京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

本圀寺 京都山科

2023年10月31日 07時25分00秒 | 日記
 10月5日は、NHKカルチャーの現地講座で京都山科にある法華総本寺である本圀寺を訪ねました。







本圀寺は日蓮宗総大五山の初発唯一の寺、大本山です。

代々の天皇の庇護を受け、文明14年(1482)には後土御門天皇の勅諚により「法華総本寺」の認証を与えられています。









本圀寺の中心となる「妙法華院大本堂」です。
内部の須弥壇には宗祖日蓮上人を中心に荘厳さに包まれています。
自然に手を合わせて"お題目"を唱える雰囲気になります。



釈迦尊本師堂。





大客殿

貴賓の方が来寺された際の出入口です。
普段は閉められていますが、特別に開けて頂きました。







豊臣秀吉子飼いの大名・加藤清正公も熱心な法華信者だったそうで境内には清正廟(せいしょうびょう)があります。







経蔵

今回の特別公開のひとつ経蔵の公開です。
ご覧の様に輪蔵で今でも回転するそうです。

正面は見えないですが、輪蔵を発明した傅大士像がお祀りされているそうです。



納経所でお願いしていた御朱印を受取り、本圀寺を後にしました。






W大阪 安藤忠雄デザイン監修のラグジュアリーホテル

2023年10月28日 08時43分00秒 | 日記
 10月23日は2021月3月、大阪心斎橋に開業された「大阪W」へ。
建築家の安藤忠雄さんがデザイン監修されたラグジュアリーホテルです。
「Wホテル」として日本初進出のマリオット系のホテルです。





漆黒の外観が一際目につく、大阪の新ランドマークビルです。









西側に設けられたエントランスを入ると、四季折々で色が変わるアライバルトンネルが、、、








一階のメインフロアは目を見張る内装に色使い、、、DJブースまであり一瞬、派手な印象を受けます。

ご覧の通りホテル内は○の意匠で統一されています。













2602はスタンダードですが、室内は広く感じ26階からの眺望は抜群です。

メインフロアからは一線を画す落ち着いた客車です。

唯一、クローゼットの内側には現代のクリエイターさんの絵が描かれています。
(ここだけは派手です。)













2409は50室あるスイートルームのひとつで、さすがに広さを感じます。

Wホテルオリジナルのグリコポッキーや缶入りのミネラルウォーターが備えられ、全室にミニバーが設置されているのも「W大阪」の特徴です。

この部屋にも○の意匠は顕在でバスタブまでが○で統一されています。










スパです。

20mプールが備えられ、隣りのバーではバスローブなどの軽装でアルコールやソフトドリンクが提供されます。

その奥には吹き抜けの空間があり、夏場はビアホールになるそうです。

次にジムです。









ガラス張りの部屋では、専属のインストラクターの指導でヨガ教室のプログラムもあるそうです。

宴会場です。







最新のLEDを使った様々な演出が可能です。







隣りにはチャペルを思わせる部屋があり、実際に婚礼をあげられるカップルも多いそうです。

次に3階のダイニングでランチコースを頂きます。













ミシュランの星を獲得しているシェフがつくるコースは絶品です。

外観は黒一色のビル(従業員の中ではブラックボックスと呼ばれているそうです。)ですが、内部はおしゃれで刺激的な空間です。

以前に京都河原町通の四条と五条との間に同時期に開業されたフランスのフォーションホテルに雰囲気が似ている様に感じました。

宿泊と食事だけではなく、ホテル内で様々な体験が出来る最新のまた、刺激的なホテルです。




高松神明神社

2023年10月27日 07時36分00秒 | 日記
 高松神明神社の歴史は古く、平安時代延喜14年(914)に醍醐天皇の第10皇子として、高明親王が誕生され、延喜20年(920)に"源"の姓を賜り臣籍降下されています。





左京の三条三坊に邸宅として「高松殿」を造営されました。

同時に伊勢から天照大神を勧請され「高松殿」の鎮守の社としてお祀りされたのが高松神明神社の始まりです。

「高松殿の旧跡にして、御鎮守の御社なり」と古記録にのこっています。





久安2年(1146)には後鳥羽上皇の命により高松殿の地に近衛天皇の御所を造営し、「高松内裏」となっています。

久寿2年(1155)には近衛天皇が崩御され、後白河天皇が「高松内裏」で、即位されています。





保元元年(1156)の「保元の乱」では、後白河天皇方の本拠地となり、源義朝や平清盛らが参集して、崇徳上皇方の「白河北殿」へ攻め込みました。
夜襲が成功して戦闘は一日で終わり後白河天皇方が勝利しています。

