京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

ラ・ヴァチュールのタルトタタン

2022年04月30日 07時20分00秒 | 日記
 JR東海「そうだ 京都、行こう。」の会員イベント"京都人が愛する徳力版画の魅力"を堪能し、いつもの京都仲間のおふたりをお誘いしてカフェで一息するつもりでしたが、おひとりは岐阜へ、もうおひとりは東京に帰られるので今回はダメでした。







僕ひとりでやって来たのは平安神宮西側・京都武道センター正面にある「ラ・ヴァチュール」です。

こちらの売りは何と言っても"タルトタタン"です。





フランス料理の代表的なデセールである"タルトタタン"は19世紀後半にフランスにあるホテルを経営するタタン姉妹の"失敗"から偶然に生まれました。

最初はりんごのタルトを作り始めましたが姉妹はりんごを炒めすぎて焦がしてしまいます。失敗を取り返そうとフライパンの上にタルトの生地をかぶせそのままオーブンへ。

ひっくり返すとそれは美味しいタルトが出来上がっていました。

こうしてホテルの看板商品となったタルトタタンは評判となり、レストラン「Maxim’s」オーナーの耳にも届き、メニューに加えられ、世界へと広がっていきました。



その「タルトタタン」に魅力された初代店主の松永ユリは芸術への思いを込めて焼き続け評判になりました。





2015年に、96歳で亡くなられましたが、そのレシピと"思い"は孫娘さんへと引き継がれ今も当時の味を守っておられます。



酸味を感じる「タルトタタン」ですが添えられているヨーグルトをかけるとマイルドな味に変わります。

原料となるりんごも収穫時期により種類も変わり、味わいも違ってきます。

何度か頂きましたが少し酸味のあるりんごが「タルトタタン」には合っているように思います。
酸味が強いと感じればヨーグルトをかけるといいあんばいになります。





以前に伺った時には写真のような店内でしたが改装されたのでしょう!今は白を基調に明るい店内になっていました。

30分程で退店し、周辺を散策します。







すぐ近くには"尊勝寺"の推定地があり駒札もあります。
堀河天皇の御願寺です。

この辺りは平安時代後期から室町時代にかけて六山の御願寺が建立され、それぞれの法号に「勝」が付く事から「六勝寺」(ろくしょうじ、または、りくしょうじ)と呼ばれています。

また、近くには平清盛の父・忠盛が鳥羽上皇の為に建立した「得長寿院」があり、後に清盛が後白河上皇に献上した三十三間堂とふたつの"三十三間堂"が並んでいました。







京阪電鉄神宮丸太町駅の東にある京都大学熊野寮の北西角には、「此附近白河北殿趾」の石碑が建っています。

平安時代後期、白河上皇が院政を行った御所の北側にあたります。

保元元年(1156)に起こった保元の乱の舞台となった所で、敗れた崇徳上皇は讃岐国に流罪となりその後は、後白河天皇の時代が続く事になります。


京都人が愛する徳力版画の魅力

2022年04月29日 08時11分00秒 | 日記
 京阪電鉄神宮丸太町駅の南東に京都徳力版画館があります。





創業者は徳力富吉郎で代々西本願寺絵所を務める12代目に当たる方です。

終戦時に多くの弟子を養成し「版元」を興し、昭和53年には勲四等瑞宝章を授けられています。

1998年には収集した古版画、若手作家の育成、新版画研究の場として京都徳力版画館を開館されています。
(入場は無料で火曜日と日曜日、祝日は休みです。)













ご指導して頂いたのは京都市東山区六波羅にある佐藤版画工房の平井恭子さんです。

京都でも腕利きの摺師(すりし)さんです。

摺の工程の体験では平井先生と同じように工程をこなしましたが思うように行かず、朝顔の形がズレたり色が付いていないなど素人の僕には全くダメでした。













徳力版画文庫の室内の様子です。

襖絵や障子、床間、欄間などに京都らしい美的感覚を感じる室内です。

三階は「徳力版画文庫」になっていて歴代の御当主が収集された美術品が展示されています。







中でも仁和寺所蔵の「孔雀明王像図」の版画は1300回もの摺の工程を経ての大作です。









また、奈良薬師寺の散華の絵柄も徳力版画が一手に請け負っておられるそうです。









次に茶室をご案内して頂きました。
障子を開けると琵琶湖疏水が見えます。
少し東側には琵琶湖疏水事業を決断した第二代京都府知事・北垣国道の銅像と、今でも現役の水力発電所・夷川発電所があります。





購入した".慈照寺銀閣"と"龍安寺石庭"の絵葉書です。
ふたつの寺院とも夜の拝観はされていないので関心を持ちました。



もう1枚"仁和寺の御室桜"の切手サイズの版画も購入しました。




今から30年近く前に大阪駅で井堂雅夫さんの個展があり"平安神宮の紅枝垂桜"の版画に一目惚れしてしまい購入したのが版画との出会いでした。

エディションナンバーから180枚摺られた内の21番目の作品です。

版画には日本画や西洋画にはない暖かい温もりを感じます。



南禅寺畔 料理旅館"八千代"

