京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

京町家の宿で味わう「矢尾治」の精進料理

2023年06月30日 21時06分00秒 | 日記
 6月23日は、otonamiの企画で表題のツアーに参加しました。






ご案内して頂くのは女将さんの金子恭子さんです。

京都の中心部にほど近い釜座通沿いに店を構える「丸昭」は京染呉服の製造卸を営まれています。

店舗は築100年以上の京町家です。
2階に上げて頂くと多くの京染の呉服が並べられ、ご主人が仕分けの作業をされていました。











京都の織物や染物産業も衰退の一途を辿っていますが、こうして"ほんまもん"を目の当たりにすると素人ながらその美しさに惚れ惚れとします。
なんとか継続して欲しいものです。















この度、築100年を京町家を再生した一棟貸切の宿「GUEST HOUSE KYOTO MICaSA」をオープンされました。

ご覧の通り"和"の雰囲気、京町家の雰囲気を残しながらもモダンな空間にリノベーションされています。




武田薬品京都薬用植物園(旧田辺貞吉邸)

2023年06月29日 08時36分00秒 | 日記
 6月13日、曼殊院門跡を拝観後、すぐ近くにある「武田薬品京都薬用植物園」を訪ねました。

通常は特別見学会の時にだけ公開されます。





"まいまい京都"の「武田薬品の京都薬用植物園へ!旧田辺貞吉邸を拝見スペシャルツアー」に参加しました。

初めに研修棟でこの研修棟の内装を手掛けられた佐官職人の萩原哲也さん、京都薬用植物園の尾崎さんから座学がありました。











ただのパネルを貼り合わせた内装と思っていましたが全室、佐官職人の萩野哲也さんが手掛けられた"ほんまもん"の壁で出来ています。

合板などの内装に比べるも無く20〜30年は軽く持つそうです。



一例を上げて説明されましたが、三十三間堂の南端に東西に築かれた「太閤塀」は"聚楽"と言う土を使った土塀ですが400年間持っています。

また、武田薬品京都薬用植物園の尾崎さんからは研究用に約3000種類もの植物が栽培されているそうです。

後ほど、園内を案内して頂きました。









この日のメインは"展示棟"として使われている「旧田辺邸」の見学です。

かつては神戸市東灘区住吉にありましたが、平成7年(1995)の阪神淡路大震災で甚大な被害を受け、現地保存は困難と判断されました。

建物の履歴については、明治41年(1908)に建築され、大正4年(1915)には住友分家の邸宅として譲渡され、その時に2階部分を増築しています。

施主は田辺貞吉 住友銀行初代支配人。
設計は住友本店臨時建築部技師長を務めていた野口孫市です。









武田薬品工業(株)が引き取り、現在地に移築された建物です。
残念ながら大震災の被害で主要な部材がほとんど使えなかったそうです。









外壁はハーフティンバースタイルを取り、うろこ状の下見板張とを併用しています。









こちらの内装も佐官職人の荻野さんの匠の技が随所に見られます。

一級建築士の古賀芳智さんとのW解説で充実した見学会でした。









その後、薬用植物園の尾崎さんの案内で園内を巡ります。

色々な植物に薬用効果があるのですね。
知らない事ばかりでした。









中には"トリカブト"も栽培されていて、この一角だけはフェンスで囲まれ厳重に管理されています。

曼殊院門跡へ行く道沿いにあり気になっていましたが、こちらにも洋館建築があるのは知りませんでした。


曼殊院門跡 国宝・黄不動明王像公開

2023年06月27日 07時05分00秒 | 日記
 6月13日は、前回5月13日に続いて曼殊院門跡を訪ねました。







と言うのも門跡寺院の象徴でもある"宸殿"が昨年10月30日に150年振りに再建復興されました。

















併せて、宸殿前庭も整備され「盲亀浮木の庭」と命名されました。

その記念で普段は京都国立博物館に寄託されている「国宝・黄不動明王像」がお寺に里帰りされ公開されているからです。

お寺さまのお話では、今回が最後の一般公開になるそうです。



12世紀に描かれ、今日まで大切に守り伝えられてきた「黄不動明王像」、、、
まさに奇跡の絵画です。



平成25年(2013)から2年間にわたる修復により鮮やかな色彩が復元され、今回は新たに「愛知県立芸術大学」が4年間の年月を費し模写した"黄不動"も奉納展示されています。
6月30日以後はこちらの模写が宸殿にお祀りされる様です。



記念に"二幅屏風"を購入しましまた。

書院と庭園は前回に書いているので写真のみ掲載します。













書置きですが御朱印も授与して頂きました。






八木邸(大阪府寝屋川市香里園)

