京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

御料理 井傳のお昼の会席料理

2023年11月30日 07時26分00秒 | 日記
 11月21日のお昼は中京区錦小路通西洞院東入ルにある「井傳」さんへ。

1階は全フロアが厨房になっています。






お店の2階で食事を頂く事も出来ますが、折詰め弁当や仕出しが中心の「京の老舗」です。(2名なら20名の対応が可能だそうです。)

"端正な折詰め"や"四季折々の旬の素材を使った会席料理"には定評がある名店です。

今回は京都料理芽生会の企画で、2万円分のポイントが1万円で購入出来る特典に当選し、今までに行った事の無い和食店を探して、この日に予約していました。

京都仲間のKさんをお誘いしました。





部屋は和食店らしく落ち着いた個室で、料理への期待が高まります。











松花堂弁当の様に四つに仕切られたお弁当形式です。
それぞれの桝には、吟味された旬の素材にお店独自の味付けで、どの料理も手の込んだもので、他の有名店に決して引けを取らない美味しさです。







子持ち鮎の甘露煮に鯖寿司、自家製唐墨、、、これぞ京料理と唸らせる品々です。

食事の給仕は女将さんがされ、80歳を過ぎておられますが元気いっぱいの方で、お店の歴史や料理の説明について楽しくお話して下さいました。





椀物は、なんとスッポンのお出汁です。
京都では昆布と鰹節のお出汁が一般的ですが、スッポンのエキスが加わるとまた違った"コク"が加わります。
他店では味わった事のないお出汁です。





最後の水物(ピオーネと洋梨のゼリー添え)まで、手の込んだ料理でした。

京都の伝統文化のひとつでもある"仕出し"で100年以上も続くのは大変な事と思います。

そんな"仕出し店"の真髄を味わせて頂き、満足なお昼でした。














泉涌寺(御寺)の紅葉⑪

2023年11月29日 07時29分00秒 | 日記
 泉涌寺は、日本で唯一"御寺(みてら)と呼ばれる皇室ゆかりのお寺です。



大門(重要文化財)です。

慶長期の内裏南門を寛永期に移築した四脚門で桃山時代の豪華絢爛な門とはまた、違った質素な中にも重厚感のある表門です。



仏殿です。

江戸時代寛文8年(1668)に4代将家綱により再建された泉涌寺の本堂です。



内部には「三世仏」として釈迦如来(過去)、弥勒如来(未来)、阿弥陀如来(過去)がお祀りされ、天井には狩野探幽による"雲龍図"が、背後には"飛天図"が描かれています。


泉涌寺水屋形

泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形で寛文8年(1668)の再建です。





舎利殿(通常非公開)です。





お釈迦さまの歯(仏牙舎利)を奉安する為の建物で、天井には可能山雪筆の「雲龍図」が描かれ、"鳴き龍"としても知られています。

大門が境内地で最も高い位置にあり、伽藍には珍しい"下り参道"が続きます。









次に"御座所"へ。

別に拝観料が必要ですが、必見の価値のある御殿並びに庭園です。

皇族の方々が御陵や霊明殿を参拝される際の休憩所で旧「皇后御里御殿」を移築した建物です。

泉涌寺境内は常緑樹で囲まれていますが、こちらの御座所庭園にはもみじが多く、秋には素晴らしい紅葉を愛でる事が出来ます。





霊明殿唐門と霊明殿です。

霊明殿は、明治17年に明治天皇の思し召しにより宮内省(当時)が再建した建物で、四条天皇以降の皇室の方々のご位牌がお祀りされています。









霊明殿の北側の麓には泉涌寺「月輪御陵」があり、四条天皇をはじめ、多くの皇室の方々がお眠りになっておられます。



今熊野観音寺の紅葉⑩

2023年11月28日 07時23分00秒 | 日記
 11月21日の昼からは東山にある今熊野観音寺に来ました。







今熊野観音寺は西国三十三所巡礼の第15番札所で、いつもお参りの方々が絶えないお寺です。

今どきには珍しく、拝観料は無料で本堂にお詣りしたり境内の散策を楽しむ事の出来る貴重なお寺です。

春から初夏にかけての新緑、秋の紅葉と素晴らしい景色を楽しませてくれる、今や数少ない"隠れた場所"かも知れません。

特に、紅葉シーズンは皆さん有名な東福寺に行かれるので、ハイシーズンでもゆっくりと紅葉を楽しむ事が出来ます。







写真は「子護大師」です。
大切な子供たちを護り育んでくださるお大師さまです。









さらに石段を登ると本堂があり、その前には「五智の井」があります。
弘法大師がこちらのお寺を開かれる時に錫杖をもって岩根をうがたれて湧き出した"五智水"です。
今でもこんこんと湧き出しています。









