京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)

2020年08月30日 07時04分00秒 | 日記
 上賀茂神社は平安京遷都以前から存在し、世界文化遺産にも登録されている古社です。
ご祭神は賀茂別雷大神(かもいかづちのおおかみ)で正式名称も「賀茂別雷神社」と言います。





5月に行われる葵祭はここ上賀茂神社と下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭祀ですが、今年はコロナの影響で神事のみ関係者だけで行われて、路頭の儀など関連する行事は中止になってしまいました。







ふたつの立砂の頂上部には、それぞれ二本と三本の松の葉が置かれ、「陰」と「陽」を表しています。



花手水は流行りですね。 



緑の中に朱色が映える楼門です。
この奥に御本殿があります。






本殿と権殿の同じ建物がふたつあり、式年遷宮の時には神様は権殿に移られ本殿の修理がされます。





紫式部も参拝に来ているのですね。立派な歌碑があります。

上賀茂神社の参拝を終え、昼食です。
相変わらずの酷暑で、今日は冷やし中華を頂きました。
上賀茂御園橋のバス停を西に7.8分歩くと冷やし中華の名店(?)みその橋サカイがあります。
ほとんどの人は人気No.1の"焼豚冷めん"を注文します。具材のハムが焼豚にグレードアップされますら。
8月22日の記事にアップしていますので、よろしければご覧ください。

もう一店。
"今井食堂"さんのさば煮込定食がこれまた絶品です。

近くに京都産業大学があり、学生さんが多いからか?ご飯も味噌汁も大盛です。
腹ぺこで行っても満足する名店です。






アサヒビール大山崎山荘美術館

2020年08月28日 09時05分00秒 | 日記
 アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の企画展「生誕130年河井寛次郎展」に行って来ました。





相変わらずの酷暑の中、日中は美術館や博物館に避難(?)するのが賢明ですね。

先月に「そうだ 京都、行こう。」のイベントで清水五条にある河井寛次郎記念館を訪ねた時から、こちらの企画展に行こうと思っていました。



河井寛次郎、柳宗悦らの民藝運動を支援した初代アサヒビール社長山本爲三郎は生涯にわたり親交をもちました。

今回は山本コレクションを中心にした展示です。
初期の作品から晩年に至るまでの作品を一度に鑑賞できる凄い内容です。

作品について書ける程の知識はないので気に入った作品の絵葉書を2枚購入しました。





1枚目は「筒描花喰鳥文額皿」
花喰鳥はササン朝ペルシャでの文様が原型とされ、鳥が樹枝(幸せ)を運ぶ姿から縁起が良いとされ。、吉祥文様として用いられ
ます。

2枚目は「三色打釉手壺」
1961年の晩年の作品です。"釉薬の魔術師"と呼ばれた河井らしい作品です。

後は今回の展示リストをご覧下さい。






しかし、凄いコレクションですね。
ご覧の通り、こちらの美術館所蔵品だけで構成されています。



"地中の宝石箱"と名付けられた地中館です。
コンクリートの打ちっ放しから分かるように建築家安藤忠雄さんの設計です。

クロード・モネの「睡蓮」を始め、ルノワールの「裸婦」やピカソの「横たわる女」など凄い作品が並んでいます。



テラスからは宝積寺の三重塔が見えます。





反対側のテラスからは石清水八幡宮が鎮座される男山が、手前には桂川、木津川、宇治川の三川が合流して淀川となるエリアです。
少し東側には羽柴秀吉と明智光秀とが天下の覇権を争い戦った"山崎の合戦"の跡地があります。





