京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

桜鶴苑(おうかくえん)

2020年09月30日 08時44分00秒 | 日記
 桜鶴苑は南禅寺順正の東側にある結婚式場、レストラン、宴会、食事などの施設です。
(この日は貸切りで庭園部分だけ見学させて頂きました。)



もっぱら結婚式場など貸切り施設として使われていますが、それがない日はランチを頂く事ができます。
南禅寺参道の看板に"本日貸切り"の表示が目印です。



運営は五条通の老舗京料理の"はり清"さんがされており、料理長の三島竜二さんも"はり清"さんで腕を磨かれた方です。

西側の庭園です。









約1200坪もの日本庭園は、この辺りの庭園の多くを手がけた名庭園家七代目小川治兵衛(植治)です。











茶庭も"植治"らしい露地庭園ですね。





近代日本庭園の基礎を築いた"植治"の庭園です。

遠く東山を借景にし、琵琶湖疏水の水を引き込み、主張し過ぎない護岸の石組、中央部を開放感ある空間にする手法は近くにある山縣有朋の別荘"無鄰菴"に通じるところです。



一度、主屋から庭園を眺めながら食事を頂きたいものです。



旧邸御室

2020年09月29日 06時42分00秒 | 日記
 西陣の「天㐂」さんで天ぷら懐石を頂き、次に嵐電御室駅近くにある旧邸御室に来ました。
昨年の春にも来ていますが今年は二階が初公開されていて、二階からの眺めを想像し、再訪した次第です。





表門も立派な造りで玄関へのアプローチも鞍馬石と小石を組み合わせたデザインです。

一階が見学者で混んでいたのでまずは二階から案内して頂きました。







床の間には付書院が備わり、縁側からは茶室が、その背景は双ヶ丘の素晴らしい景観です。
一幅の絵を見ているようで暫し時が経つのを忘れてしまいます。

続いて一階です。







旧邸御室は、築80年になる邸宅建築で敷地は約500坪。こんなに素晴らしい邸宅にも関わらず設計者や建設された経緯がわかっていないそうです。
現在は株式会社山三製材所の創業者・山本三夫さんの次女の村田章代さんがオーナーをされています。





22畳ある大広間からの眺めです。
すっかり有名になったテーブルに映り込む緑色です。
沓脱石、伽藍石はじめ写真の赤味の石は全て鞍馬石です。
京都市北部の鞍馬周辺で採掘される石で鉄分を多く含んでいるので赤味がかった色が特徴です。
今は採掘が禁止されていて、当時から高価な庭石です。

庭園内には15の灯籠があり、多い気もしますがそれぞれが庭園に溶け込んでいます。





浴室は後日に改装されたのかも知れませんが、一転し現代風です。
写真では分かりづらいですが、ガラスには保津峡を流れるいかだ下りがデザインされています。











離れにある洋間の天井は花天井になっていて牡丹やあやめ、菊を初め、日本を代表する花々が描かれています。





茶室へのアプローチです。双ヶ丘の斜面を利用した景観の素晴らしい茶室(双庵)です。







平成28年には主屋、壁、土蔵、茶室双庵、茶室御待合所が国の登録有形文化財に登録されました。

今回の公開は10月4日までです。









京料理天ぷら「天㐂」

2020年09月28日 08時58分00秒 | 日記
 9月26日はメルパルク京都の講座で西陣の一角(千本今出川上ル西側)にある京都料理・てんぷら天㐂(てんき)さんでお昼を頂きました。



人気企画「女将さん」シリーズの講座で今回で14回目にもなるそうです。








室内の設えも京都を感じますね。



始めに「天喜」の三代目女将橋本静代さんから創業から現在までのお話や苦労話をお聞きしました。
昭和8年に女将のお婆さまがこの地で天ぷらと京料理とを融合したお店を出され「天㐂」が創業しました。
屋号は「二人で喜び 天も喜ぶ」の意味を込め付けられたそうです。

商売が性に合う方だったようで常に商売のネタに探されていた方だったそうです。
千本通では何故か西側のお店が繁盛していたようで、観察眼にも長けた方だったと回想されていました。

