京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

修学院離宮 参観

2023年04月29日 08時58分00秒 | 日記
 4月25日は洛北にある修学院離宮へ。



江戸時代初期に後水尾上皇により造営された上皇の離宮です。

参観は下離宮、中離宮、上離宮と約3km、1時間半の工程でツアー形式で行われます。

① 下離宮




下離宮の御幸門。

こけら葺きと花菱紋の透し彫りの簡素な門です。
その分、期待が膨らみます。



寿月観の御輿寄





寿月観はこけら葺き数寄屋造りの建物で文政7年(1824)から今日まで伝えられています。

「寿月観」の扁額は後水尾上皇の宸筆です。



中離宮の中門

造営当初には無かった中離宮です。
明治18年に林丘寺門跡から境内の半分と客殿、楽只軒(らくしけん)が当時の宮内省(現宮内庁)に返還され、中離宮として整備されたエリアです。







楽只軒の一の間はもとは林丘寺宮の御居間




楽只軒の一の間はもとは林丘寺宮の御居間だった部屋です。

楽只軒の東南には客殿があり東福門院の女院御所を移築した建物です。

一の間の中央には「霞棚」と呼ばれる違棚があります。
桂離宮の「桂棚」、醍醐寺三宝院の「醍醐棚」とならび"天下の三大名棚"のひとつとして有名です。



客殿の濡縁西側と北側にある高攔が巡らされていて「網干の欄干」と呼ばれています。



造営当初から明治維新頃までは、それぞれの離宮の間には水田の畦道を行き来していたそうです。

明治天皇の行幸の際に三つの離宮を結ぶ畦道は広げられ馬車が通れる松並木に改良が加えられました。





上離宮御幸門を潜り苑路を登ると修学院離宮で最も高台に達ます。







窮邃(きゅうすい)からの眺めは修学院離宮一番の絶景ポイントです。







浴龍池越しには京都市の北部が一望出来ます。
浴龍池は人口の池で土堤や石垣により堤防を築いています。

周りの景観に馴染む様に4段の大刈込が後世に築かれています。









どの時期に訪れても素晴らしい景観が楽しめる修学院離宮です。






東福寺で学ぶ 知られざる画僧 明兆②

2023年04月27日 07時58分00秒 | 日記
 東福寺塔頭南明院で花園大学の福島先生の講座を受け、次に三門を拝観します。





三門は室町時代の建築で国宝に指定されています。







上層には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
建物は禅宗様と天竺様とを巧みに取り入れたもので日本最古、最大規模を誇ります。

内部には美声をもって知られる神話的な鳥・迦陵頻伽にが描かれています。
極楽浄土で法を説く鳥のひとつに数えられています。

福島先生いわく、鮮やかに彩色が残っているところは後世に補修された部分だそうです。
特に白色は胡粉で彩色されていて他の色より剥落しやすいそうです。









掲げられている「妙雲閣」の扁額は東福寺を庇護した足利代四代義持公によるものです。

次に法堂を拝観します。








東福寺は明治14年(1881)の火災で仏殿と法堂を失っています。
現在の建物は昭和9年(1934)に仏殿兼法堂として再建された建物です。

火災前の仏殿には高さ約15mの釈迦仏像が安置されていましたが、惜しくも消失してしまい、かろうじて大きさ2mの左手部分が残っています。

法堂に掲げられている扁額に「毘盧寶殿」と記されているのが盧舎那仏(大仏)が安置されていた証です。

現存する最古で最大規模を誇る「東司」や「禅堂」が残り"東福寺の伽藍面"を思います。

東福寺で学ぶ 知られざる画僧 明兆①

2023年04月25日 08時46分00秒 | 日記
 4月22日は、JR東海「そうだ 京都、行こう。」の会員限定企画で表題のイベントに参加しました。









先ずは、東福寺の塔頭寺院・南明院(なんみょういん)で閑栖住職の永井慶州さまから東福寺の事や明兆が第二世住職を務めた南明院についてのお話がありました。



授与して頂いた御朱印にもある様に豊臣秀吉の妹で徳川家康の正室・朝日姫の墓所でもあります。



既に既婚者でしたが秀吉に離縁させられ、44才で家康の正室に再嫁しています。
母の大政所を見舞う為に駿河から上洛し、そのまま京都で死去されたそうです。
朝日姫を供養する五輪塔が残されています。





