京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

ラ コリーナ近江八幡(たねや・クラブハリエ)

2022年08月30日 07時26分00秒 | 日記
 松喜屋で近江牛の四季御膳を頂き、次にバームクーヘンで有名な"ラ コリーナ近江八幡"へ。







クラブハリエのバームクーヘンとなねやのどら焼をメインにしたテーマパークのような場所です。







店内にはバームクーヘンの製造工程が見れるようになっています。

この様なオープンキッチンを見せられると消費意欲が掻き立てられます。
案の定、出来立てのバームクーヘンを購入してしまいました。
(当日の消費期限です。)





夏休み中だとは言え、平日なのに凄い集客力です。
(関西の百貨店にはほとんど出店されていますが、、、、)



バームクーヘンの購入、テイクアウトの購入、カフェにも長い行列が出来ています。





さらに奥に進むと和菓子店"たねや"があり、名物のどら焼を中心に販売しています。



現在は案内板のように店舗がありますが、さらに奥には工事中の大きな建物が建築中です。

勝手な想像ですが、レストラン棟のように見えます。

帰りは子供に運転を任せ、高校野球の中継を見ながら帰宅しました。






松喜屋 近江牛四季御膳 滋賀県瀬田市

2022年08月29日 06時59分00秒 | 日記
 8月18日は"近江牛"を頂きに滋賀県大津市にある「松喜屋本店」へ。



明治初期創業の"松喜屋"は全国に近江牛の名を広めた老舗の精肉店です。

精肉店のある建物の2階は"ハンバーグステーキ松喜屋"で鉄板カウンターがあるお店です。







今回はその向かいにある"レストラン松喜屋"へ家族3人にお邪魔しました。
(次男は仕事で参加出来ず)

お品書きの通り注文したのは"近江牛会席の特上"と言っても、もうひとつ上の会席もあります。











肉ばかりと思いきや、海の幸や湯葉料理が先付けとして出されます。

近江牛の上にのっているのは朴葉味噌で相性がバッチリで美味しかったです。







待っていた待望の近江牛ステーキです。
ステーキソースか塩で頂くと思っていましたが"淡雪"が添えられいます。

ステーキに載せると雪のように溶けてしまいます。
肉の味が濃厚で、口の中に旨みが広がります。





すき焼きです。

京都の"三嶋亭"ですき焼きを頂いた時にも、その美味しさに感動を覚えましたが、再びその感度がよみがえって来た感じがしました。

近江特産の"赤こんにゃく"も入っていて郷土料理の感もあります。





最後のデザートです。

季節のフルーツに雪見大福とティラミスです。

ご飯のおかわりも出来ますが、これでお腹が一杯になりました。

次にCLUB HARIEのテーマパーク"ラ コリーナ近江八幡"へと向かいます。


豊臣秀吉の大坂城

2022年08月28日 07時17分00秒 | 日記
 大阪で「音楽の殿堂」と言われるフェスティバルホールですが、高層ビルに建て替えられた現在でも、その地位には不動のものがあります。



少し前になりますが小椋佳さんの最後のコンサートツアーでフェスティバルホームに来ました。







日本人の心情を歌える数少ない歌い手さんのおひとりです。

僕が学生時代には流行した「さらば青春」や他のアーティストに楽曲を提供した「シクラメンの香り」や「愛燦々」などは多くの昭和世代の方々の胸に残っている楽曲ですね。





その彼も既に78才になられ、今回のツアー「余生、もういいかい」を最後に引退されます。

本題に移りますが、ふたつあるフェスティバルホームの緞帳のひとつは豊臣大坂城の屏風を緞帳に仕立てたものです。
(もうひとつは長谷川等伯筆の柳橋水車図屏風です。原画は香雪美術館所蔵です。アサヒビール寄贈)









残念ながらオリジナルはオーストリア・グラーツにある世界文化遺産にも指定されているエッゲンブルク城が所蔵されています。

原画は近年2006年に発見され、豊臣時代の大坂城や大坂の繁栄が描かれた貴重な絵で、江戸時代に東インド会社による貿易でヨーロッパに渡ったと考えられています。







五層の天守閣や金色に輝く極楽橋、住吉大社の祭礼が細かく描かれています。

502人の人物が描かれており、当時の大坂の繁栄ぶりが想像できます。
パナソニックの寄贈です。)









