京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

松尾大社と重森三玲の庭園

2020年12月31日 08時07分00秒 | 日記
 臨川寺の特別拝観を終え、市バスで松尾大社へと来ました。







ご祭神は大山咋上(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)のニ柱です。

松尾大社は京都でも最古の神社で5世紀頃に日本に渡来した秦氏がこの地に住み松尾の神を氏神として祀ったのが始まりと伝わります。


拝殿には早くも来年の干支丑の大きな絵馬が飾られていました。



神輿庫に奉納された酒樽の数々です。
また、松尾大社は酒の神さまをお祀りしている事でも知られています。







本殿の右奥には「亀の井」と言う霊泉があり、この水を混ぜると酒が腐らないと言われていて酒造関係の方の参拝も多いです。

参拝を終え、もうひとつの見所である松風苑の庭園を見学します。
東福寺本坊や光明院の庭園を作庭した重森三玲の絶作となった庭園です。
昭和49年4月に着工し、翌年5月に完成しています。







ひとつ目の庭園は「曲水の庭」です。
奈良・平安朝を彷彿とさせる庭園で、背後の築山の中にも立てた石組を配置しているのは重森三玲らしいです。



「即興の庭」です。
曲水の庭の背後にある宝物館と葵殿の間にある庭園で四国産の緑泥片岩と白川砂との枯山水庭園です。
当初の庭園設計には無かった庭園だそうです。







「上古の庭」です。
松尾大社背後にある磐座に因んだ庭園で神々が降臨された姿を三玲得意の巨石の立石で表現されています。
地面一目に植えられた丹波笹は人が立ち入れない高山の神聖な場所を表現しています。









最後は「蓬莱の庭」です。
配置する池泉の形を支持して三玲は亡くなられています。
その意思を継ぎ長男の完途が完成させた庭園です。
石組と池泉が一体となり池の中に神仙島を配した蓬莱神仙の世界を感じる庭園です。

龍門瀑もあり、滝を登った鯉が龍となり、この池に住んでるかのようです。



社務所で御朱印を授与して頂き、嵐山一帯で行われている嵐山花灯路へと戻りました。

2020年の更新もこれで終わります。
お付き合い頂きありがとうございました。
来年も京都を中心に見た事、感じた事など綴っていけたらと思っています。

皆さま、よいお年をお迎え下さい。







臨川寺特別拝観

2020年12月30日 08時00分00秒 | 日記
 12月13日の午後は嵐電主催の臨川寺の特別拝観に参加しました。先月にも実施されましたが日程が合わずに残念に思っていた所ところ、追加日程の募集があり飛びつき参加した次第です。


渡月橋から桂川を少し下ったところに表門があります。(大堰川は渡月橋から桂川と名前を変えます。)





ご覧の通り普段は門が堅く閉められ内部を拝見する事は出来ません。

臨川寺のご由緒は後醍醐天皇が建武2年(1335)、夢窓疎石(国師)を開山に迎え創建された禅寺です。


中門に掲げられている「三会院(さんねいん)」の額は室町幕府三代将軍義満の筆によります。「三会」とは弥勒菩薩が出現されて(龍の華の樹すなわち)龍華樹(りゅうげじゅ)の下で三度説法をされることで、後醍醐天皇はこの寺を「龍華三会」の寺とする事を願い創建されたので本堂を別名"三会院"と呼びます。




臨川寺の庭も夢窓疎石が作庭したと言われていますが、数々の戦乱で失われ現在の庭園は新たしい庭園です。本堂前の石庭は「龍華三会(りゅうげさんね)の庭」と呼ばれ三尊石をそれぞれ釈迦如来、脇侍に文珠菩薩、普賢菩薩に見立て、周りの十六羅漢が説法を聞いている様子を表しています。

次に臨川寺の本堂を拝観します。
ご本尊さまは弥勒菩薩です。
ご本尊さまの左側には夢窓疎石の像がお祀りされていて、その地下にある蓮華形の名石の下に夢窓疎石が眠られています。







