京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

高野山① 壇上伽藍

2021年07月15日 07時56分00秒 | 日記
 随分と前になりますが3月6日に初めて南海電車とケーブルカーを乗り継ぎ高野山へと行って来ました。
(自宅が堺市なのでいつもは自動車です。)



と言うのも今日のコロナ禍の中、落ち込んだ観光客を呼び込もうと南海電鉄と沿線の自治体や事業者の方々がタッグを組み「高野山1万人御招待」のキャンペーンを実施されました。

僕も当選させて頂き、恐らく「全プレ」ではなかったのではないでしょうか?

内容も充実しており南海電鉄の往復乗車券、高野山内バスフリーチケット、現地で使える6千円分のクーポン券までが付いています。









電車の終着駅は極楽橋駅です。
最近、改装され花天井を始め華麗な装飾が施された駅になっています。
(と言っても以前は知りませんが、、、)







極楽橋駅からはケーブルカーで山上の高野山駅へ。
生憎の小雨模様でしたが霞む高野山も幻想的な雰囲気です。













壇上伽藍の正門・中門です。弘法大師による開創間もない819年の創建ですが幾度も焼失と再建を繰り返し1843年の火災以来再建されずにいました。

平成27年(2015)の高野山開創1200年の記念事業のひとつとして再建されました。
焼失を免れた持国天、多聞天にくわえ、新たに増長天と広目天が大仏師松本明慶さんにより奉納され、約180年振りに"四天王"が揃いました。







御社(みやさろ)と山王院(さんのういん)です。
弘法大師は高野山開創にあたり、819年に丹生・高野の両大明神をこの地に勧請し、土地をお借りる事を地元の神々にご報告されています。

山王院は御社の拝殿で現在の建物は1845年の再建です。





金堂です。
高野山一山の総本堂で、年中行事のほとんどがこたらで行われます。



根本大塔です。
壇上伽藍の中心的な存在で高野山開創より建築に着手され大師と真然の二代にわたり887年に完成しました。





現在の建物は昭和12年(1937)の再建で中央には胎蔵界大日如来坐像が、四方には金剛四仏、周りの柱16本には堂本印象による十六大菩薩を配して立体曼荼羅の世界を表現しています。

また、壁にも印象による八相大師が描かれています。
仏画を得意とした印象らしい仏さまが描かれています。

東寺講堂の仏像による立体曼荼羅も見応えがありますが、こちら根本大塔の絵画による立体曼荼羅にも心惹かれるものがあります。





西塔です。
887年、光孝天皇の勅命により建立されました。現地の西塔は1834年の再建です。

前に建つ石灯籠は日本で最初に麻酔による外科手術を行った華岡青州の寄進によるものです。





不動堂(国宝・鎌倉時代)
1198年一心谷に行勝上人が創建されたのが最初です。
現在の不動堂は14世紀初めの再建で明治41年(1996)に現在地に移設されたそうです。









他にも多くの建物がありますが、いつもお参りするのが「智泉廟」です。

智泉大徳は延暦8年(789)、讃岐国に生まれ、弘法大師の甥にあたります。

9才で弘法大師の弟子となり「密教のことは智泉に任す」と言わしめるほど聡明で大師の信頼も厚かった方です。

ところが天長2年(825)に病を得て病没されてしまいます。

大師が智泉の供養の為に書いた「亡弟子智泉が為の達囃文」は大師の落胆ぶりがよくわかります。