京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

五条坂陶器まつりと若宮八幡宮

2019年08月31日 07時31分08秒 | 日記
8月9日は朝日カルチャースクールで同志社女子大学の山田邦和先生の「平安京の怨霊と御霊」の講座の後、五条坂に来ました。



京阪電鉄清水五条から東大路通にかけての歩道には所狭しと陶器を販売する老舗のお店が売出しをしていたり、露店が並びます。
お手頃価格の抹茶茶碗がないかいろいろなお店で探していました。

五条坂に店を構えるあるお店で、奥まで見て、"お抹茶茶碗を探してるんですけど、お手頃なものはありませんか?」と尋ねたところ、ガラスケースの中から2点出して下さいました。
一点を手に取るとなんだかしっくりと来ない感じで、もう一点は両手にしっくりと馴染む感じでした。後者には"京焼・清水焼"のシールが貼られ、お尋ねすると"手びねり"だそうです。
すっかり気に入って購入、2800円の1割引でした。





五条坂には通称"陶器神社"と呼ばれる「若宮八幡宮」があり、お詣りをし、社務所も開いていたので御朱印も授与して頂きました。
御由緒については、一緒に頂いた由緒書をご覧下さい。





例祭が近いのでしょうか境内のテントには御神輿が2基鎮座されていました。





また境内には京都造形芸術大学の学生さんの作品を販売するテントもありました。
最近、「京都芸術大学」への校名変更を発表され物議を醸していますね!
京都で「芸大」と言えば1880年創立の京都市立芸術大学を指すのが長い間の慣習、伝統です。"なんで今更?」の感が拭えませね。
是非とも再考を願いたいものです。

今から、清水寺の千日詣りに向かいます。

七条大橋(登録有形文化財に指定)

2019年08月30日 07時00分38秒 | 日記
鴨川の七条通に架かる七条大橋は明治の京都市三大事業のひとつ「道路拡築及び電気軌道敷設」による七条通の道路拡幅の為、明治44年(1911)に着工、大正2年(1913)に完成し、現在鴨川に架かる橋で最古の橋で、日本で最初の本格的な鉄筋コンクリートアーチ橋です。当初は6連のアーチ橋でしたが鴨川左岸の疎水部分が短縮され、現在の5連のアーチ橋になっています。

戦時中の金属供出で欄干が供出され以降、木製の欄干でしたが京阪電鉄の地下化、川端通の開通時に金属製の欄干に改められました。デザインの意匠は"矢"だそうです。近くにある三十三間堂の新春行事"通し矢"がもとにあるのでしょうか?





また、この七条大橋が東山区と下京区との境界になっています。
昭和10年(1935)の「鴨川水害」の時には上流に架かる団栗橋や松原橋、五条大橋は流されてしまいましたがそれらの橋の残骸を上流の正面橋が受け止め七条大橋は無事だったそうです。

日本土木学会選奨土木遺産として2008年に登録されています。



NPO法人「京都景観フォーラム」や京都女子大学、地元住民の方々が協力し、登録有形文化財に登録するよう運動されて来ました。

ようやく今年3月29日付けで国の登録有形文化財に登録されました。プレートが取り付けられている筈なので後日、確認したいと思います。

今回の登録を記念して今8月4日から6日の3日間ライトアップが行われました。





京都国立博物館 茶室「堪庵」

2019年08月29日 08時32分29秒 | 日記
京都国立博物館の楽しみは明治古都館や平成知新館での文化財を鑑賞するだけではありません。



明治古都館は宮廷建築家の片山東熊の設計で国の重要文化財に指定されています。代表作には迎賓館、東京国立博物館があり、京都には他に蹴上にある旧御所水道ポンプ室などがあります。特に迎賓館は明治以後の建築物としては初めて2009年に国宝指定されています。

敷地内には、石燈籠や古墳の石棺、ロダンの「考える人」のレプリカやいろいろな石造物、銅像があり、それぞれには説明もあるので勉強になります。






こちらの敷地は元は秀吉が建立した方広寺大仏殿があった旧境内地にあたり、東山に向かう丘陵地でもあり、その高低差を埋める為に西側には巨石で石垣が存在感を増しています。

西門が京都国立博物館の正門で、門扉、守衛室も国の重要文化財です。

このように、西側は視界が開けて石造物が目に入りますが、東側、すなわち明治古都館の裏に行った人は少ないのではないでしょうか?