2022年04月28日 07時16分00秒 | 日記
 4月23日は南禅寺参道に佇む料理旅館「八千代」へ。



真向かいは湯豆腐の名店「順正」です。

昨年の12月に"READYFOR"がされている「京都の料亭が守るべき日本文化を応援してください。」のクラウドファンディングに参加し少しばかりですが寄付をさせて頂きました。

今回は、その返礼品で昼食を頂きました。

















長年、料理旅館を営まれているだけに、どの料理も美味しいです。

湯豆腐を売りにされているだけに熱々の湯豆腐は体にしみ込みます。

京都の豆腐は東の南禅寺界隈、西は嵐山界隈のふたつのエリアが特に有名です。














"八千代"のもうひとつの魅力が庭園です。
面積は狭いですが七代目小川治兵衛が作庭した庭園です。

琵琶湖疏水から水を引き、飛び石や石燈籠、、、東山を借景に開放感のある庭園です。

この辺りは"植治"の庭が多く、すぐ南側にある"菊水"や主に結婚式場として使われている"桜鶴苑"の庭園も"植治"の作庭です。







上の写真は"桜鶴苑"庭園です。(1200坪)
通常は非公開ですが"あるご縁"があり中に入れて頂けます。
(披露宴がある時はダメですが、、、)

庭園に隣接する大正邸宅は大正時代に活躍した世界的古美術商・山中定次郎の邸宅「看松居」です。

次にJR東海「そうだ 京都、行こう。」の会員イベント"京都人が愛する徳力版画の魅力"の会場へと向かいます。





承天閣美術館 王朝文化への憧れ-雅の系譜

2022年04月27日 08時50分00秒 | 日記
 相国寺を拝観後は承天閣美術館へ。







禅宗寺院の美術館だけに庭園だけではなく室内もいつもき綺麗に清掃が行き届いています。

3枚目の写真にある燈籠は大徳寺聚光院にある千利休の墓石と同じ形です。





先ずは第一展示室へ。



蔦の細道図屏風(重文) 俵屋宗達筆(5月22日からの第二期で展示)



後水尾天皇像



佐竹本三十六歌仙絵 断簡 源公忠(重文) 鎌倉時代



源氏夕顔蒔絵手箱(重文) 室町時代



源氏物語図屏風 狩野常信筆 六曲一双

こうして出品作品名を鑑賞していると"平安王朝の雅"への憧れがずっと続いているのがわかります。

続いて第二展示会へ。

こちらには山外寺院のひとつ銀閣寺の書院や金閣寺の茶室"夕佳亭"が再現されています。







相国寺は伊藤若冲との縁が深く、若冲作品を多数所蔵されています。

しかし、明治政府による上知令により寺領が大幅に縮小し寺の運営も困難になりました。



「釈迦三尊像」
お寺が困窮した時にもこの作品だけは売らなかった相国寺第一の"寺宝"です。

現在でも重要な法要の時には方丈室中の間に掛けられます。(高精度デジタル複写)













「動植綵絵」 前述の「釈迦三尊像」を荘厳する為の30幅にも及ぶ花鳥図の大作で若冲を代表する作品です。

お寺の運営資金を調達するために多くの若冲作品を明治22年(1889)に皇室に献上しています。

現在は宮内庁三ノ丸尚蔵館に所蔵され昨年7月には国宝に指定されています。

今、相国寺があるのも若冲がお寺を救った事になります。




相国寺 春の特別拝観

2022年04月25日 07時23分00秒 | 日記
 臨済宗相国寺派大本山の相国寺本坊は通常非公開ですが、春と秋に一般公開されます。





今回の公開では法堂、方丈、開山堂が公開されています。
秋の公開は開山堂の代わりに"浴室"が公開されそうですら。(過去の例からこのパターンが定着しています。)





受付で拝観料を納め、先ずは法堂からです。
戦乱や失火で何度も焼失していますが、現在の建物は豊臣秀頼に寄進により慶長10年(1605)に再建され、国内最古の法堂建築です。





ご本尊の釈迦如来坐像と脇侍の阿難尊者と迦葉尊者像は運慶作と伝わっています。

また、天井の蟠龍図は狩野永徳の孫にあたる光信作で須弥壇の横で手を打つと反響して聞こえる為に「鳴き龍」とも呼ばれています。



次に方丈へ。





方丈も幾たびの火災にみまわれ、現在の方丈は文化4年(1807)に開山堂と庫裏と共に再建されたものです。








方丈南庭は白砂だけの庭園ですが、裏方丈庭園は趣きがガラリと変わります。

土地の傾斜を生かした深山幽谷の世界が広がっています。

次に相国寺で最も神聖な場所の開山堂です。

今の開山堂は江戸時代末期に桃園天皇皇后恭札門院の黒御殿を賜り移築された建物です。



中央には開山・夢窓疎石の木像が安置されています。







足利義満の時代には境内の東南の地に高さ109mを誇る七重の堂が建っていたようです。



現在は礎石などの痕跡は残っていませんが「塔之段」の地名のみが残っています。



受付時にお願いしていた御朱印です。

開山である夢窓疎石をお祀りする開山堂内を「圓明塔」とも呼ばれているそうです。