京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

松殿山荘 重要文化財指定記念講演会②

2019年06月30日 08時37分04秒 | 日記
桐浴先生に続いて尼崎博正先生の講演です。



先生は近代庭園研究の第一人者で特に植治(七代目小川治兵衛)研究や南禅寺別荘群庭園の修復、復元にご活躍されています。
扇子とサスペンダーがトレードマークです。

さて、松殿山荘の庭園の特徴は高谷宗範の思想に基づいて作庭されている事。







水の意匠の巧みな取り込み











①立地
丘陵の頂部に作庭。
東方の谷の湧水を75mmの鉄管で導水。
眺望は眺望閣からの眺め 紀淡の海まで望める。







②水の意匠
蓮斎 かっては円形の池には睡蓮が植えられており
仕切りは睡蓮の花の色で分ける為に設けられた。

水が床下まで入り込む。
伊集院兼常作庭の廣誠院や植治作庭の並河靖之七宝記念館、對龍山荘の對龍台の意匠

デザインの一貫性(○と□)
円筒形井筒、円形の池、方形の蓮池。

③庭石・石造品











石材は六甲山系の本御影石が多く使われている。大書院の沓脱ぎ石は鞍馬石の巨石を使用。
特徴的なのは、産地名を刻んだ石標を添えていること。

セメントを多用している。当時時代の先端材料がセメントであり、石材より高価だった。

園路は井戸瓦を使い、延段や飛び石は○と□のデザインで統一。





④植栽
赤松、ソヨゴの生垣、ネジキの群植
他の庭園にはない生垣構成。



蓮斎(煎茶席) 水の上に張り出した開放的な建築。
撫松庵(煎茶席) 降り蹲踞





両先生の講演の後に建物、庭園の見学を先生の解説の元で周り大変に興味深く見学することが出来ました。

明治天皇陵と伏見城の足跡をめぐる①

2019年06月29日 20時03分46秒 | 日記
6月20日は、御香宮神社から明治天皇陵から昭憲皇太后、京都橘高校資料室、乃木神社と巡りました。

御香宮神社。







祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇他6柱。

表門は元和8年次(1622)に徳川頼房が伏見城大手門を寄進。重要文化財。

拝殿は割拝殿で、寛永2年(1625)徳川頼宣の寄進。

本殿は、慶長10年(1605)家康の命で板倉勝重を普請奉行に建立。五間社流造、檜皮葺、背面には柳と梅が描かれている。

秀吉築城前の伏見
①伏見山荘
伏見の長者と言われた藤原頼通(宇治 平等院を建立)の子、橘俊綱は、寛治元年(1087)指月あたりに山荘を造り阿弥陀如来を本尊に伏見寺(即成就院)を建立。
また、作庭にもすぐれ「前裁秘抄(のちの作庭記)」を著し、枯山水を創案し、伏見山荘に最初の枯山水庭園を作庭。

②金城閣
明治25年(1892)伏見町納屋町の脇伊兵衞は、伏見城二の丸の西端に5間四方3階建の建物を造った。当時の小学校の遠足地として人気があった。
明治29年(1896)この辺りの民有地は宮内省の御料地として買い上げられ、10時の猶予後の明治39(1908)すべての民家の立ち退きが行われた。

③山里丸
桃山東陵の南方でJR築堤の北のところに御船入りがあった。秀吉はここから大坂への往復に船便を使い、千姫も大坂城の秀頼に嫁ぐ際にここから出発しています。
深山幽谷の風情を持ち、茶室、庭園は利休好みに造られていました。その時にあった茶室 傘亭、時雨亭は高台寺に移築されています。
慶長5年(1600)関ヶ原の前哨戦で伏見城が落城の際、山里丸を守っていたのが宇治で茶業を営む上林政重でした。政重は戦死しましたが、以降上林家は江戸幕府の天領宇治の代官と茶頭取を代々勤めて来ました。









明治天皇の崩御
明治45年(1912)7月30日午前0時43分、明治天皇が崩御されました。8月3日に御陵は紀伊郡堀内村小字古城山に内定し、その後約40日にわたり昼夜三交代で御陵と桃山駅などの工事が行われました。
御大喪は大正元年(1912)9月3日に東京青山斎場で行われ、翌14日伏見桃山で御埋棺の儀が行われました。
その後、伏見桃山では御大喪の式場はそのままにされ、9月18日から11月8日まで一般に式場の拝観と御陵参拝が許され、9月18日には約18万もの参拝者があり、日を追うごとに増加したそうです。






松殿山荘 重要文化財指定記念講演会①

2019年06月26日 09時13分17秒 | 日記
6月23日は、宇治木幡にある松殿山荘を訪ねました。2回目で前回も記事にしています。(11月18日)



今回は、一昨年に松殿山荘が重要文化財に指定された記念の講演会があり、建築については桐浴邦夫先生が、庭園については尼崎博正先生が基調講演をされました。







松殿山荘は、大正9年(1920)から昭和9年(1934)にかけて高谷恒太郎(宗範)が設計した36000坪に及ぶ山荘です。
建物、庭園の随所に宗範のこだわりが表現されています。

