京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

高台寺 時雨亭(重文)特別茶席

2021年06月30日 20時31分43秒 | 日記
 高台寺では2年後の2023年にねね様の400年御忌を迎えます。





事業の一環で通常非公開の茶室・時雨亭での特別茶席が6月20日から30日まで実施されました。





今回、27日に参加させて頂きました。
隣りにある"傘亭"と共に伏見城からの移築でふたつとも国の重要文化財です。





時雨亭は珍しい二階建ての茶室で一階は待合と水屋があります。

予約の10時前ですが4名が揃ったので二階の茶室へと案内されます。
何度かテレビでは見た事がありますが実際に上がるのは初めてです。

今回の特別茶席のために二階の床を強化されたそうです。











初めて二階に上がりました。
高台寺境内の高台にあり、しかも二階建てのために景色は非常にいいです。

しかし、大坂城が落城し、炎上した際に、ねね様はここからご覧になり涙されたと伝わります。

秀吉公と共に一代で築かれた豊臣家の天下、、、
ねね様の心境はいかがなものだったのでしょうか?







お菓子は高台寺らしく瓢箪の形の主菓子、お抹茶は高台付きの茶碗で供されます。





釜はねね様ゆかりの鉄釜で、隣りには秀吉公ゆかりの黄金の茶碗(レプリカ)が置かれています。

料金は5千円とやや高額でしたが、いい体験が出来ました。

席主さんによると、ねね様の400年御忌までの2年間は毎年1週間ずつ開催する予定だそうです。



境内にある茶室・鬼瓦席です。
濃茶の鬼瓦席が行われますが、コロナ禍が続く今日、開催はしばらくは出来ないでしょうね。

昼からは京セラドームでオリックス対西武戦のチケットを取っているので大阪へとんぼ返りです。







現在、パリーグ首位打者の吉田正尚選手です。
侍ジャパンにも選ばれ、オリンピックでも大活躍して欲しいものです。





太秦広隆寺 聖徳太子御遺跡⑩

2021年06月29日 09時11分00秒 | 日記
 本家尾張屋さんで美味しい宝来蕎麦を頂き、京都バスで太秦広隆寺へと来ました。









今年は聖徳太子1400年大御忌の年で太子ゆかりの地を巡っていて広隆寺で10ヶ所目になります。

立派な仁王門が迎えてくれます。

広隆寺の歴史は古く、推古天皇11年(603)に建立された山城国最古の寺院であり、聖徳太子建立七大寺のひとつに数えられています。





薬師三尊を中央に弘法大師、理源大師聖宝、道昌僧都をお祀りしています。







地蔵堂です。
弘法大師が諸人安産、子孫繁栄、しいては国家繁栄の願いでご製作になられた腹帯地蔵尊です。







上宮王院太子殿です。
江戸時代の享保15年(1730)に再建されたお堂で名前の通り聖徳太子がご本尊(像高148cm)です。

歴代天皇が"即位の大礼"に御着用される香櫨染御袍(こうろぜんごほう)が即位後に下賜され、一代を通じて聖徳太子像に着せられています。
この慣わしは平安時代から現代にまで続いています。

この聖徳太子像は秘仏で毎年11月22日のみ開扉されます。



この黄櫨染を現在に復活復元されたのが嵐山で工房を持たれている染色作家の奥田祐斎さんです。



桂宮院本堂(国宝)です。(非公開)
境内の西側にあり塀で囲まれているので外部からは見えません。

法隆寺夢殿と同じく八角円堂ですが屋根は檜皮葺です。



ご本尊は聖徳太子半跏像(鎌倉時代・重文)ですが、現在は霊宝殿に移されています。



最後は霊宝殿です。





「広隆寺資材交替実録帳」(国宝)に掲載の二体ある弥勒菩薩半跏思惟像の内の「宝冠弥勒」と呼ばれれる弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)です。
赤松材の一木造で7世紀の制作とされていますが、飛鳥時代の木造仏像はほとんど例外なくクスノキ材が使われている事から朝鮮半年からの渡来仏との説が有力になっていました。