家康、秀忠、家光公の歴代将軍は上洛の度に
南明院に墓参しています。

永井さまは現在、東京国立博物館で開催されている「東福寺」展にも関わっておられる方で、後ほどの座学の際にも補足説明をされていました。

その座学ですが「そう京」ではお馴染みの花園大学の福島恒徳先生が担当されました。

① 東福寺
② 南明院
③ 吉山明兆
④ 三門
⑤ 十六羅漢
⑥ 迦陵頻伽
⑦ 法堂 涅槃図

大学の先生らしく体系的に説明され、スライド写真を投影しながらの説明なのでより視覚的にもよくわかる内容でした。

座学の後の拝観に多いに勉強になりました。

各論は次に書きたいと思います。


平等寺(因幡堂) 春季京都非公開文化財特別公開①

2023年04月24日 08時54分00秒 | 日記
 今年も古文化保存協会主催の春季京都非公開文化財特別公開が始まりました。

最初に訪れたのは「因幡堂」「因幡薬師」の通称名で親しまれている平等寺です。








この地は平安時代に中納言橘行平の邸宅跡に建つお寺で桓武天皇が平安京を造営する以前から存在した"町堂"のひとつです。



詳しくは駒札をご覧下さい。







ご本尊さまは薬師如来立像(重文)です。
通常非公開で、こちらの収蔵庫でお祀りされています。

因幡堂は何度も火災に見舞われていますが、薬師如来立像のお厨子には車輪が付けられていて、いざと言う時には簡単に持ち出せる様になっています。

先人たちの工夫のお陰で現在まで守り伝えられています。

行平卿は村上天皇の勅命で因幡国(今の島根県)に赴いた帰り、病に倒れてしまいます。

神仏に祈願すると因幡の国、賀留津の海に一浮木かり、この浮木を求めて供養すれば病は治り、一切の願いが成就するとのお告げがありました。

早速引き上げてみると薬師如来の尊像でした。
行平卿は草堂を建て安置すると無事に病は癒え帰京する事が出来たそうです。



受付で参拝順路の図を頂いたので漏れなく効率よく参拝が出来ます。











境内を巡り因幡薬師伝承館へ。

こちらでは平等寺が所属されている寺宝が展示されています。



清涼寺式阿弥陀如来立像(鎌倉時代・重文)



如意輪観音坐像(鎌倉時代・重文)



弘法大師像
胎内に入れられていた納入物も展示されていました。



小督局遺愛の硯箱。



小督局光明真言織物。
(小督局の毛髪を織り込んだ光明真言の織物)

寺宝にも素晴らしい物があり、館内を2周してしまいました。



御朱印を授与して頂きましたが、コロナ以降、"書置き"が増えてしまい、残念な事ですが、ありがた味が半減してしまった様に感じます。









西本願寺 西山別院

2023年04月23日 07時47分00秒 | 日記
 桂離宮を参観後、中村軒でひとやすみ。
次に桂駅東側にある西本願寺西山別院をお参りしました。










浄土真宗本願寺派の直属寺院で、ご住職は浄土真宗本願寺派の門主が兼任されています。
とは言っても実際には別院輪番が置かれていて実務を主管されています。









本堂は現在の西本願寺阿弥陀堂を再建するまでの仮の阿弥陀堂を移築した建物です。
仮とは言え"お西さん"の仮阿弥陀堂、、、なかなか立派な建物です。

駒札にあるようにご本尊の阿弥陀如来立像は西本願寺から移された仏さまです。

ご由緒については正和3年(1314)に本願寺第三代覚如上人が念仏道場として再興され西大谷の住職とともに兼務されるのが常となり、現在まで続いています。





境内には観応2年(1351)に没した覚如上人の墓所が妻・善照尼の墓所と同じ境内に営まれています。

以前は墓所まで自由にお参りする事が出来ましたが、お寺が運営されている西山幼稚園が隣りにあり、セキュリティの関係からでしょうか?遠くからしかお参りが出来なくなっています。



ゆっくりと静かに阿弥陀さまと向き合えるいいお寺です。