また、後醍醐天皇の第一皇子世良(ときなが)親王が後醍醐天皇の叔母宮(をばみや)昭慶門院により養育されたところでもあります。

親王は女院の亡き後も北畠親房や夢窓疎石から禅の心を学ばれました。
しかし、21歳の若さで崩御されました。







本堂の裏に夢窓疎石を慕うかの様に墓所が営まれています。

本堂、開山堂の説明をして頂き、次に書院にて写経の時間です。









"般若心経"かと思いきや"延命十句観音経"で前者に比べ文字数が少ないです。

筆ペンではなく、硯、筆、墨、文鎮が用意された本格的なものです。

自分の無病息災とMさんの病気回復を願い写経しました。

本来、お寺を参拝する際には写経をし、ご本尊さまに奉納します。その奉納の証で授与して頂くのが"御朱印"なのです。
御朱印帳も本来は"納経帳"が正しいのです。





次に嵐電嵐山駅へ移動。駅舎の屋上に入れて頂きました。





キモノフォレストの中を通りエレベーターで屋上へ。









西には天龍寺の伽藍が、南には虚空蔵法輪寺の多宝塔、北には愛宕山が、東には嵐電嵐山駅のホームが見渡せ、駅に到着する電車、出発する電車がまるでジオラマを見ているかのようです。

イベント終了後、嵐電嵐山駅インフォメーションに居られるNさん(観光おもてなし大使もされています。)としばし嵐山花灯路の事などの情報を頂き、次に松尾大社へと向いました。







大悲閣千光寺

2020年12月29日 07時01分00秒 | 日記
 12月13日、この日のメインは昼からなので、それまで久しぶりに大悲閣千光寺へと向かいました。







嵐山渡月橋から約1km大堰川の右岸を遡り、まだ紅葉が残る景色を楽しみながら進みます。
"星のや"の付近から上り坂が続きます。









約15分くらい登ると山門が見えてきます。
そのすぐ上には鐘楼があり誰でも志納し突く事が出来ます。







大悲閣千光寺は江戸時代後期の豪商・角倉了以が大堰川掘削工事の犠牲となった方々の菩提を弔う為に建立したお寺です。

ご本尊さまは恵心僧都源信作と伝わる千手観音さまです。

大悲閣観音堂は切り立った岩肌に建ち、ここからの眺めはまさに絶景です。
大堰川を挟んだ向かいには亀山公園の展望台が、遠くは比叡山や大文字如意ヶ岳が遠望できます。
時折、旧山陰線を走るトロッコ列車の警笛が聞こえる以外は風に揺らぐ木々の音しか聞こえません。







現在は仏殿にお祀りされているご本尊千手観音像と角倉了以像です。
角倉了以自身もここ大悲閣に住まい、開削した川を行き交う通船の便益を念じたと言われています。












真如堂(真正極楽寺)特別拝観

2020年12月28日 06時22分00秒 | 日記
 12月6日はJR東海「そうだ 京都、行こう。」のオリジナルイベント"角大師とご縁を結ぶ真如堂まいり」に参加しました。









12月に入ってもまだ、紅葉が残っています。

まずは真如堂会館で貫主・奥村慶淳さまからお話を頂きました。



コロナ禍の中、「角大師」と呼ばれた元三大師良源のお話な中心でした。



二本の角を生やした裸形で胡座する異様なお姿の護符です。
謂れは、疫病神が元三大師を襲おうとした時、大師が試みに小指の先に疫病神を宿してみたところ、激痛が走り高熱を発したといいます。そこで大師は疫病神除去のため、自ら降魔の姿になって、それを写し取らせたのがこの護符と言われています。

元三大師良源は比叡山延暦寺の天台座主にまでなられた方で正月三日に亡くなられたことから「元三大師」の名で親しまれています。
また、「おみくじ」の発案者としても知られています。