ところが昭和43年(1968)に内刳(うちぐり)の背板が赤松ではなくクスノキに似た広葉樹である事が判明し、国内制作説も有力になっているそうです。





もう一体の弥勒菩薩半跏像(国宝)です。
「広隆寺資材交替実録帳」に「在薬師仏殿之内」との記述があり「宝髻(ほうけい)弥勒」を指すとされています。



阿弥陀如来坐像(国宝)。
講堂のご本尊で像高261.5cmで説法院を結び、「資材帳」によれば承和年間840年頃の制作とされています。





不空羂索観音像(国宝)。
像高313.6cmもある大きな観音像で講堂に安置されていました。
奈良末期から平安初期の制作とされています。



千手観音立像(国宝)。
像高266cmで講堂にお祀りされていた観音さまです。
平安時代初期(9世紀)の制作です。



二躰の弥勒菩薩半跏思惟像を守護されている12躰の十二神将も全てが国宝です。

仏像が17躰、広隆寺資財交替帳及び広隆寺縁起資財帳の文書2件、桂宮殿本堂の20点もの国宝、48点の重文を所蔵されています。



なお、宝物殿内は撮影禁止なので殿内の写真はネットからの転載です。









御用蕎麦司「本家尾張屋」

2021年06月28日 07時40分00秒 | 日記
 6月24日はメルパルク京都主催の「老舗のこころ」シリーズ第5弾で御用蕎麦司「本家尾張屋」へお邪魔しました。





約550年の室町時代寛正6年(1465)の創業と言いますから応仁の乱の2年前にまで遡る京都でも"老舗中の老舗"です。
当初は菓子屋からの始められたそうです。





17代目の当主は今回お話をして頂いた稲岡亜里子さんです。

15代目の長女として生まれ、高校時代の17歳でアメリカ・サンディエゴのハイスクールに留学され、そこで写真の魅力に惹かれ、卒業後はサンフランシスコの大学へと進学、二年生からニューヨークの学校の写真科に編入されたそうです。

卒業後はニューヨークと東京での仕事をかけ持ちする日々が続き、2002年から6年間はアイスランドに通って"水のある風景"を撮影されている時に"水の営み"に感化され"実家を継ぐ"意識"が芽生えてきたそうです。





実家に戻られ先代のお父さまから仕事を学ばれますが、二年後に他界されてしまいます。

その後を継いでからはご苦労の連続で80名おられる従業員の方々とのコミュニケーションの難しさ、子育て、写真家としての二足の草鞋の難しさ、、、

そこで会議の回数を増やして従業員の方々の意見を聞き風通しのいい環境にする様に努められ次第にコミュニケーションが上手くいく様になったと言われていました。

約1時間、お話を聞きました。
人にはそれぞれの思いがあります。それらにいかに耳を傾け具現化して行くのかが経営者の腕の見せ所です。

是非、お客様にも従業員にも慕われる"ホント"のご当主になられ、末ながく「本家尾張家」の暖簾を守っていって欲しいものです。

お話の後はテーブル席に場所を変えお蕎麦を頂きます。







十四代目が考案された「宝来蕎麦」です。

「わりご」という風流な五段の漆器に盛り付けた蕎麦を一碗ごとに異なる薬味で頂きます。
十四代目が「お蕎麦は縁起の良い食べ物」との想いから考案され名付けられた一品です。

お蕎麦が五段に盛られているので各段違った具材を載せて何通りものお蕎麦が楽しめます。
お蕎麦の風味や味、のどごし共に大変美味しく頂きました。
名物の「蕎麦餅」も特別に付けて頂き、看板商品だけに美味しかったです。



烏丸御池から徒歩で約5分、市内の中心にありながら「市中の山居」感がたっぷりのお蕎麦の名店です。



お土産に買い求めた"蕎麦かりんとう"です。
非常に美味しいです!





北野天満宮 御土居の新緑

2021年06月27日 06時30分00秒 | 日記
 二条城前のHOTEL THE MITSUI KYOTOでランチを頂いた後、市バスで北野天満宮へと来ました。







茶会の好きな秀吉は、北野天満宮でも大規模な茶会を催しています。
庶民も参加する事の出来る"開かれた茶会"でした。

当時は一週間の予定でしたが何故か一日で終わっています。







楼門を潜ると花手水が綺麗に生けられています。
コロナ禍の中で手水鉢が使えない副産物かもしれないですね。









本殿前の三光門です。三光とは言いながら"星"が無いので"星欠けの三光門"とも言われています。

"星"は天上の北極星のことで実際には描かれていないと言われています。



本殿前には"密"を避けるためでしょうか?早くも"茅の輪"が設けられていました、

"茅の輪"を周り半年の穢れを落とし本殿で残りの半年間も元気で暮らせるよにお祈りしました。





新緑を求めて史跡"御土居"へ。
6月も末になり北野天満宮のもみじも新緑から深緑へと変わってきています。





近年に出来た展望台から本殿の複雑な八棟造の屋根が見えます。
最初は本殿だけだったでしょうが道真公信仰が広まるにつれ、次々と増築されたのでしょうか?複雑な構造です。