女将業に対しても「だれでもできる仕事やない。女将は女の大将え」が口癖だったようで自信と誇りを持って仕事をされていたのがよくわかる言葉ですね。

今も西陣の一角に「千両ヶ辻」(一日に千両の西陣織の取引きがあった辻)の地名が残るように西陣一帯は大層な好景気だったそうです。

女将さんのお母さま(叔母さま)が養女に入られお店はますます繁盛したそうです。

そのお母さまが若くして他界され、今の女将さんが三代目になられ20年が経過し、現在に至っておられます。

創業当時、てんぷらはファーストフード的な扱いで、京料理に組込むのは邪道とされたようです。
土地柄、西陣の旦那衆に認められるまでは大層ご苦労があったと思います。

今や京料理の一品として認知され、欠かせない料理のひとつになっています。







「天㐂」さんでは"お座敷てんぷら"と称しお客の目の前で揚げておられます。

料理人の技も目の当たりに出来るメリットに加え、お客は素材や産地なども聞け、口に運ぶのが待ち遠しい気分になります。
五感全てで楽しめるのがいいですね。

(写真の料理人は女将さんのお兄さまです。)

献立、お料理の写真です。






















先附の器は大河ドラマに因んででしょうか麒麟が四面に描かれています。

どのお料理も大変美味しかったです。
この時期にしか頂けない"子持ち鮎"の塩焼き、、、久しぶりに頂きました。
40人分の子持ち鮎の仕入れ、、、ご苦労されて仕入れられたと思います。

看板商品のてんぷら、、、絶品です。一品ずつ塩と天つゆの両方で頂きました。
塩では素材の旨味を、天つゆでは素材と出汁の効いた天つゆとのハーモニーを楽しみました。









最後に中庭を拝見し「天㐂」さんを後にしました。

次回の女将さんシリーズも楽しみです。



常林寺(萩の寺)

2020年09月27日 08時45分00秒 | 日記
 京阪電鉄出町柳駅近くにある常林寺は萩の寺として有名な寺院です。

当時は、寺町荒神口に創建されましたが寛文11年(1671)の寺町の大火で焼失し、現在地に移転しました。

浄土宗大本山知恩院と関係が深く、役番の地位を占めていたそうです



本堂には阿弥陀三尊がお祀りされています。



また、幕末期には幕府方の勝海舟が宿坊にしていたと言われています。



表門を入り左手には地蔵堂があり、若狭街道を往来する人々の信仰を集めていた世継子育地蔵尊がお祀りされていました。




境内には8千株もの萩が植えられいて初秋には白や薄紫色の可憐な花々が境内を埋め尽くします。













大徳寺塔頭 黄梅院

2020年09月25日 09時15分00秒 | 日記
 大徳寺本坊の特別拝観の後、塔頭のひとつ黄梅院を訪ねました。





黄梅院の起こりは永禄5年(1562)に織田信長が上洛し、父信秀の追善供養の為に少庵を建てたのが始まりです。







大徳寺の"茶面(ちゃづら)"と言われるだけにこちらにも数棟の茶室があります。

苔や石畳のアプローチは素晴らしいものがあります。秋には素晴らしい風景に変化していきます。





直中庭(じきちゅうてい)と呼ばれる千利休66才の時に作庭されました。
秀吉の馬印である瓢箪をかたどった池を中心に三尊石や加藤清正伝承の朝鮮灯籠を配した池泉の枯山水庭園です。





本堂の前庭です。
手前は白川砂、奥半分を桂石で区切った庭園で三尊石組ではなく二尊で観音菩薩、勢至菩薩を表しているそうです。
 
今回の公開では撮影が解禁になり普段は撮影出来ない襖絵なども許可されています。









オリジナルは桃山時代の作品ですが、現在は複製が入れられています。
高精細デジタル複写の場合、太陽の紫外線やカメラのフラッシュにも劣化がないのがいいですね。





少しのスペースでも庭にして無駄がないのが禅宗寺院らしいところです。 

丁度、小林太玄和尚がおられ御朱印をお願いしました。
84歳になられ、耳がやや遠くなられましたがお元気なご様子で心に響くお言葉を御朱印にして頂きました。



"また会いましょう!"とお言葉を掛けて頂き、秋の参拝も決まりました(?)



再び表門まで戻って来ました。
鐘楼の鐘は1592年に加藤清正により寄進された物で朝鮮伝来の鐘と伝わります。