途中の道端には石仏が多数お祀りされています。
京都三大葬送地の鳥辺野に近いからでしょうか?



明治古都館の裏(東)に茶室「堪庵」があり、春には一般に茶会が催されます。

こちらの茶室は昭和33年(1958)に植田堪一郎氏により寄贈され、江戸初期の京都の公家文化を象徴する数寄屋造りの茶室です。













桂離宮の空間意匠、金森宗和好みの大徳寺真珠庵茶室「庭玉軒」の写しが特徴です。
月曜日の休館日以外は一般に貸し出されています。




京都国立博物館「京博寄託の名宝」展

2019年08月28日 09時54分21秒 | 日記
8月24日は、京都国立博物館て行われている「京博寄託の名宝」展の鑑賞に来ました。企画展が開催中に実施されている土曜講座「寄託制度と博物館」の議題で京博の学芸員の方が1時間半、制度の説明をして下さいました。





制度の説明が主で個々の文化財がどのような経緯を辿って京博に寄託されたのかの説明がなかったのが残念でした。



講座の前後に平成知新館での展示をゆっくりと鑑賞しました。





教科書に出てくる重文、国宝の名宝がズラリと並んでいます。

彫刻エリアでは、京都山科にある安祥寺の五智如来坐像は制作年代が平安時代にまで遡る現存する最も古い五智如来坐像です。今年春の京都非公開文化財特別公開で安祥寺が初めて公開されたのが記憶に新しいです。この五智如来坐像がなかったのは京博に寄託されていたんですね。

絵画エリアでは、やはり建仁寺所蔵の「風神雷神図屏風」が一際目立つ存在です。金泥、銀泥の使い方、胡粉の剥落の状態などホンモノのみが持つ圧倒的な存在感を感じます。

展示は文化財の品群毎にされているので非常に鑑賞しやすいです。それぞれの寺院や神社がこんな素晴らしい文化財をお持ちだとか、所蔵されていても現地で見た事がない文化財とか、複製が通常展示されていてオリジナルを見た事がなかった文化財など見応えのある内容でした。













鑑賞を終えて1Fのロビーまで来ると京博公式キャラクター「トラりん」が来ていました。







晴明神社

2019年08月22日 07時44分54秒 | 日記
晴明神社は、堀川通一条上ルにある神社で陰陽師として名高い安倍晴明をお祀りしています。



堀川通に面した一の鳥居の額には神社名ではなく「晴明桔梗」(「五芒星」とも言われます。)が掲げられています。



旧・一條戻橋・式神石像とが再現されています。



晴明公が念力で湧出させたと伝わる「晴明井」と呼ばれ、病気平癒の御利益があると言われています。千利休も茶にこの水を使ったと言われています。



千利休聚楽屋敷跡を示す石碑です。秀吉が聚楽第を本拠とした際の利休屋敷跡です。



境内には約2千株の桔梗が植えられています。この日は一輪だけ咲いていました。



本殿前にある厄除桃。
古来、陰陽道では、桃は魔除け、厄除けの果実と言われています。寺院の屋根に桃瓦があるのをよく見かけます。



安倍晴明公の肖像画を元に制作された像で、天体を観測しているお姿です。
安倍家は後に土御門(つちみかど)家になります。

晴明公は平安時代に実在した人物で昼は朝廷の役人として使え、夜は"あの世"で閻魔大王に使えたと伝わる伝説に満ちた人物です。

また、映画「陰陽師」の影響からか参拝者が絶えない神社です。