まずは、桐浴先生の講演です。
高谷宗範の考え
・心は円なるを要す
・行いは正なるを要す

①江戸時代の大坂の町屋の名残としての建築
大坂中之島に残っていた天王寺屋五兵衞の屋敷を移築。松殿山荘の天五楼、楽只庵、不忘庵として残っている。





天王寺屋五兵衞の屋敷は同年代建築で現存している適塾から推測できる。

②ジェントルマンアーキテクト高谷宗範の作品として

宗範は官僚出身で後に弁護士になった人物で建築や作庭のプロではなく数寄者であった。





③数寄屋建築の近代化への試み

宗範は大阪今橋に住んでいた邸宅の茶室をリノベーションし、知人の邸宅や茶室の設計をしている。

武田五一の影響
今は明治村にある芝川邸は明治44年に建てられた洋館ですが、移築前には和館が併設されており、その設計に宗範が関わっていました。洋館の設計者 武田五一との交流が後の宗範に影響を及ぼしたと思われる。








琵琶湖疎水船② 大津〜蹴上 下り1便

2019年06月25日 19時34分29秒 | 日記
6月21日はびわ湖疎水船に乗船しました。去年の 月は蹴上から大津までの上りに乗船しましたが、下りにも乗りたくて予約しました。



こちら大津市側の取水口は京都市上下水道局の所有地だそうです。

8時30分に大津の乗船場に集合の後、琵琶湖疎水建設に携わった京都府第三代知事北垣国道、主任技師を務めた田邊朔郎についてのDVDを見て、乗船時の注意事項やライフジャケットの付け方の説明がありました。





乗客定員は12名、船長1名、ガイド1名の計14名が定員の小型船です。

疎水の流れは園城寺(三井寺)がある長等山を流れて行きます。
疎水工事は、まず長等山のトンネル工事から始まりました。この第一トンネルは全長2436mあり工期を短縮するために日本で初めてシャフト(立坑)を2本掘り計6ヶ所から掘り進められました。







立坑の真下に来ると日差しが見え、地上に真っ直ぐに通じているのが分かります。

また、途中には北垣国道の扁額がひっそりとあります。「寶祚無窮(ほうそむきゅう)」疎水建設の最大の功労者であるにもかかわらず、疎水建設にあまり積極的ではなかった元勲たちをたてて、自分は一歩引く、、、北垣の人柄が偲ばれる所です。



第一トンネル出口 扁額は大津側は陰刻で、京都側は陽刻で彫られています。



第11号橋。この小さな橋は、日本で初めて造られた鉄筋コンクリート製の橋です。



安朱橋。
毘沙門堂に向かう参道に架かる橋で春には桜と菜の花とのコラボが、秋にはコスモスが美しいところです。地域の方々が育てておられます。

船は第三トンネルを抜け蹴上の下船場所に。55分の大変に有意義なびわ湖疏水船のクルーズでした。
このすぐ横に第二疏水のトンネル出口があります。主に京都市民の水道水として使われています。京都と言えば地下水が豊富なイメージがありますが、99%を琵琶湖疎水に頼っています。





この煉瓦造の建物は旧御所水道ポンプ室と呼ばれ、疏水の水をポンプで大日山のため池まで上げ御所を火災から守るための施設です。
設計は京博や迎賓館赤坂離宮を設計した片山東熊です。





本願寺(東本願寺)水道施設。
旧御所水道ポンプ室と同じ目的で、東本願寺を火災から 守る施設ですが今は使われていません。







疏水工事殉職者弔魂碑。
田邊朔郎が疏水工事で17名の殉職者を慰霊する為に自費で明治35年に建立した碑です。「一身殉事萬戸霑恩」(いっしんことにじゅんじばんこおんにうるおう)


伏見の名店 「鳥せい」

2019年06月24日 07時49分33秒 | 日記



6月20日の昼食は伏見にある「鳥せい」さんに伺いました。伏見の酒蔵が立ち並ぶ一画にあり「四つ辻の四つあたり」と呼ばれ道が卍型になっています。これは伏見が豊臣、徳川政権下の伏見城下町で敵の侵入を防ぐ工夫です。(待ち伏せ)

店名が示すように鳥料理が中心です。平日は11:30、土曜日曜は11:00の開店です。人気店で12時を過ぎると外まで行列が出来ています。
開店と同時に入店するのがベストです。

隣の駐車場の一画には名水"白菊水"が湧いており、いつも水を汲む人で賑わっています。
この白菊水で仕込んだ日本酒が"神聖"です。
「鳥せい」は、この"神聖"の蔵元直営店です。





お昼は、いつも「鳥めし定食」か「焼鳥定食」を注文します。これに食後のコーヒーが付いて税込み780円のお安さです。人気があるのも頷けますね。




カウンター周りには"伏見の歴史ちょこっと"があちこちに掲示されており、料理が来るまで伏見の勉強ができます。嬉しい配慮ですねー。

それと、店内は勿論ですが厨房もいつも清掃が行き届いていて凄く清潔感を感じます。

カウンター内では炭火で焼鳥を焼いていますが上のステンレスのフードレンジもピカピカです。

やはり飲食店は清潔感が一番ですねー。
あのミシュラン三つ星を10年連続して受賞しておられる「菊乃井」さんの入口玄関横のキッチンは外から厨房内が見えるようにガラス張りになっています。
素材の品質、料理の品質は勿論ですが、清潔感に自信がなければ出来ない事ですねー。

食後に伏見界隈を散策しました。運河に酒蔵が並んでいる光景、、いいですね!