京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

京都市考古資料館 特別展示「御土居 洛中洛外のはざま」

2019年07月31日 09時09分32秒 | 日記
京都市考古資料館で開催中の企画展「御土居 洛中洛外のはざま」を鑑賞していました。





ご存知の通り、御土居は豊臣秀吉が①洛中と洛外とを区分するため②河川の洪水被害から洛中を守りため③外敵の侵入から洛中を守るため。

それらの為に築かれた総延長は22.5kmに及ぶ土塁と堀によるもので、城で言えば最も外側に築かれる惣構えにあたります。

このような大規模な土木工事を数ヶ月の短期間で築いてしまう天下人 秀吉の権力の大きさを感じます。

今回は京都で開催されるICOM京都大会を記念して開催されています。
西九条周辺の御土居跡からの出土品を中心に展示されており、当地の住民の生活が垣間見える内容です。





また、桓武天皇が遷都された平安京大内裏跡からの出土品も多数展示されています。



上の写真は朝堂院と並ぶ重要な施設 豊楽殿の基壇跡です。







岡崎にある平安神宮の社殿は大内裏朝堂院を5/8のスケールに縮小して創建されたもので当時の大内裏がいかに大規模なものであったかが想像出来ます。

緑釉瓦の出土品も興味を掻き立てられるものです。







また、秀吉が築いた聚楽第の発掘調査時の写真や出土品の展示もあり内容は充実しています。

これ程の展示内容で無料で入館出来るのは有り難い事です。

京都タワーからの眺め

2019年07月30日 07時01分00秒 | 日記
梅雨も明け、快晴ですが非常に蒸し暑いこの日(7月26日)、涼を求めて久しぶりに京都タワーの展望台に登りました。



北側に目をやると眼下には東本願寺がドンと存在感を見せています。御影堂、阿弥陀堂など伽藍の全てがハッキリと見えます。

東西本願寺ともにご本尊様をお祀りする阿弥陀堂よりも親鸞聖人をお祀りする御影堂の方が規模が大きいですねー。正面にそれぞれある門もしかりです。

京都市内を南北に貫く堀川通。東本願寺を迂回するために大きく東に曲がっています。

明治以後、道路を拡張する際、寺院や神社は境内地を削られたり、移転を余儀なくされました。
しかし、東本願寺と、西大路通にある平清盛ゆかりの若一神社だけは道路の方が迂回しています。

東に目を向けると比叡山をはじめとする東山三十六峰が南へと連なるのが見えます。









眼下に見えるのは東本願寺の飛地境内の渉成園。
石川丈山作庭と伝わり、管理は無鄰菴と同じく植彌加藤造園さんがされています。

五条坂の中腹には清水寺。修復工事中で、あとは、本堂の屋根の葺き替えのみです。

煉瓦色の建物は京都国立博物館の明治古都館です。設計はあの片山東熊で国の重要文化財です。
この地はかって方広寺の大仏殿がそびえ立っていました。今の東大寺大仏殿の1.5倍もの規模だったそうです。さすが秀吉ですねー。

その奥、幕が垂れ下がった門が見えます。智積院です。秀吉の長男で夭折した鶴松を供養する為に建立された祥雲禅寺の跡地に建つ真言宗智山派の本山です。智積院が所蔵する長谷川等伯、久蔵筆の国宝の楓図桜図もかっては祥雲禅寺の障壁画でした。

智積院の手前に横長く甍を見せるのは蓮華王院(三十三間堂です。
平安時代の末に平清盛が後白河天皇にプレゼントしたお堂と1001体もの十一面観音さまです。



山の麓に見える大きな屋根はもみじで名高い東福寺です。そのさらに奥には皇室の菩提寺"御寺 泉涌寺があります。霊明殿には四条天皇から昭和天皇までの御位牌がお祀りされています。



今度は南に目を向けると、東寺(教王護国寺)が見えます。京都のシンボル五重の塔は修復工事中です。


下鴨神社 御手洗祭 足つけ神事

2019年07月29日 00時15分34秒 | 日記
賀茂御祖神社では7月19日〜27日まで御手洗祭が行われています。





御手洗社(井上社)の祭礼で「足つけ神事」とも言われており京の夏の風物詩となっています。





本来の意味は土用の丑の日に、御手洗川に膝まで足をひたし罪や穢れを祓い無病息災を祈る神事です。

神職が神さまにお仕えする前に禊(みそぎ)をし、心身を浄めていた事に由来するのではないでしょうか?

