京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

城南宮 神苑「幸水苑」のしだれ梅

2021年02月28日 08時14分00秒 | 日記
 新聞夕刊の"梅だより"で満開の記事を見て、昼からのアスニーセミナーの前に訪れました。







先ずは御本殿にお参りを済ませ、神苑「幸水苑」へ。









春の山のしだれ梅です。約150本ある満開のしだれ梅の光景は圧巻です。

鳥羽離宮を築かれた白河上皇は「源氏物語」の六条院にちなみ「春の山」や「秋の山」を造られたそうです。

苑内には「源氏物語」に出てくる草花も植えられています。







苔の上に落ちた椿の花、その背後にはしだれ梅、、、定番の構図ですがやはり風情があります。











苑内を巡ると様々な椿の花々が咲いています。こんなに多くの種類があるのですね!
それぞれの木には名前の札が付けられています。







「平安の庭」です。
平安貴族の邸宅の庭園を模した庭で寝殿造りの建物に梅の花が映えます。
滝から流れる遣水では毎年4月と11月には王朝文化の象徴、優雅な"曲水の宴"が行われます。 









次に道路を渡り「室町の庭」へ。
室町幕府第八代将軍義政公の時代に花ひらいた室町文化。それを象徴する庭園で見事な枝振りの赤松が印象的です。
庭内には茶室「楽水軒」があり、呈茶を頂きながら庭園を鑑賞する事が出来ますが、こちらでもコロナの影響で取り止めになっています。







最後に御朱印を授与して頂き、京都アスニーに向かいました。







等持院

2021年02月27日 07時34分00秒 | 日記
 京都市北区にある等持院は臨済宗天龍寺派の禅寺です。
暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓疎石を開山に迎えて開かれました。









方丈南庭は禅宗寺院らしく枯山水庭園です。
方丈東隣りには足利尊氏の念持仏の地蔵菩薩立像をご本尊に、脇侍に達磨大師と夢窓疎石がお祀りされています。
お堂の両側には歴代足利尊氏の木像が安置されています。
(何故か5代義量と14代義栄の像だけがありません。)









不思議な事に徳川家康の像も安置されています。もとは石清水八幡宮の豊蔵方に安置されていましたが明治の廃仏毀釈の際に等持院に移されたようです。







こちらの魅力のひとつに庭園があります。
書院の庭園は芙蓉池を中心に蓮の花を形どった庭園には花木や草木が植えられ、四季の花々が楽しめます。
書院前にはサンダルが用意されていて、庭園内を散策する事が出来ます。





馬酔木も開花し、春を感じる光景になりつつあります。





庭園の一角には足利尊氏のお墓もあります。





茶室"清蓮亭"は尊氏没後100年忌の長禄元年(1457)に建てられもので8代将軍義政好みの茶室と言われています。







方丈裏庭園の東側は心字池を中心とした庭園で夢窓疎石の作庭と伝わります。

池の中にある中之島にはかって妙音閣がありましたが、現在は礎石を残すのみです。




また、墓地の一角には"日本映画の父"と呼ばれる牧野省三の像が建っています。

霊光殿や茶室清蓮亭の内部の写真は等持院HPから、牧野省三の写真はWikipediaから転載させて頂きました。










法輪寺(だるま寺)

2021年02月26日 09時01分00秒 | 日記
 法輪寺と言えば嵐山にある法輪寺を思い浮かべる方が大半だと思われますが、上京区にも法輪寺があります。
こちらは通称「達磨寺」と呼ばれ親しまれています。







達磨堂です。
堂内には所狭しと達磨さんがお祀りされていて天井にも描かれています。

達磨大師はインドから中国へ禅を伝え禅宗の開祖となられた方です。
中国に渡った後は少林寺で面壁9年、手も足もなくなり、尻までも腐る程の修行をされた方です。

日本人は達磨大師を慕い"七転八起"の達磨として日本独特の発展をして来ました。







衆聖堂(しゅうせいどう)はキネマ殿とも呼ばれ、わが国の映画創業以来の関係者400名余りの霊がお祀りされています。








本堂東の庭は「十牛の庭」と呼ばれ、禅宗の悟りの段階を表しているそうです。







鐘楼や本堂にも達磨型鬼瓦が使われています。




栂尾 高山寺

2021年02月25日 08時40分00秒 | 日記
 高山寺は過去に何度か訪れていますが、一昨年の台風で大きな被害を受け、その復興事業がようやく終わったようです。

しかし、裏参道では重機を入れて参道の整備工事が行われていました。





先ずは国宝の石水院からです。








石水院にある扁額「日出先照高山之寺」は高山寺中興の祖・明恵上人が後鳥羽上皇より賜った勅願です。





石水院から眺める栂尾の光景には心が和みます。下に周山街道が通っていて、時折り車の騒音が耳に入るのが残念です。





高山寺と言えば国宝の「鳥獣人物戯画絵巻」がなんと言っても有名です。
平安時代から鎌倉時代にかけて描かれた絵巻で甲・乙・丙・丁の四巻からなり、それぞれ描かれた年代が違うそうです。
天台宗の僧・鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の作と伝わりますが確証はないようです。

今年4月13日から東京国立博物館で全巻が公開されます。





床の間には国宝・明恵上人樹上坐禅像(鎌倉時代 恵日房成忍筆)の軸が掛けられています。(レプリカです)

明恵上人は晩年の十年間を高山寺で暮らされ、裏山の赤松の坐禅所(縄床樹じょうしょうじゅ)で坐禅三昧の生活をされていました。





駒札にあるように"日本最古の茶園"です。
栄西禅師から譲り受けた茶種を栽培した所で今も茶の木が栽培されています。





木々が茂り森となっていた所です。
台風の威力の凄さを感じます。





高山寺開山堂です。
中には明恵上人の木造坐像が安置されています。(江戸時代の再建)





高山寺金堂です。
中世には塔や鐘楼などの諸堂が並び、石水院もこの辺りにありました。



糺の森や醍醐寺も台風の被害が大きく、鬱蒼としていた森が無くなったり、密度が低くなっています。
何十年後、或いは何百年後には新しい森が出来る事でしょう。
自然の営みのたくましさを感じます。












周山 慈眼寺

2021年02月24日 08時11分00秒 | 日記
 この日はNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀公ゆかりの京都周山にある慈眼寺(じげんじ)に来ました。





境内の釈迦堂には明智光秀公の尊像がお祀りされています。 





織田信長から丹波平定を命じられた光秀公は平定後、この地域に善政を行い住民から慕われたそうです。
その人柄を讃え崇敬の念からこの像は作られたようです。

しかし、本能寺の変で主君織田信長を討った事から逆臣の汚名をきせられ、この像を守るために墨で黒く塗られ、秘仏としてひっそりとお祀りされてきました。
小袖の右肩口に桔梗の紋がかすかに見えます。
像の眼光は鋭く、いかにも戦国の世を渡り歩いてきたのかが想像できる像です。
(像の写真は購入した絵葉書からです。)







本堂のご本尊は烏枢沙摩明王尊(うすさまみょうおうそん)で下腹部に効験があり、特に女性を守護する明王とされます。

お寺の背後には明智光秀が築いた周山城の遺構が残っています。





城山の標高480mに築かれた郭や城壁、登り石垣、井戸などの遺構が残り、その規模は安土城にも匹敵するものと言われています。