京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

「仏師と訪ねる千本釈迦堂・雨宝院」②雨宝院編

2020年01月30日 08時45分00秒 | 日記
 千本釈迦堂から徒歩で雨宝院へと移動します。




雨宝院は、弘仁12年(821)弘法大師空海が嵯峨天皇の病気平癒のために建立された寺院で東寺とともに皇城鎮護の寺院として栄えました。
しかし、応仁の乱で荒廃し、天正年間に再興されましたが天明8年(1788)の大火で焼失、現在の伽藍はその後に再興されたものです。




雨宝院と言えば、山門横にある"御衣黄桜"が名高いです。薄緑色の花を咲かせる珍しく品種で、開花は枝垂桜や染井吉野より遅く、4月中旬頃に見頃を迎えます。
何度か訪れていますがなかなか満開の時に出会えません。





重要文化財の千手観音立像です。
現在は10本の手を残していますが、本来は12本の手を持たれ、光背に左右に15本の脇手があったと考えれているそうです。







今回特別に大師堂に入れて頂き、間近で拝ませて頂きました。
ふっくらとしたお姿で口を開いた珍しい大師像です。
東寺御影堂の「吽」の大師像と向かい合っていると言われています。


ご本尊さまは大聖歓喜天で密教では大日如来の化身として現世利益や欲望を叶えて下さる仏さまです。

仏像の見方がよくわかるイベントでした。


「仏師と訪ねる千本釈迦堂・雨宝院」①千本釈迦堂編

2020年01月29日 08時53分00秒 | 日記
 1月18日は"そうだ 京都、行こう。"のイベントで「美しき千手観音の秘密 仏師と訪ねる千本釈迦葉・雨宝院」に参加しました。 

まずは①千本釈迦堂(大報恩寺)編です。




両寺院とも何度か訪れていますが、現役の仏師の方の解説を聴きながら仏像を鑑賞できるのですから見逃せないイベントです。

本堂でのお参りの後、土御門仏所の仏師 三浦燿山さまから今日の主役仏像についてのレクチャーが約1時間ありました。

通称千手観音さまは正式には千手千眼観自在菩薩さまといいます。

頭上に十一の化仏を持たれています。それぞれには意味があります。
例えば、狗牙上出面は衆生を本道に向かわせる為に憤怒の表情をしています。

千手観音さまの手は彫刻仏像では42本で表される事が多く合掌されている2本の手を除く40本の手の一本一本が25の世界の衆生を救うとされ40x25=1000となります。
それぞれにの手のひらには目が描かれたり彫刻されたりしているので千眼となります。

実際に千本の手を持たれている観音さまは、昨年にブログで書いた京田辺市の寿宝寺、奈良市唐招提寺、大阪藤井寺市の葛井寺の観音さま3体のみです。

また、40本の脇手にはそれぞれ慈物を持たれており、例えば月輪(がちりん)は、清らかさが得られる。宝珠(ほうじゅ)は衣食住に恵まれる、、、それぞれに意味があります。凄く世界観、宇宙観を感じますね。

昨年からカルチャースクールで"白州正子が愛した十一面観音を求めて"を受講しているので十一面観音さまを見るとテンションが上がります。

その他に、仏像の素材となり木の変遷、また、一木造りから寄木造りへの変遷などを詳しく教えて頂きました。
三浦さまもA3のレジュメを4枚もご準備される熱の入ったレクチャーでした。









千本釈迦堂の宝物殿の仏像は重要文化財の宝庫です。

十大弟子像十体。
建保6年(1218)の年号があり有名な仏師快慶の晩年の作です。鎌倉時代に大流行した玉眼が入り、非常にリアリティに溢れています。衣のひだにはところどころ彩色が残り、出来た当初は彩色で彩られた美しい像だったのが想像出来ます。
奈良新薬師寺の十二神将像のように制作当時の像を見てみたいものです。(CGで復元したものです。)

また、六観音像6体は定慶の作でこれだけの観音さまが並ばれるとまさに圧巻です。
何かあってもどれかの観音さまがお救いくださるように感じてきます。

次に雨宝院へと向かいます、




妙心寺 桂春院

2020年01月27日 09時41分00秒 | 日記
 妙心寺仏殿・浴室を拝観の後、時間に余裕があったので久しぶりに桂春院を訪ねました。




妙心寺には多くの塔頭がありますが通常公開している塔頭は少なく三ヶ寺しかありません。桂春院はその中のひとつで庭園は素晴らしく南庭は史跡名勝に指定されています。


清浄の庭
小さな壺庭ですが青石の石組で枯滝を表し清らかな水が流れる様子を表しています。







思惟の庭
方丈東側の庭で中門のある露地風の庭園です。
伽藍石を坐禅石に見立て、説法を聴く羅漢さんを表しているのでしょうか?
いろいろと考えてみることの出来る庭ですね。







