京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

清涼寺(嵯峨釈迦堂)の紅葉

2020年11月30日 06時41分00秒 | 日記
 厭離庵の後、すぐ近くにある清涼寺に来ました。ご本尊さまがお釈迦さまなので京都では"嵯峨釈迦堂"と呼び親しまれています。





仁王門を入ると左手に多宝塔があり、周辺のもみじが綺麗に紅葉していました。

今日は久しぶりに伽藍内を拝観しました。
先程も触れましたが、ご本尊さまは釈迦如来立像で国宝のお釈迦さまです。








 
中国に渡った東大寺の僧奝然(ちょうねん)上人により模刻され日本へと持ち帰られたこの像は日本三大如来のひとつに数えられ三国(インド、中国、日本)伝来の生身のお釈迦さまとしてあまりに有名です。どことなくエキゾチック感が漂います。

このお釈迦さまを模刻した像は多数存在し清涼寺式釈迦如来と呼ばれています。



昭和28年の調査で体内より絹製の五臓六腑等が発見されています。
この像が模刻された寛和元年(985)には中国では既に人間の体内の構造を知っていた事になり驚きを覚えます。
調査終了後に再び胎内に戻されました。





本堂裏にお祀りされている弁天堂周辺の紅葉です。









庫裏からは大きな本堂の屋根を借景に紅葉が綺麗です。室内では写経も出来るようです。









最後に一切経蔵です。
江戸時代中頃の建築で輪蔵には明版一切経が納められています。
輪蔵を開発された傅大士と笑仏とがお祀りされています。
この輪蔵を一回転させることで中の一切経を全て読んだのと同じ功徳があると言われています。
たんだか手抜きで?ですね。





釈迦如来及び五臓六腑の写真はネットから転載させて頂きました。






厭離庵の紅葉

2020年11月29日 13時13分00秒 | 日記
 二尊院近くに佇む厭離庵は小倉百人一首を編纂した藤原定家の山荘跡と言われ、長らく荒廃していたのを冷泉家が修復、霊元法皇より「厭離庵」の寺号を賜り、現在は臨済宗天龍寺派に属する寺院です。





清涼寺(嵯峨釈迦堂)の西門から200m程西に進み、狭い路地の奥に山門があります。
案内の看板がなければ通り過ぎてしまいそうになります。







山門を入ると景色は一変、もみじの世界に入って行きます。







大正12年に再興された茶室「時雨亭」です。当時裏千家出入りの数寄屋大工岡田永斉により建てられました。







敷地は狭いですが茶庭を感じさせる露地風庭園です。



境内には「定家鄕御跡」の石碑があり、こちらも定家が営んだ山荘跡の候補地のひとつです。







ご本尊さまは如意輪観音菩薩坐像で天井には飛天が描かれています。



最後に藤原定家の一首「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くも藻塩の 身がこがれつつ」の御朱印を授与して頂き、次に清涼寺(嵯峨釈迦堂)へと向かいます。



常寂光寺の紅葉

2020年11月29日 07時10分00秒 | 日記
 大河内山荘を出て定番(?)の常寂光寺へと来ました。





常寂光寺の歴史は比較的新しく、文禄4年(1595)に秀吉が建立した方広寺大仏殿の千僧供養の際、在京の日蓮宗が二派に分裂しました。
その際に千僧供養に出仕せず本圀寺を出て、この地に隠棲し常寂光寺を開いたのが日禛(にっしん)上人です。





常寂光寺の"顔"とも言える仁王門です。
茅葺きの屋根が周りの景観に溶け込み風情があります。屋根は実は葦(よし)葺きです。





長い石段を登ると本堂があります。
小早川秀秋の助力で伏見城の客殿を移築した建物です。



境内にある妙見堂の前には展望台があり京都市内が遠望出来ます。
正面に見える山は東山三十六峰の第一峰比叡山、その手前の山は双ヶ丘です。







紅葉はやや見頃過ぎの感がありますが敷き紅葉もなかなかのものです。







常寂光寺のもうひとつの"顔"多宝塔です。
正面からも、また、高台からの姿も見事に景観に溶け込んでいます。







江戸時代中頃には、この場所に時雨亭があったようで昭和の初めの台風で倒壊し再建されずにいます。
こちらの景観を見ていると藤原定家が山荘を営んだ候補地のひとつと言われるのもうなずけますね。






上の写真は小倉池の紅葉です。

次に二尊院に向かうのが定番ですが、この時期にしか開いていない"厭離庵"へと向かいます。
(紅葉シーズンは一日で複数ヶ所を周るので一日二回更新する日もあります。)










大河内(おおこうち)山荘の紅葉

2020年11月28日 12時40分00秒 | 日記
 嵐山の景勝地に位置する大河内山荘は昭和初期に活躍した時代劇俳優・大河内傳次郎(1898-1962)が昭和6年から30年に渡り創りあげた庭園・建物群です。









拝観料は千円ですがお抹茶とお干菓子が付いているので決して高くはないと思います。







大乗閣と呼ばれる建物の前にからは双ヶ丘、その北に伽藍を構える仁和寺、遠くは比叡山や大文字の如意ヶ岳が遠望出来ます。







茶室前庭は一面の敷き紅葉、、、、
見頃の紅葉もいいですが落葉した紅葉にも感動を覚えます。



向かいの山の中腹に見えるのは大悲閣千光寺です。江戸時代末期の豪商で高瀬川や大堰川の開削に貢献した人で工事で犠牲になった方々を弔う為に建立されたお寺です。



傳次郎の持仏堂です。







東屋風の建物からは錦秋に浮かぶ京都の街、遠くは比叡山をはじめ東山三十六峰が見渡せます。
お茶でも頂きながら何も考えない静かな時間を堪能してみたいですね。







苑路にも変化があり見る者を飽きさせない工夫があちらこちらに、、、







妙香庵は傳次郎の妻が傳次郎の死後に住われた建物で近年、大河内傳次郎没後50件を記念し有志の方々の尽力で再建されました。





襖絵は京都市立芸術大学や京都造形芸術大学(校名の変更には疑問を持っているので以前の校名で表示します。)の学生さんや卒業生の方々の作品です。





最後に記念館に立ち寄り次に常寂光寺へと向かいます。









天龍寺の紅葉

2020年11月28日 08時45分00秒 | 日記
 宝厳院での早朝拝観を終え本坊の天龍寺へと来ました。





天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山です。
方丈西側の庭園は"曹源池庭園"と呼ばれる夢窓疎石の作庭で"庭園の国宝"にあたる国の史跡・特別名勝庭園に指定されています。しかも指定第一号です。







嵐山を借景に枯滝、護岸の石組が素晴らしいです。
夢窓疎石の庭は他に苔寺(西芳寺)や等持院の東庭に残っています。



天龍寺の庭園はいつ来ても庭園の管理が素晴らしく、春の桜を始め秋の紅葉と四季の花々が咲き見応えある庭園です。







"望京の丘"と名付けられた展望台からは眼下に天龍寺の伽藍、比叡山が遠望出来ます。






北門から出て"竹林の経"を抜け大河内山荘へと向かいます。