京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

世界文化遺産 龍安寺

2019年01月31日 21時42分41秒 | 日記
今日、1月30日は、京都市緑化協会主催の「京の庭講座」に参加しました。講師はいつもの吉田昌弘先生です。
午前10時から約1時間、梅小路公園「緑の館」1階イベント室で座学があり、庭園の歴史や変遷などの基礎知識を学びました。
11時に一旦解散後、13時30分に鹿苑寺総門前に集合です。

昼食を早々に済ませ、再集合の時間まで、鹿苑寺寺と同じバス路線沿いにある龍安寺に寄りました。







龍安寺は臨済宗妙心寺派の塔頭寺院のひとつですが世界文化遺産で本山より有名です。

庫裏へと向かう「龍安寺垣」がいいアクセントになっています。
「石庭」があまりにも有名で拝観者のほとんどが外国の方です。







最近、かって方丈を飾っていた「芭蕉図」9面が龍安寺により買い戻され1月10日〜6月10日まで方丈で公開されています。
今回「芭蕉図」を見るのが龍安寺に寄った理由です。
桃山時代の狩野派の作と伝わり、明治の廃仏毀釈で海外に流出した障壁画です。





方丈裏の水戸光圀寄進の知足の手水鉢(レプリカ)、侘助椿を鑑賞し、境内の園路を巡ります。











13時13分のバスに乗るために急いでの拝観でした。

2019 京の冬の旅(建仁寺 霊源院)と禅居案

2019年01月30日 12時02分22秒 | 日記
1月28日は京の冬の旅で公開中の建仁寺塔頭霊源院を訪ねました。過去に何度か訪れていますが、京狩野の祖、山楽の「布袋図」が初公開されるので再訪した次第です。







公式ガイドマップによると霊源院の歴史は、応永年間(1394〜1428)、龍山徳見(りゅうざんとっけん)和尚を勧請開山として、その弟子・一庵一麟(いちあんいちりん)が創建した建仁寺の塔頭寺院です。
鎌倉末期から室町時代にかけて禅宗寺院で栄えた漢文学「五山文学」の最高峰の寺院のひとつとされ、「建仁寺の学問面(がくもんづら)」の中核を担いました。





方丈には、「也足軒(やそくけん)「妙喜庵(みょうきあん)」のふたつの茶室があり、また方丈の南と西には、甘茶を植栽した枯山水庭園「甘露庭」があります。

寺宝には、湛慶作と伝わる毘沙門天立像、今川義元の書状、千利休の書状、初公開の狩野山楽筆の「布袋像」の水墨画が公開されています。





霊源院に向かう途中に、建仁寺の専門道場の霊洞院の表門が雲水さんの作務で開いており、お声を掛けて写真を撮らせていただきました。中にある庭園が素晴らしいそうですが、見学できる機会がないのが残念です。

続いて建仁寺境内の塔頭寺院 禅居庵です。







禅居庵のご本尊様は摩利支尊天で、秘仏です。開運・勝利の御利益があり、信仰されています。こちらの摩利支尊天は7頭のイノシシの上におられます。また、摩利支尊がイノシシを眷属として従え天いるためにイノシシゆかりのお寺として知られています。境内には3対の「あ・うん」の狛イノシシがいます。






今年は、亥年のため、ご本尊の摩利支尊天像が1月いっぱい公開されています。



上のイノシシの絵馬は、建仁寺法堂の「双龍図」を描かれた小泉淳作氏の作品です。
参拝記念に御朱印(書置き)も頂きました。




二条城 清流園香雲亭での昼食と大広間三の間入室

2019年01月28日 19時11分53秒 | 日記
今日、1月28日は昨年末から予約していた二条城清流園香雲亭での昼食(早春の二の丸御膳)に来ました。昨年に続き2度目です。







毎年この時期に昼食、夏には朝食が香雲亭で頂けます。
提供は、円山公園の坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像がある近くに店を構える京料理「いそべ」さんです。前回、お料理内容、ロケーションが良かったので再訪した次第です。







清流園は、昭和40年(1965)に出来た庭園で江戸時代初期の豪商 角倉了以の一之船入にあった邸宅の一部を移築、庭園の庭石約800個を譲り受け、また、全国から銘石300個を使い作庭されました。















香雲亭は、お茶会やウェディングで使われることはありますが通常非公開の建物です。また、海外のVIPにも利用され、故ダイアナ妃が二条城に来られた際の休憩所となったり、映画「ラスト サムライ」の制作発表がこちらであり、トム・クルーズも同席していました。
水屋などの水道設備はありますが、ガスやIHなどの調理器具は備わっていません。
温かい料理を提供するために香雲亭の裏にガスコンロを持ち込み調理されています。

お料理、香雲亭からの眺めを存分に楽しんで、二条城の二の丸御殿を見学します。
今日までの期間限定で大広間三の間への入室見学があり、狩野探幽の障壁画、欄間を間近で見学できました。欄間は厚さ約35cmの檜の一枚板が使われ、三の間からは孔雀が、反対の四の間からは松と牡丹が彫られています。今では、このような檜は手に入らないですし、また、彫れる職人さんもいないそうです。