南庭(真如の庭)
方丈からはわかりにくいですが、手前の躑躅が大刈込みとなり、その奥は一段低くなっています。

スリッパが用意されており庭園の奥から眺めると大刈込みの様子がよくわかります。
奥にはもみじが植っており秋の紅葉🍁は穴場になると思います。

この時期の庭は落葉樹の葉が落ち、夏場には見えない石組や石灯籠などの景物が見えたりで楽しみが多いです。
また、もみじの木をチェックしておくと秋には自分だけの"穴場"になります。



拝観受付時に御朱印の授与をお願いしていました。帰りに受け取ると今年の干支のねずみが描かれた素敵な御朱印でした。





2020京の冬の旅④妙心寺仏殿・浴室(明智風呂)

2020年01月26日 07時58分00秒 | 日記
 妙心寺仏殿は妙心寺の本堂にあたり、文政13年(1830)に再建された総欅造り禅宗様式の建物です。



堂内中央の須弥壇にはご本尊釈迦如来坐像と脇侍には向かって右に迦葉尊者(かようそんじゃ)、左に阿難尊者(あなんそんじゃ)がお祀りされています。



ご本尊さまは手に蓮の花を持たれた「拈華微笑」のお姿をされています。
これはお釈迦さまが大勢の前で説法をされた際、蓮の花を高々と掲げられました。誰もその意味がわからない中、迦葉尊者だけがその意味を理解し、微笑んだと言う故事によります。
この事によりお釈迦さまの後継者には迦葉尊者が選ばれることになります。
これはお釈迦さまの教えは言葉で伝えるのではない事を意味しています。(お釈迦さまは一冊の本も残されていません。)

建仁寺では老師が法を説く法堂を"拈華堂"と呼び御朱印にも書かれています。 






妙心寺浴室は通称"明智風呂"と呼ばれています。この様に通称がつけられている浴室は妙心寺だけではないでしょうか。

明智光秀の叔父にあたる密宗和尚は、妙心寺塔頭太嶺院(今は存在せず)の僧で光秀の菩提を弔うためにこの浴室を建立したとされる事から明智風呂と呼ばれています。




今の湯槽を備えたお風呂ではなく、井戸から汲み上げられた水を大釜に入れ、沸いたお湯を浴室の下に流し込み、その蒸気を利用するサウナ形式の蒸し風呂です。






額装された漢詩は明智光秀の辞世の句だそうです。
本能寺の変で信長打倒の本懐を遂げた光秀は妙心寺でこの辞世の句を読みました。
この意味を悟った妙心寺の僧たちは光秀の自害を思い留めさせたと伝わります。

初めて見る"明智風呂"の御朱印を授与して頂きました。(御朱印も新発売?が増えましたねぇ!)



2020京の冬の旅③玉鳳院

2020年01月25日 08時06分00秒 | 日記
 1月24日は"京の冬の旅"からスタートです。
14時からアスニーセミナーがあるので同じ丸太町通にある妙心寺の二ヶ所を拝観する事に。







まずは妙心寺の塔頭玉鳳院へ。
約680年前にこの地にあった花園法皇の離宮を後に禅寺に改めたのが妙心寺の始まりです。
また、玉鳳院は花園法皇が伽藍の傍らに建てた妙心寺山内最古の塔頭でもあります。

一般的に本坊の近くにある塔頭ほど格が高いとされており、玉鳳院は本坊のすぐ東にある妙心寺四派のひとつ東海菴の隣りにあります。

方丈の東側にある開山堂は、妙心寺開山・関山慧玄を祀っていて内部には入れませんがお香のいい薫りが漂って来ます。




庭園は禅宗寺院らしい枯山水庭園で南庭は松と敷石と白砂だけの庭園ですが、ふたつの唐門と一直線に並ぶ三門、仏殿、法堂がいい借景になっています。
東側の平唐門は応仁の乱後に移築された門で国宝に昇格するかもしれない貴重な唐門です。
(今回も内部の撮影は全面禁止です。)  

北庭には枯滝の石組や"風水泉"と呼ばれる井戸や棗型(なつめがた)手水鉢が置かれています。

また、最奥には秀吉の長男鶴松の像を祀る霊屋(祥雲寺殿)があります。以前は鶴松が遊んだ御座船もありましたが重要文化財の指定を受け京博に寄託されています。 



次に仏殿・浴室の拝観へと向かいます。