川から上がると御神水を頂くことが出来ます。
冷たく清らかな水で美味しく頂きました。





御手洗川に入れるのは、この期間中だけです。

佛教大学の八木先生の"3月から8月には水に由来する風習が多い"また、"9月から2月には火に由来する風習が多い"とのお話を思い出しながら今年後半の無事を祈りました。





祇園祭 花傘巡行

2019年07月28日 07時00分57秒 | 日記
祇園祭は昭和41年(1966)に高度経済成長期以来、交通渋滞や観光促進を理由に当時の市長が主導し、神幸祭に先立つ前祭と還幸祭の後祭との合同巡行が続いていました。しかし2014年に本来の前祭と後祭とに分かれ後祭巡行が復活しました。

その際に祇園祭花傘連合会主催の花傘巡行の廃止が検討されましたが、継続され現在に至っています。





傘鉾十余基、馬長稚児、児武者等の方々が列を整え巡行されます。









花街の舞妓さんも巡行されるので非常に華やかなです。











八坂神社・石段下を10時に出発し四条通を西へ、御旅所で神様にお祀りし、寺町通を上り御池通を東へ河原町御池を下り、四条河原町を東へ八坂神社へと巡行します。



すでに京都の新たな行事になっていますね。

祇園祭 後祭 山鉾巡行②

2019年07月27日 07時39分00秒 | 日記
六番は南観音山です。20日に曳き初めにも参加した山ですので思い入れがあります。







御神体に楊柳観音と善財童子をお祀りし、諸病を防ぐ柳の大枝を差しています。
見送りは加山又造下絵の「龍王渡海図」です。天龍寺法堂の八方睨みの龍を描かれた方です。
こちらは女性の囃子方が乗られる唯一の山です。

7番は役行者山です。御神体は修験道の開祖役行者で右に葛城神、左に一言主神の三体をお祀りしています。







今も聖護院門跡との関わりが深く、宵山期間中には山のそばで護摩が焚かれます。

八番は浄妙山です。平家物語の宇治川合戦を題材で一来法師が筒井浄妙の頭上を跳び越え先陣争いをしている様子を表現しています。
町内所有の浄妙の鎧は重要文化財です。







凄くリアルな御神体ですねー。

九番は鈴鹿山です。道行く人々を苦しめていた悪鬼を退治した鈴鹿権現の伝説を題材にした山です。





十番は鷹山です。応仁の乱以前からの山ですが、
文政9年の大風雨で被害を受け去年までは休み山で居祭を続けてこられましたら。ようやく今年からは唐櫃巡行に参加にこぎ着けられました。町内では復興の機運が年々高まり当初の予定より4年も早い、2022年の巡行を目指しておられます。





大型の山だけに復興は大変だと思いますが、是非三年後には復興した勇姿を見せて欲しいものです。



巡行に使われている唐櫃は大船鉾が巡行に復帰するまでの間使われたものです。

最後を飾るのは大船鉾です。蛤御門の変で大部分を焼失し居山となっていましたが三年前の平成26年に実に150年ぶりに復興を果たしました。







年々装備が充実しており、今年は欄干に赤い漆が塗られていました。来年は奇跡的に焼け残った大金幣に変わり、金色の龍頭が船首を飾る予定だそうです。楽しみですねー。

前祭の船鉾が出陣の船鉾、後祭の大船鉾が凱旋の船鉾と言われます。
大船鉾、、、ホント復興してよかったです。

来年もまた、巡行が見れますようにと関係者の皆さん、そして、自分の健康も祈るばかりです。