京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

奈良大和路⑧天武・持統天皇御陵

2020年04月30日 19時47分00秒 | 日記
 明日香村の一角に天武・持統天皇の御陵があります。



檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)と呼ばれるこの御陵は説明板にあるように天武・持統天皇夫妻が合葬された陵墓です。



今は鬱蒼とした小山になっていますが、元は、基壇は八角形で五段構造、頂上部は寺院の仏塔のようになっていたと推定されています。

古代の古墳の被葬者が確定しない中、この陵墓だけが唯一、天武・持統天皇おふたりの陵墓と確定しています。



持統天皇が天皇として初めて火葬され、この御陵に葬られてから約500年後の鎌倉時代の文暦2年(1235)に盗掘に遭っています。
その際、調書が作られているのです。

やがてその調書も行方がわからなくなります。ところが明治に入り、その文暦2年の盗掘調書が発見され、陵墓内の状況が日本書紀に残るおふたりの埋葬状況と一致した事から檜隈大内陵がおふたりの陵墓と確定しました。

鎌倉時代の盗掘、その調書がなければおふたりの陵墓を巡って今も論争が続いている事でしょう。
なんとも皮肉な結果ですね。



また、この陵墓の位置関係にも注目です。
おふたりの悲願だった日本最初の都城"藤原京"のメインストリート"朱雀大路"の真南に当たります。

藤原京の繁栄を願うおふたりの強い意志を感じます。





奈良大和路⑦川原寺(弘福寺ぐふくじ)

2020年04月27日 06時22分00秒 | 日記
 橘寺の向かいに川原寺があります。





川原寺は飛鳥寺、薬師寺、大安寺と並ぶ4大寺のひとつに列せられる大寺院でした。
やがて都が平城京へと遷都されると他の寺院も移って行きましたが川原寺のみ当地に留まりました。



南大門を入ると左右の回廊とつながる中門があり西側には西金堂が、東側には五重塔が並び、さらに中門に向かい合うように中金堂が配置された大寺院でした。







往時を示すように基壇や礎石が残っています。







中でも現在の本堂はかっての中金堂の跡に建っており、28の礎石が残っています。
当時、非常に貴重な瑪瑙(めのう・大理石)が使われています。



ご本尊さまは十一面観音立像で穏やかなお顔にふっくらとした体型で慈悲に溢れる観音さまです。
かっては四方に四天王がご本尊をお守りしていましたが今は持国天、多聞天(共に重文)のニ躰だけが残ります。

また、弘法大師空海が京都と高野山を往復する際の宿舎としても使われたようです。



斉明天皇が身に付けられた衣装が復元展示されています。



書院の北の窓からは遠く天香久山が、手前には蘇我入鹿の邸宅があった甘樫丘が見渡せ、東側には入鹿が暗殺された"大化の改新"の舞台となった飛鳥板葺の宮跡があります。
この光景を見ていると、1400年に激しい権利抗争があった事が嘘のようなのどかな景色です。

この春には初めての夜間拝観、プロジェクションマッピングが企画されていましたが、コロナウィルスの影響で中止になってしまいました。
来年の春に期待したいです。













奈良大和路⑥橘寺

2020年04月24日 06時20分00秒 | 日記
 明日香村にある橘寺は聖徳太子ご誕生の地です。第31代用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)との間に572年にお生まれになりました。





飛鳥時代の石造のひとつで、人の心の善悪の二面を表していると言われています。





五重塔跡。






塔の中心に据えられる心礎で珍しい形をしています。高さ約38mの五重塔が建っていたと推定されるそうです。

金堂跡。



現在の本堂で元治元年(1864)に再建された建物です。






八重桜の一種普賢象桜が満開でした。
花の中心から雄しべが二本伸びているのが特徴です。
普賢菩薩さまが乗られる象の鼻に似ている事から名付けられたと言われています。






寺の名称にもなっている橘も植えられ、黄色い柑橘の実を付けています。


最後に御朱印を授与して頂きました。










奈良大和路④安倍文殊院

2020年04月22日 08時45分00秒 | 日記
 石上神社を参拝後、桜井市にある安倍文殊院へと来ました。



安倍文殊院な大化元年(645)創建と伝わる古刹のひとつです。元は安倍一族の氏寺として建立され法隆寺式伽藍をもつ大寺院だったそうです。
末裔には遣唐使として唐に渡った安倍仲麻呂、陰陽師の安倍晴明がいます。






本堂は、江戸時代寛文5年(1665)に再建された建物で、昭和48年には本堂奥に、ご本尊さまの文珠菩薩坐像他4躰を安置する収蔵庫が出来ています。

何よりご本尊の快慶作の騎獅(きし)文珠菩薩像(国宝)が名高いです。胎内に残る墨書から鎌倉時代建仁3年(1203)の快慶の作と判明しています。



由緒書きにあるように5像で「渡海文珠群像」を構成して人々に智恵を授ける為の説法に出られるお姿です。

本堂横には国の特別史跡に指定されている西古墳があります。







中には弘法大師空海作と伝わる「願掛け不動」がお祀りされています。





弘法大師像の背後には境内地にお祀りされていた四国八十八ヶ所、西国三十三所ヶ所のご本尊仏をこちらに安置したものです。
弘法大師像の前には「御砂踏み石」が置かれていて中には四国八十八ヶ所のお砂が奉納されています。







東古墳は県指定の史跡です。
安倍文殊院境内だけで二ヶ所の古墳があります。明日香村にかけては古墳の密集したエリアです。





重要文化財の白山堂。
唐破風の付いた柿葺が美しい曲線美を感じます。







金閣浮御堂霊宝館。
弁財天、安倍晴明、安倍仲麻呂をお祀りしたお堂です。
「七まいり」という魔除け、方位災難除けを祈願するお堂で、回廊を「おさめ札」を七回まわります。







最後に鐘楼の前を通り高台にある稲荷社へと向かいます。



(一部写真はHP、由緒書きからです。)

次に明日香村へと向かいます。








奈良大和路⑤岡寺(龍蓋寺)

2020年04月21日 07時00分00秒 | 日記
 安倍文殊院の次は明日香村にある岡寺に来ました。正式には東光山龍蓋寺(りゅうがいじ)と言います。

(安倍文殊院の記事は後日アップします。先に岡寺の記事を書いてしまった為です。)




日本最古の巡礼である西国三十三所霊場の第七番札所でもあります。





ご本尊は日本最大の大きさで尚且つ最古の塑像の観音さまです。
インド、中国、日本の三国の土で弘法大師空海が造られた如意輪観音さまです。



6月30日まで西国三十三所草創1300年記念で本堂内々陣お扉特別開扉ですぐ間近でお参りが出来ます。
裏堂には旧本堂の瓦や寺宝が多く展示されています。







境内には多くの石楠花が植えられ、毎年5月中旬には皐月との共演が見れます。

十三重の石塔です。


本堂前から境内を見下ろす苑路が設けられており高台からは明日香村の風景を楽しむことが出来ます。

岡寺の鎮守社でしょうか稲荷社があります。



少し登ると奥之院石窟があり石造弥勒菩薩坐像がお祀りされています。





途中には岡寺の開祖義淵僧正の墓所があります。義淵僧正は良弁僧正や行基菩薩など奈良仏教の基礎を作られた僧の師に当たる方です。







やがて三重塔に出ます。





最後に大師堂にたどり着きます。







次に聖徳太子ご誕生の地と伝わる橘寺へと向かいます。