今回は、さらに上にある医聖堂(多宝塔)まで初めて登りました。
"医と宗教がともに手を携え人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう"、との住職の願いを込めて建立されました。
医学界に貢献された多くの方々が祭祀されています。

展望が素晴らしく東寺の五重塔も肉眼で確認出来ます。

また、途中の参道には西国三十三所観音巡礼のお寺のご本尊さまの石仏が並んでいます。





弘法大師がお寺を開かれただけに、何か不思議な霊気を感じます。

次に"御寺"こと泉涌寺に向かいます。





嵯峨釈迦堂(清涼寺)の紅葉⑨

2023年11月27日 08時40分00秒 | 日記
 厭離庵を後に、途中慈眼堂で十一面観音立像にお祀りをし、西門から嵯峨釈迦堂へと来ました。






狂言堂では嵯峨大念仏狂言と千本ゑんま堂大念仏狂言との競演が演じられていました。







こちらのお寺の正式名称は「五台山 清涼寺」ですが、京都では"通称名"の「嵯峨釈迦堂」と呼ばれる事が一般的です。





ご本尊は釈迦如来立像(国宝)です。
「清涼寺の生身のお釈迦さま」と呼ばれ、日本の仏像とは違い、どこかエキゾチックな感じがします。

それもそのはずで、元の尊像はお釈迦さま37歳の生き姿を刻んだものとされています。

インドで造立され、後に中国へと伝えられました。
中国に渡った、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)上人は寛和元年(985)にその像を模刻し、日本に持ち帰りました。



その際に5人の中国尼僧により体内に施入した五臓六腑が修復時に発見されました。
修復時に再び体内に戻されました。

本堂内で展示されているのは模造品です。

日本でも多く模造され、いわゆる"清涼寺式釈迦如来立像"が多く存在します。













本堂裏にある庭園です。放生池に浮かぶ弁天堂を中心に庭園が広がっています。
また、5部くらいの色付きでしたが美しい庭園です。







書院前の庭園です。
枯山水庭園で、趣きの違ったふたつの庭園が楽しめます。







本堂東側にある阿弥陀堂です。

嵯峨天皇の第12王子が源融と臣籍降下され、棲霞観(せいかかん)を建てられました。
融公の没後に御堂を建立したのが阿弥陀堂の始まりです。

お祀りされている阿弥陀仏は源融をモデルにしたと伝わります。





境内にある霊宝館です。

時間の関係で拝観出来なかったですが、棲霞寺ご本尊阿弥陀如来像(国宝)をはじめ、平安期の国宝、重文がずらりと並ぶお姿は壮観です。



書置きの御朱印を授与して頂きました。

コロナ以降、「書置き」だけのお寺が増えてしまったのは非常に残念です。

御朱印は、ご本尊さまの功徳を分けて頂く意味もあるので「書置き」だと、その功徳が半減してしまう様な気をなってしまいます。




厭離庵の紅葉⑧

2023年11月26日 13時13分00秒 | 日記
 表題には「厭離庵の紅葉」としましたが、まだほとんど紅葉していませんでした。





住宅街にある細い路地の奥にひっそりと佇むように厭離庵はあります。

臨済宗天龍寺派の禅寺で、藤原定家が「百人一首」を編纂した地と言われています。









後には荒廃し、江戸時代中期に冷泉家により修復・復興されています。
しかし、その後、再び荒廃してしまいます。

境内には藤原定家の供養塔が建立されています。





境内奥の石段の上には本堂があり、ご本尊の如意輪観音菩薩がお祀りされています。
例年なら、本堂からの紅葉した境内が見渡せるます。









定家ゆかりの茶室時雨亭です。
書院と共に明治43年に白木屋社長・大村彦太郎氏により仏堂、庫裡と共に再興されました。



こちらの御朱印は定家の和歌が書かれますが、今回は違う御朱印をお願いし、西行法師の和歌を書いて頂きました。