2023年06月26日 08時11分00秒 | 日記
 6月11日は、大阪府寝屋川市香里園にある"八木邸"の見学会に参加させて頂きました。



八木邸は昭和5年(1930)に建築家・藤井甲ニ、大工の酒徳金之助の協働により建てられた木造二階建て住宅です。



藤井厚二は平成25年(2013)に天皇・皇后両陛下が訪問された大山崎町にある"聴竹居(2019年に重文指定)"の設計者でもあります。

毎月第二日曜日に、事前予約制で見学する事が出来ます。(ほとんどの月が抽選になりますが、、)
八木邸倶楽部の方が熱心に説明して下さいます。





施主は大阪で棉花や綿糸、絹織物業の商売をしていた八木市造。
多くの客人を招待できるように、行き届いた設計がなされ藤井が設計した調度品が多く残っています。

撮影は事前の申請で許可されますが、現在も八木家の所有で内部の写真の投稿はNGです。
掲載の写真は"八木邸倶楽部HP"から転載させて頂きました。





食堂。

大家族だった八木家に合わせて食卓の両端が延長される工夫がなされています。



調理場で作られた料理は食堂との間にある小窓越しに提供されます。
今で言う"オープンキッチン"のはしりです。



応接室の中央に置かれた麻雀台。

客人をもてなす部屋だけに最も凝った部屋になっています。

麻雀台兼テーブルも藤井の設計で、四隅には"点棒"を収納すれ引き出しが外観からはわからないように備えられています。




応接室の隅に置かれた"謎"の電気製品。
ガイドの方の説明で暖房器具兼湯沸かし、加湿器だそうです。



外観にも日本家屋の古き良き時代を感じますが、部屋には"通気口"や"小上がり"など日本の蒸し暑い夏を如何に快適に過ごすかを考えられた住宅です。


主屋の裏には馬小屋が残されています。





主屋の裏にタオル掛けも残されています。

至る所に藤井厚ニのデザインへのこだわりを感じる事が出来きます。

よくぞ、85年以上も維持されて来たものです。
八木家の皆さまに感謝しかないですね。



平成25年(2013)には天皇・皇后両陛下(当時)が同じ藤井厚ニ設計の「聴竹居」を視察されました。
美智子皇后陛下の強いご希望だったそうです。






随心院門跡(花咲く京都)

2023年06月24日 07時38分00秒 | 日記
 南禅寺界隈の名庭「桜鶴苑」を楽しみ、その後地下鉄東西線で随心院へと来ました。





真言宗善通寺派の大本山で弘法大師空海より八代目の弟子にあたる仁海僧正の開基によるお寺です。





寛喜元年(1229)、後堀川天皇より門跡の宣旨を賜り、以降は九条家と二条家から門跡が入寺しています。(宮門跡寺院)





薬医門の前には"名勝小野梅園"が広がり毎年の3月の最終日曜日には"はねず踊り"が行われます。

このお寺を有名にしているのは"世界三大美人"のひとりに数えられ、才色兼備だったと伝わる「小野小町」が余生を送ったお寺てして知られている事です。

また、深草少将の"百夜通(ももよがよい)の話は余りにも有名な話です。









「能の間」には昨年に続きJR東海の協賛で"花咲く京都「花の間」"が6月30日まで開催されています。

極彩色の襖絵の部屋には花々が溢れていて、ここがお寺の一室である事を忘れてしまいます。










随心院のご本尊如意輪観音菩薩坐像です。



通常はお厨子は開けられていますが、御簾がかかり、お姿をお祀りする事は出来ませんが、年に数回ある特別拝観時には御簾が挙げられ、お姿を拝する事が出来ます。

本堂は現在、修復中で中に入る事は出来ませんが、中には阿弥陀如来坐像と金剛薩埵(こんごうさった)がお祀りされています。





その他にも多くの宝物が残されています。



小野小町文張地蔵尊。

多くの人から寄せられた文を下張りして作られた像で罪障消滅と有縁だった人びとの菩提を祈ったと言われています。



卒塔婆小町像。

七十才過ぎまで長生きをしたと言われる小野小町晩年の姿を写した像と言われています。






本堂裏にある"文塚"。

百夜通の深草少将をはじめ、同時小町に寄せられた文を"千束"を埋めたところと伝わります。





化粧の井戸。

小町屋敷跡に残る井戸で、朝夕にこの水で化粧をこらしたと伝わる井戸です。
今も綺麗な水が湧いています。