大坂城北側に架かる極楽橋の遺構が滋賀県琵琶湖に浮かぶ竹生島にある宝厳院の唐門、廊下である事が近年の調査で確定しています。

豊臣大坂城の唯一の遺構として極めて貴重で唐門は国宝で、近年の修復で当時の彩色が蘇りました。
唐門だけを見ても如何に豊臣大坂城が豪華絢爛な城であったのかが想像出来ます。

制作はいずれも京都にある「川島織物セルコン」さんです。
ふたつとも一年の歳月と一億円の製作費がかかっているそうです。

近年の発掘調査から豊臣時代の石垣が発見され見学会の募集がありましたがハズレてしまいました。







将来的には見学施設を設けて一般にも公開される予定だそうです。






白洲次郎・白洲正子 武相荘折々のくらし 神戸ゆかりの美術館

2022年08月27日 06時54分00秒 | 日記
 8月17日は奈良国立博物館で「中将姫と當麻曼荼羅」展を鑑賞し、車で神戸市の六甲アイランドにある"神戸ゆかりの美術館"で開催中の白洲次郎・白洲正子 武相荘折々のくらし」展に来ました。


東京町田市にある「武相荘」に一度は行ってみたいと思っていました。

京都にも縁が深いおふたりです。

東福寺の塔頭寺院「正覚庵」本堂は伊丹市にあった白洲屋敷を移築したものです。
建築に関心のある方には知れていましたが、京都新聞夕刊の一面に掲載されて、その存在が広く知られる様になりました。









本堂の仏間の天井は折上げ格天井で、その一角には屋久杉が使われています。 
良質な材がふんだんに使われ、当時の白洲家の繁栄ぶりがわかります。

一方の白洲正子は幼い頃から馴染みのある京都を拠点に「かくれ里」「西行」「明恵」「十一面観音」などの随筆を多数残しています。

かって「かくれ里」を読み憧れを抱いて彼女が歩いた足跡をたどりました。
歴史の専門家ではないですが彼女自身の感性で書かれた文章には凄い説得感があります。







そんなおふたりが暮らした「武相荘」に憧れを抱くのは自然な成り行きかも知れないです。

















幼い頃から"能"に親しんだ能装束や面の展示もあります。









一枚目の写真は次郎が正子とのお見合いの前に樺山家に渡されたお見合い写真です。

後に吉田茂の懐刀として仕え、QHQからも一目置かれた次郎です。

日本の敗戦が濃厚となり深刻な食料不足になるのを見越した次郎は全ての役職を辞任した後は農業に没頭します。



1924年製のベントレーです。
8月14日までの展示で見られなかったです。

ますます「武相荘」に行きたいと感じた展覧会でした。

展覧会のパンフレットと出品目録を付けておきます。





















「中将姫と當麻曼荼羅」奈良国立博物館

2022年08月26日 07時02分00秒 | 日記
 8月17日は奈良国立博物館で開催中の「中将姫と當麻曼荼羅」展を鑑賞して来ました。









旧本館は明治27年12月に竣工した建物で京都国立博物館"明治古都館"と同じく片山東熊による設計です。

昭和44年に国指定の重要文化財に指定されています。



東側に近代的なエントランスが作られましたが今も現役で"なら仏像館"として使われています。

葛城市にある當麻寺は自宅からも近く、一年に数度は訪れるお気に入りのお寺です。



當麻寺本堂では須弥壇右端のお厨子におられる中将姫像です。  
意志の強そうなお顔立ちが印象的です。



こちらのお軸も當麻寺中之坊に伝わる中将姫像です。





江戸時代に模写された貞享本が今回修復を終えての初めての公開となります。

現在、當麻寺にお詣りされている文亀本より遥かに美しく、細部まで見れるのがいいですね。



當麻寺本堂で當麻曼荼羅を納めている厨子扉(鎌倉時代・国宝)です。




中将姫は宝亀6年3月14日に二十五菩薩のお迎えを受け、現身のまま極楽浄土に迎えられたとの故事から毎年4月14日に行われる當麻寺練供養会式が行われています。

當麻曼荼羅に対する信仰は広く行き渡り、同寸大や縮小された模写が多く作られました。

こちらの當麻曼荼羅は美しく「観無量寿経」の世界が鮮やかに描かれています。

當麻寺中之坊では當麻曼荼羅の"絵解き"が行われていて、お坊さまの説明を聞くと中将姫が理想とされた當麻曼荼羅の世界観を感じる事が出来ます。









出品数は多くはありませんが、中将姫の世界感や後世への影響の大きさがわかる展覧会です。