何よりお気に入りは、このハーフティンバー様式の建築です。
アルプス以北の北ヨーロッパでよく採用される建築様式で、日本にはあまり建築数は多くありません。

京都では地下鉄丸太町駅近くにある"大丸ビラ"がありますが、残念ながら公開されていません。

近くには日本で建築環境工学の先駆者藤井厚ニが設計し、家族と共に住んだ"聴竹居"やサントリー大山崎蒸留所など見所の多いエリアです。





白峯神宮

2020年08月27日 07時54分00秒 | 日記
 白峯神宮は上京区飛鳥井町にある神社で、ご祭神は第75代崇徳天皇と代47代淳仁天皇のニ柱です。



孝明天皇は、保元の乱(1156)により讃岐国に配流になられ、45歳の若さで崩御された崇徳天皇の御霊を慰め、また、幕末期の混乱にご加護を願おうとされました。

幕府にご下命され、讃岐国白峰山陵からご神霊をお移し、京都でお祀りされようとされました。

しかし、突然に崩御され、願いは叶いませんでした。





父帝の御遺志を継ぎ、明治天皇がこの地に
ご神霊をお迎えし創建されました。



また、明治6年には淡路島南端にある淳仁天皇のご神霊をお迎えし、合祀されました。

淳仁天皇は奈良時代の善政を敷いた天皇ですが弓削道鏡の謀略により廃位になり淡路島で非業の死を遂げます。

この地は和歌・蹴鞠の宗家「飛鳥井家」の邸宅跡です。



摂社の精大明神は、平安時代から飛鳥井家の守護神として祀られていました。
大納言成通が「千日の鞠」を成就し、それ以降、球技や芸能の守護神として崇敬されきました。



本殿前にはサッカーやバレー、野球など球技の選手の奉納品が並べられています。



蹴鞠が奉納される場所です。

祇園甲部歌舞練場の東側に崇徳天皇の御陵がありますが、こちらは崇徳天皇の御遺髪が埋葬されているそうです。















晴明神社

2020年08月25日 07時44分00秒 | 日記
 晴明神社は堀川通一条上ルにある安倍晴明公をお祀りする神社です。

数年前に映画「陰陽師」が大ヒットし、一躍メジャーな神社になりました。







晴明公は昼間は天文陰陽博士として働き、夜は閻魔庁で閻魔大王の元、仕えていたと言われます。
しかし、伝説上の人物ではなく実在した人物です。(920〜1005)

孝元天皇の皇子・大彦命(おおびこのみこと)のご落胤と言われ、幼少期から優秀だったようで、天文暦学に明るく、式神を操る霊術を見に付けていたと言われています。

平安時代には陰陽師は非常に重要な役職で、貴族が出かける際には陰陽師にその吉凶を聞き、日付や方角が悪いと外出を控えたくらいです。

拝殿の左手には晴明公の像が、右手には厄除桃があります。
桃は古来より厄除け、魔除けの果実です。
お寺の屋根瓦でもよく見かけます。



晴明公が念力で湧出させたと伝わる"晴明井"です。
コロナの影響で止められています。



桔梗苑です。開花期は6月中旬から初秋にかけてです。



また、この地は聚楽第の千利休屋敷跡とも言われています。
利休も同じ水脈の水で茶を立てていたのでしょうか?











六角堂頂法寺

2020年08月24日 05時53分00秒 | 日記
 六角堂頂法寺は因幡薬師堂平等寺と同様、平安遷都以前から存在し、広く民衆の信仰を集めている町堂です。
また、西国三十三所観音霊場の18番札所でもあります。




 
用明天皇の御代587年、聖徳太子を開基に創建されたと伝わります。

ご本尊は聖徳太子の護持仏と言われる如意輪観音菩薩で全高が約5.5cmの小さな仏様です。
西国三十三所観音霊場の草創1300年記念事業だったと思いますが一度、お詣りした事があります。



現在、京都国立博物館で開催中の特別展「聖地をたずねて〜西国三十三所の信仰とと寺宝」でご本尊のお前立が公開されています。





有名な"へそ石"です。
平安遷都の際、通りが六角堂にあたってしまい、天皇が使者をたてて南北どちらかに移動して頂くよう祈願されると、お堂の礎石ひとつを残して、北へ5丈(約15m)移動した話は有名です。







また、親鸞聖人とも縁が深く、聖人が比叡山で長年修行しても満足できるものを得ることが出来ず、ある日から毎夜比叡山からここ六角堂に百日参籠され、夢告によって浄土真宗を開かれるきっかけとなったと言われています。

境内に立つ親鸞聖人像は百日参籠で通われた遠く比叡山の方角を見ているのでしょうか。





また、親鸞聖人像の手前には可愛らしい"一言願い地蔵"が居られます。

また、六角堂は、いけばな発祥の地としても知られ、池坊専応、専好を始めに代々の家元により受け継がれて来ました。
現在でも池坊家元が六角形頂法寺の住職を兼務されています。



六角堂の西側には11階建ての池坊会館があり、上から六角堂を眺める事が出来ます。

最後に御朱印を授与して頂きました。



本来なら草創1300年の記念スタンプを押して頂けるのが、この8月までの予定でしたが2022年3月末まで延長されました。