京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

奈良興福寺 国宝館

2021年07月12日 10時16分00秒 | 日記
 和銅3年(710)の平城京遷都と時を同じくして興福寺も平城京左京三条七坊に創建された藤原氏の氏寺です。

天平文化のみならず平安、鎌倉時代を代表する多くの文化財が保存、展示されています。





現在の国宝館は昭和34年に食堂の跡地に建てられました。
地下には旧食堂の遺構が保存されているそうです。



2018年には耐震補強や展示方法の見直しなど大規模なリニューアルが行われました。ガラスケース越しではなく、よりリアルに見える様になりました。







旧食堂のご本尊千手観音菩薩立像(国宝・鎌倉時代)が展示室のセンターにおられます。
像高が520cmもあり圧倒的な存在感です。




天燈鬼立像と龍燈鬼立像(ともに国宝・鎌倉時代)は過去に切手の図柄に採用されたので年配の方なら覚えておられる方もおられると思います。











馴染みのある銅造の仏頭(国宝・白鳳時代)です。
応永18年(1411)の火災で胴体が失われてしまいましたが、この如来さまのお顔だけでも残ったのは奇跡的な事と思います。

白鳳時代にこれだけの仏像を作れる技術を持った仏師がおられたのは驚きです。
鞍作止利を中心とした渡来系の仏師による制作なのでしょうね。

もとは天武天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂の供養の為に天武14年(685)に制作れた仏像で年代が記録に残ると貴重な仏頭です。



こちらも過去に切手になっています。





脱活乾漆造十大弟子立像(国宝・奈良時代)

奈良時代独特の仏像制作技法・脱活乾漆造で制作され、平安時代になると一木造が、鎌倉時代になると寄木造が主流となって行きます。

技法についてはパンフレットの解説を参照して下さい。



脱乾漆造八部衆立像(国宝・奈良時代)

説明にあるように八部衆はもとはインドの神々で後に仏教に取り込まれ守護神になりました。
仏教の懐の深さを思います。
再三の火災にも関わらず救い出されたのは脱乾漆造で重さが15kgと軽い事が幸いしたようです。





他の寺院の阿修羅像が憤怒相なのに対していて、仏教の守護神にしては少年の様な表示の柔和なお顔をされています。
その表情には"懺悔"と言う仏教で重要な宗教行為が反映サレていると言われています。



展示されている仏像がすべて国宝や重要文化財で白鳳時代から鎌倉時代への仏像の変遷過程がよく分かる展示内容です。

奈良に来られたら是非に見て頂きたい「興福寺国宝館」です。













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