7月8日は、京都国立博物館へ。
月曜日の休館日に何故?と思われた方も多いと思います。
友人のKさんが京博の「清風会」に入会されていて、特別展や企画展の時には定休日に鑑賞会が開催されています。
ご本人と同伴者一名が無料で入館する事が出来ます。
今回の特別展示は豊臣秀次公430回忌特集展示「豊臣秀次と瑞泉寺」です。
午後1時30分から1時間、京博の研究員の方の講演がありました。
展示資料や図録の内容をPWを使って詳しい解説がされ、今まで知らなかった事も多く大いに勉強になりました。
ホント、秀吉の晩年は秀頼可愛さで国政をないがしろにしてしまい全てにおいて"晩節を汚してしまった"の一言に尽きると思います。
その被害者のひとりが秀吉の姉の子(秀吉にとって甥)・秀次公とその一族ではないでしょうか?
その後、14時30分から16時まで展示品の鑑賞の時間です。
① 瑞泉寺裂
瑞泉寺伝来表具裂(きれ)、通称『瑞泉寺裂』です。
京都市指定有形文化財に指定されていて、京都国立博物館に寄託しております。
事件に連座した秀次公の子女妻妾ら三十余名の辞世の和歌懐紙を彼女たちが着用していた小袖などの裂で表装したものです。
しかし、表装に使われている小袖はこの日の講演者・山内麻衣子主任研究員さんによると江戸時代の物だそうです。
② 瑞泉寺縁起
秀次事件とその後瑞泉寺が建立されるまでのストーリーが絵とともに語られています。
巻一/秀吉と秀次の誕生から天下取り、秀次の出世、そして秀頼誕生と秀次謀叛の嫌疑まで。
巻二/関白位を剥奪された秀次が高野山へ上がり家臣らと自刃するまで。
巻三/秀次の首が京に運ばれ一族の処刑とその後に塚が築かれるが、後に荒廃するまで。
巻四/角倉了以の発願により「塚」の跡に御一族墓域と瑞泉寺が建立され、その後天和三年に寺が再建整備されたことまで。
③ 刀と槍と長刀
秀次公愛用と伝わる刀と槍です。
錆びがひどいのですが、磨けばまたもとの輝きを取り戻すとのことですが、これもなかなか費用のかかる事だそうです。
戦後すぐに一度GHQに押収された跡のラベルなどが痛々しく、これも歴史のひとつの面を伝えるものと言えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/70/ff5ed90c90ab40f5d5786c994c00ddac.jpg?1720750521)
④ 扇面
今回、京都国立博物館から里帰りしたもののひとつです。
秀次公の手による書が書かれています。
誰かに褒美として渡されたもののようです。
扇は屏風やお軸の形で保存されているものは多いけれど、400年前の扇そのままの形で残されているものは少なく、貴重なもので木の骨も残っているので、いずれ補修して元の形に復元されてはいかがと学芸員さんから言われているそうです。
⑤ 一族の御影
高野山で自刀した秀次公と家臣達並びに三条河原で処刑された御一族の御影。
京都市歴史資料館に寄託されているもののレプリカですが、精巧に作られており、秀次公ならびにご一統の面影がよくわかるお軸です。3服が残されています。
幼い女の子も多く、その多数は人質として側室に上がった方です。
ここまで連座して処分される必要があったなでしょうか?
我が子・秀頼の為とは言え、残虐な粛正に思えます。
今回は室町時代の胴丸・縹糸威胴丸(はなだいとおどしどうまる・重文)も修復を終えて特別公開されています。(8月4日まで)
休館日なのでゆっくりと鑑賞する事が出来ました。