元三大師堂の前にある石灯籠は地元の方々が琵琶湖疏水の完成に感謝し、寄贈したものだそうです。



次に元三大師堂へ移動し、堂内で参加の皆さまと般若心経を読経し、コロナの早い終息を願いました。

大師堂は元禄9年(1696)の建立で、ご本尊は元三大師良源の画像で脇侍には不動明王像と地蔵菩薩がお祀りされています。

次に本堂にお祀りします。
本堂前には沙羅双樹(夏椿)と菩提樹の樹が植えられています。





ご本尊さまは慈覚大師円仁作と伝わり、一木造りで九品来迎印を結ばれた阿弥陀如来立像としては最古の阿弥陀さまです。



毎年11月15日のみお厨子の扉が開かれます。
毎年、行きたいと願っていますが未だにお姿を拝した事がありません。



裏堂には阿弥陀三尊が描かれています。

回廊を渡り書院へと移動します。




1988年に曽根三郎氏により作庭された「涅槃の庭」です。涅槃図の世界を景石で表現した庭で北を頭に入寂されるお釈迦さまの回りを弟子たちが囲み嘆き悲しんでいる様子が表現されています。
借景となっているのは如意ヶ岳大文字山です。



もうひとつの庭は2010年に重森三玲のお孫さんにあたる重森千青(ちさを)さん作庭による「随縁の庭」です。
三井家は真如堂の檀家で仏堂には歴代の御位牌がお祀りされています。
その仏堂の蟇股にある三井家の家紋・四つ目に因んでデザインされた庭園です。
「随縁」とは、事象が縁に因って様々な現れ方をすることを言います。
お祖父様譲りのモダンな庭園ですね。











いつ訪れても素晴らしい仏さまや景観と出会える僕の最もお気に入りのお寺です。
今回のイベントで管主さまよりご案内頂きより一層好きなお寺になりました。

なお、お堂は撮影禁止なので仏さまの写真は真如堂HPから転載させて頂きました。












待賢門院が再興した法金剛院

2020年12月27日 07時20分00秒 | 日記
 12月11日は朝日カルチャーで学んでいる「歩いて学ぼう!京都の歴史」の現地講座で花園にある法金剛院を訪ねました。
講師は同志社女子大学教授の山田邦和先生です。







紅葉が目当てではないのですが、この風景には見とれてしまいます。
こちら法金剛院ではコロナ対策で毎月15日のみ拝観を受付られています。
この日は特別に開けて頂いたので18名の貸切り状態でした。

講座では平安時代後期の院政について勉強中で法金剛院は平安時代後期の大治5年(1130)鳥羽天皇の皇后待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)がそれまでの天安寺を復興し、現在の法金剛院とされました。

地図の様に復興時にらは五位山を背景に、麓には滝(青女の滝)からの水が中央の池に注がれた広大な浄土式庭園があったようです。







青女の滝(せいじょのたき)は日本最古の人工の滝とされていて、待賢門院の発願により林賢(りんけん)と静意(じょうい)の作と伝わります。
貴重な遺構で国の特別名勝に指定されています。



池の西側には西御堂があり、そのご本尊が現在の法金剛院のご本尊丈六阿弥陀如来坐像です。今年、重要文化財から国宝へと昇格されました。



また、池の南側には南御堂は九体阿弥陀堂で上品上生から下品下生まで九体の阿弥陀如来がお祀りされていました。
地図の様に当時の池はJR花園駅のさらに南に広がっていました。







宝物館には平安時代の素晴らしい仏像がお祀りされています。
①上の写真
地蔵菩薩立像(重要文化財)
一木造で肉付きのいいお地蔵さまです。
衣文の古様が特徴的です。

②中の写真
僧形文珠菩薩坐像(重要文化財)
僧形の文珠菩薩は珍しいようど老相の表情が印象的です。

③十一面観音菩薩坐像(重要文化財)
時代は下がり鎌倉時代の作です。
坐像の四手の十一面観音さまは珍しいそうです。
身に付けられた装飾品が美しいです。

また、観音菩薩さまが納められている厨子も重要文化財で天蓋や扉に描かれている十二天も彩色が良く残っています。





法金剛院の境内を出て外周を散策します。
五位山の北には待賢門院花園西陵があります。
非常に美貌の女性だったようで西行法師も深く思慕していたようで、叶わぬ恋心の歌や亡くなられた時にも歌を残しています。

講座終了の時間ですが、少し延長してくださり花園駅の南側も散策しました。
すっかり住宅地に開発され、かっての法金剛院境内の痕跡は無かったです。

(仏像の写真は法金剛院のHPから転載させて頂きました。)