保元3年(1158)には後白河天皇は二条天皇に天皇の位を譲位され、ここ高松殿を、「院御所」とされました。

平治の乱(1159)で「院御所」は焼失しましたが、残った内待所を「高松神明社」とされましたが鎌倉時代後期には廃宮となり、神明神社だけが残りました。

その後も広大な境内を有していましたが、天正18年(1590)に豊臣秀吉による都市改造で釜座通、小川通が開かれ、境内地が半分に狭められました。









境内には、石仏の地蔵菩薩がお祀りされています。
江戸時代寛政6年(1794)に高松神明宮宝性院の社僧が紀伊国の伽羅陀山善名称院(真田庵)にお祀りされていた真田幸村公の念持仏を拝領し、三間四面の地蔵堂を建立しました。

「幸村の知恵の地蔵尊」として、今も大切に
お祀りされています。





狭くなった境内ですが、稲荷神社や天満宮などの末社が鎮座されています。

平安時代の末期に政争の舞台となった場所です。





中村先生と歩く新選組ふたつの屯所跡

2023年10月26日 07時31分00秒 | 日記
 10月14日は、JR東海「そうだ 京都、行こう。」の会員オリジナルイベントで表題のイベントに参加しました。

講師は歴史地理史学者の中村武生先生です。
「そうだ 京都、行こう。」の会員イベントでは顧問的存在の先生で、最近は史実に基づいた新発見の場所に石碑を建てられています。





① 一念寺

最初に訪れたのは西本願寺と東本願寺との間にある"一念寺"です。

先ずは、ご住職から一念寺の由緒についてお話がありました。

明治維新時には、この地に西本願寺の家臣である富島家の屋敷がありました。









当時の当主・富島頼母(とみじまたのも)は、新選組の屯所を不動堂村へ大功労者であり、西本願寺の宗主・広如上人より褒美として献木を与えられています。

当時の西本願寺にとって如何に新選組が厄介な存在だったかがよくわかる逸話です。



次に一念寺の本堂をお借りして中村先生よりパワーポイントを使って新選組の屯所の変遷について講義が約1時間ありました。

その後は受講した内容を体感するフィールドワークで現地を巡ります。







② 西本願寺

新選組の活動期間の約半分にあたる2年3ヶ月間、西本願寺を屯所としました。

厳密には、太鼓楼と北集会所が屯所として使われました。
太鼓楼は現在地のままですが、北集会所は明治6年(1873)に姫路市にある亀山本徳寺に移築され本堂として現存しています。







③ 不動堂屯所跡

新選組の屯所は、慶応3年6月に西本願寺から不動堂村に移転しています。
その費用は全て西本願寺が負担したそうです。

塩小路堀川にあるリーガロイヤルホテル京都には、新選組不動堂村屯所跡の石碑が建てられています。





④ 近藤勇妾宅跡

醒ヶ井通木津屋橋下ルにあった興正寺下屋敷に、大坂新町から深雪太夫を落籍させて住まわせていました。

慶応3年(1867)11月18日、伊藤甲子太郎はこちらに招かれ酒宴が開かれたと伝わります。



⑤ 伊藤甲子太郎遭難の地

本光寺を出て油小路通を南へすぐ、木津屋橋通を西に入ったところで、伊藤甲子太郎が新選組隊士に襲撃された場所です。

宮川信吉ら4名の隊士が待ち伏せし、その内のひとり・大石鍬次郎が、謡曲「竹生島」を口ずさみながらやって来た伊藤甲子太郎の喉を槍で刺しました。









⑥ 本光寺

日蓮宗寺院で新選組「七条油小路の変」の伊藤甲子太郎他3名殉職の地です。

伊藤甲子太郎は、境内にある「南無妙法蓮華経」のお題目の石塔によりかかり絶命したと伝わっています。








錦天満宮

2023年10月25日 08時40分00秒 | 日記
 錦天満宮は新京極四条上ルにある菅原道真公を主祭神とする天満宮です。







新京極通と寺町通の間には大きな石の鳥居がありますが、両端が建物に食い込んでいます。
一説には鳥居のサイズの設計ミスとか、、、









御本殿の前には大きな「撫で牛」が、、
天神さんの使いとして親しまれている牛ですが、これには道真公と牛との多くの伝承とが結びついています。

「撫で牛」を撫でる事で勤勉・慈愛・健康の御利益があるとされています。









狭い境内ですが、おおくの摂社・末社がお祀りされています。







境内の地下30mからは"京の名水"のひとつ「錦の水」が現在もこんこんと湧き出ています。

近所の住民の方々や料理人の方が汲みにこられています。
定期的に水質検査をされていますが濾過されていないので神社では念の為に煮沸して使うような注意書きが添えられています。



京都一の繁華街ですが、神社やお寺が今もなお守られ、市民に根付いているところが"京都"です。