度にその全てが建立されたというわけでなく、昭和の解体工事時の調査や古文書などによって二重二階構造のうち一階と二階の完成には六十年ほどの差があることが判明しています。


それによると、室町時代の大永四年(1524)正月に「三門事始」(起工式)がされ、享禄二年(1529)に一階部分が完成した。


しかし一階門の時代は長く保存修理も不十分で、現在から五十年ほど前の解体修理の際に、棟木に平行した構造材が雨漏りでひどく腐朽していたことが認められました。


また完成させるにも十分な資金がなく、連歌師の柴屋宗長が自己税蔵していた藤原定家の「源氏物語」を売って建築資金にした。


六十年後、千利休が檀越(施主)となり大修理、二階部分も天正十七年(1589)に建てられ「金毛閣」と名付けられました。






山門楼上の仏殿内部は正面と左右に折れ曲がって須弥壇を築き、中央に釈迦如来坐像や脇侍には摩訶迦葉尊者、阿南尊者、羅漢像どが安置されています。




天井の雲龍図をはじめ、柱には龍、天人、迦陵敏伽、仁王、雲、波などが極彩色で描かれており、これらは長谷川等伯により描かれています。


さらに雲龍図の西南隅に「長谷川等白五十一歳筆」の落款があり、山門二階部分が完成した天正十七年(1589)に五十一歳の等伯が描いたものであることがわかります。


出典:京都府教育庁指導部文化財保護課1971『重要文化財大徳寺山門






また、ご本尊に向かって左手の厨子には三門二階部分を利休像がお祀りされています。

しかし、こちらの像は江戸時代末期に寄進されたもので

ホンモノは一条戻橋で利休像が自害した利休の頭を踏みつける様にさらされました。




非公開の大徳寺三門 初の本格内部調査


昨年の10月には専門家による初めての内部に安置されている仏像の調査が行われました。


2階にある釈迦三尊像の1体が、鎌倉時代につくられた可能性があることがわかり、専門家は、「火災でなくなった仏像が多く非常に貴重だ」と話しています。


3年後に創建から

700年となるのにあわせ、詳しい調査を行うことになり、多くの事が判ってきています。


2階の釈迦三尊像の右側にある釈迦の弟子の仏像は、表現の特徴から鎌倉時代に作られた可能性があることがわかりました。


大徳寺は応仁の乱で全焼しているので、室町時代以前の仏像はないはずです。

どこかのお寺から伝来したのか?、あるいは大徳寺の僧侶が命懸けで守りつたえてきたのか?今後の学術調査が待たれます。


30分と言う、非常に短い拝観でしたが、念願がひとつ叶い、充実した拝観となりました。


こちらまで来ると、今宮神社の門前名物○○○餅を食べないといけないですね。


(内部は撮影禁止なので掲載の写真はネットからお借りしました。)