京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

高野山② 金剛峯寺

2021年07月16日 06時32分00秒 | 日記
 金剛峯寺の名称は弘法大師自らが命名されたもので高野山一山の総称ともなっています。







霧に霞むお寺も風情があり、お大師さまが今でも生きておられるようです。

元は文禄2年(1593)、豊臣秀吉が亡母供養の為に建立され、今の建物は文久3年(1863)に再建されたものです。




内部の撮影は禁止されているのでパンフレットを掲載させて頂きます。





今回は画家の千住博さんが奉納された障壁画「瀧図」「断崖図」を拝見するのがメインです。
NHKのドキュメンタリー番組でニューヨークのアトリエで奮闘される千住さんの姿が放映され、覚えておられる方も多いと思います。








石庭「蟠龍庭」です。
雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿を守っているように表現されています。
龍を表す巨石は大師の故郷の四国の青石が使われ、雲海を表す白い石は京都の白川石が使われています。
















高野山金剛峯寺の大主院2部屋の障壁画です。

ドキュメンタリー番組では墨の濃淡や和紙の厚さを変えたりと、また、和紙にわざと皺を付けたりと試行錯誤される姿が放映されていました。

高野山金剛峯寺の障壁画ともなると相当な重圧感の中での制作だったと思われます。

京都では2013年に落慶した大徳寺聚光院の書院に襖絵「滝」「春夏崖図」「秋冬崖図」を奉納されています。
滝の表現には一瞬と永遠、時の流れを無限に感じる事が出来ます。



2016年3月から一年間行われた「大徳寺聚光院創建450年記念特別公開」では書院の「滝」のみが公開されました。





真然大徳廟

真然大徳は讃岐国の出身で弘法大師の甥で後に大師の弟子になった僧侶です。
弘法大師の死後、荒廃していた高野山の復興に尽力されました。
伝承では、亡くなる直前の弘法大師から高野山の運営を託されたと伝わります。

御廟は金剛峯寺の境内にあり、当初は真然大徳をお祀りするお堂とされていましたが、昭和63年(1988)の解体修理に伴い発掘調査でお骨の納められた御舎利器が発見され、新たに真然廟として手厚く祀られています。



その後に奥之院と霊宝館を巡っていますので後日に記事に書きたいと思っています。