内部は撮影禁止なので京都市のHPから写真を引用します。



また、二条城障壁画 展示収蔵館では、10年ぶりに大広間ニの間、三の間に描かれた狩野探幽の「松孔雀図」のオリジナルが公開されています。



展示室の中央には、畳が2枚敷かれおり、座って障壁画を眺め時の大名、老中の気分に浸ることができます。

最近、4月から入城料が千円に上がる発表がありました。
増収分は二条城の修復、維持管理に当てられます。





無鄰菴 中村ローソク×伊藤若冲 和ろうそくで見る若冲

2019年01月27日 16時43分18秒 | 日記
今日、1月26日(土)は、無鄰菴での特別講座「中村ローソク×伊藤若冲 日本の絵画を知る 和ろうそくで見る伊藤若冲」に参加しました。



まずは母屋2階が会場です。講師は、大阪国際大学の村田隆志先生です。先生は日本美術史がご専門で、以前は相国寺の承天閣美術館で学芸員をされておられました。相国寺は若冲とご縁のある禅寺で承天閣美術館には若冲作品が多数残っています。

まずは、伊藤家の菩提寺 宝蔵寺さんが所有されている「竹に雄鶏図」を蛍光灯のもので鑑賞します。この日は、宝蔵寺のご住職も来られていました。ご住職のご計らいで写真撮影も許可して下さいました。







以前に、宝蔵寺さんで見た時と変わらない印象です。文化財指定されていないとは言え、若冲のオリジナル! こんな至近距離で拝見出来る機会はないです。墨の濃淡だけでこの躍動感を出すのですから凄いです。先生によると、紙に墨で描く場合、筆を一気に運ばないと、墨が滲んでしまうそうです。ですから、この鶏も15秒くらいで描いたと考えられる と言われていました。

次に和ローソクで鑑賞します。





どうでしょう?
全く別物になっている感じはないでしょうか?

早朝に餌を探しながら力強く歩く雄鶏と、蛍光灯ではあまり意識しなかった竹の存在感が強調されています。風にそよぐ竹の葉の音が聞こえるようです。

次にニ幅目の「髑髏図」です。





若冲は、売茶翁(高遠遊)と交流があり、彼の生き方に感銘を受けていたようです。
さて、絵の方ですが、版木を起して描いた絵で、下に髑髏が、上に売茶翁の賛が書かれています。

和ローソクで鑑賞すると髑髏が浮かび上がるように見え、ローソクの揺らぎがより一層、絵を引き立てます。





この幻想的な見え方に村田先生が一番興奮されていました。
先生によると、「左上に描かれた髑髏が売茶翁で右下の若冲の髑髏に話しかけているように見える」と言われていました。若冲自身が、この絵を大切に持っていたのでしょうね!-いつも尊敬する売茶翁と一緒にいる-常に自分を戒めていたのでしょうね!

若冲作品ニ幅を鑑賞した後は、一階で中村ローソクの田川さんの和ローソクの講座がありました。大本山での大きな法要で使う高さ60cmもの和ローソクを作れる職人は、今やたった二人しかおられないそうです。

京都の伝統工芸も後継者不足や、仕事の減少で衰退の一途です。
もっと、"ほんまもん"を継承出来る施策を今のうちに打っておく必要を強く感じます。

さて、講座に戻りますが、原材料が違うローソクを使い続けると、そのススが仏像や障壁画に付いて、ハケだけでは取れず、修復に出さないと復元出来ないそうです。
また、京都は"御用達"制が強く残っている町で、新規参入は非常に難しいのも、和ローソクが普及しないひとつの要因だと言われていました。







この日は、昼から雪模様で夕方に無鄰菴に着いた頃には庭園は、うっすら雪化粧していました。
夜の無鄰菴の雪景色 滅多に見れない景色です。














知足山 常徳寺

2019年01月26日 06時41分36秒 | 日記
1月20日は、京都市北区にある日蓮宗寺院 知足山 常徳寺を訪ねました。時折行く職場の最寄りバス停が「常徳寺前」なので以前から気になっていました。





頂いたご由緒書では、今から約380年前、寛永5年日奥上人を開基として仰ぎ創建されました。その後、江戸時代に本阿弥光悦が鷹峰に芸術村をつくった折に、後藤長兼(1562-1616)が日奥上人の教えにより、鷹峯の東よりの地柴竹の地に常徳寺を、天台宗より改宗したと伝えられています。





寺宝として、後藤長兼像、常盤地蔵、日蓮聖人木造、日奥上人座像があります。



後藤長兼(1562-1616)は常徳寺の檀家で工芸家で秀吉に仕え、大判鋳造を司り、また、秀吉の蔵する軍用分銅を改鋳して判金として片桐且元の元で財務を預かり、秀吉没後は、家康に仕えて後の後藤金座のもとを開きました。



日蓮聖人木像は、大本山妙顕寺二祖大覚大僧正の作と伝わります。



この日は、「常徳寺大祈願祭」が行われ、寺宝も公開されますが10時から仕事のために断念しました。