 

単純に土塁を築くだけではなく、水抜きの穴も備えた本格派なものです。
流石に"土木工事大好き"の秀吉らしい工事です。





豊臣秀吉が京都改造で築いた御土居は
①洛中と洛外とを区分するため。
②洛中を川の氾濫から守るため。
③洛中を外敵から守るため。
④犯罪者を洛外へと逃がさないため。
と、様々な目的があったようです。



御土居の東側を流れる紙屋川(天神川)も鴨川同様にかってはよく氾濫をおこす暴れ川だったそうです。





御土居の大欅で樹齢は600年と言われています。
秀吉による御土居の工事を見守ってきた"生証人"ですね。












HOTEL THE MITSUI KYOTO

2021年06月26日 09時18分00秒 | 日記
 HOTEL THE MITSUI KOYTOは昨年4月に開業された国内最上級ラグジュアリーホテルです。






以前は、この地で"京都国際ホテル"が営業されていましたが、施設の老朽化や耐震性の問題があり、2014年12月に惜しまれながら閉店されました。

元々この地は三井総領家(北家)ゆかりの地で阪急不動産から土地を譲り受けホテルとして開業されました。

堂々とした門も三井総領家の門だった事もあり今回、ホテルの顔としてロビー前に移築されています。



ロビー前の庭園には十三重石等があり、手前の井戸の様な物は温泉の源泉です。
地下1000mで掘りあてたそうです。







館内は木材を多く使い和のテイストに満ちた雰囲気です。





廊下は伏見稲荷大社の千本鳥居をモチーフにしているそうです。







館内の随所には現代作家の作品が展示されています。











中庭の庭園です。
山田造園さんが手掛けられ、近代庭園の良い所を多く取り込んだよく手入れのされた庭です。
枝垂れ桜がありますが、近年の夏の異常気温を少しでも和らげる為に幹には菰が巻かれています。









「四季の間」です。
かってこの地に存在した三井総領の邸宅の一部を総檜造で現代に再現した建物です。

節がひとつもない檜材が使われ、贅沢な建物ですね。

お茶会や食事会の他に館内のふたつのレストランの別室としても使わられているそうです。



前には「もみじ台」があり、気候のいい季節には休息にいい場所です。
野点をするには別に営業許可がいるそうです。(相変わらず、規制だらけの日本の行政ですね)

館内ツアーは現代アートと庭園が中心で客室内や地下にあるスパの見学が無かったのは少し残念です。 

もうひとつの楽しみのランチです。







場所は一階の「都季-TOKI-」です。
壁には西陣織と京友禅の着物のはぎれを使い四季を表現しているそうです。

"フランス料理と日本料理を融合・昇華させた料理"をコンセプトにしたレストランです。


小鮎とトマトのカルパッチョ
最初から鮎で出て来たのには驚きです。
この時期の鮎はあ頭から全て頂けるのがいいです。
和食では蓼酢ですがトマトのカルパッチョソースで頂くのがフレンチ風。



バケットも焼きたてで美味しいです。



「オマール海老と琵琶鱒のガトー仕立て うに」
これこそ和とフレンチとの融合した一品です。
一度に色々な味や食感を味わえます。


最も気に入ったのがこの料理「甘鯛のポワレ イカ墨のリゾート 日本酒のエメルツション」です。

甘鯛の鱗までポワレされた一品で皮目のパリパリ感と身のジューシーさのバランスが絶妙でした。
また、ソースも良く合い、美味しく頂きました。



「国産和牛フィレ肉のポワレ 赤万願寺とうがらし ピペラード」

ミディアムでお願いしました。
火の通りが抜群でした。ボルドーソースで頂きますが、ややソースの濃い味が勝っている印象です。
しかし、そこがフレンチ、、、
僕なら岩塩ですが、、、

 

ドルチェは「二重のパイナップルと実山椒のアイス」



最後の珈琲にもお菓子が添えられているのも嬉しいサービスです。

恐らく一生涯、利用する事のない高級ホテルを満喫させて頂きました。