京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

平安京創生館

2024年10月01日 07時59分00秒 | 日記
  私がよく講座を受講する施設に京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)があります。



金曜日に不定期に「アスニー講座」が開かれ、当代第一線の研究者や大学の先生、プロガイドの方が1時間半にわたり講座を開かれます。







内容はさておき、こちらの一階には平安京の復元模型が縮尺1/1000、10m✖️11mの大スケールで復元模型が展示されています。
この復元模型、製作されてから30年にもなるそうです。





それを記念した企画展「みやこの変遷と都市計画を考える-平安京に至るまで-」が写真パネルや出土遺物等、装束を中心に展示されています。

今回の展示は龍谷大学文学部歴史学科教授の國下多美樹先生が監修されています。



NHK大河「光る君へ」のオープニング曲の中にもこの復元模型が使われています。











京都の歴史を本格的に学ぶには、ここ京都市生涯学習総合センターや京都市立考古博物館、歴彩館に通うと殆どのデータを調べる事が出来ます。





圧巻は白河天皇が岡崎に建立した法勝寺の復元模型です。
(現在の京都市立動物園付近)

承保3年(1076)に建立された院政期に造られた六勝寺の一つで、六つのうち最初に建立された最大の寺です。

皇室から厚く保護されたが、応仁の乱以後は衰微廃絶した。

永保3年(1083)には高さ約80メートルとされる八角九重塔とが完成しています。

基壇に使われた石材が動物園内に残されています。

平成22年(2010)に行われた発掘調査により、規模や形式が判明しつつあるります。
 2回目の焼失について、『太平記』に檜皮葺きの屋根に延焼したと記録されている事から、京都市平安京創生館の復元模型は檜皮葺きですが、発掘調査では塔跡から多数の瓦が出土し、創建時には瓦が葺かれていたことが分かって来ています。

しかし、出土した瓦の数が少なく今も檜皮葺説と瓦屋根説との結論は出ていないようです。



藤原道長が建立した法成寺(ほうじょうじ)。

法成寺は、平安時代中期に藤原道長によって創建された摂関期最大級の寺院です。

道長の主邸土御門殿の東にあたる鴨川西岸(東京極大路の東)に建てられ、"京極御堂"とも称され、道長の別称「御堂殿」「御堂関白」やその子孫御堂流の由来ともなった寺院です。



現在の京都市上京区東端にあたります。
荒神口通寺町東入の路傍、京都府立鴨沂高等学校校庭の塀際に法成寺跡を示す石標が立てられている。

平安京の歴史を知るには勉強になる施設です。(観覧無料でボランティアガイドさんの詳しい解説もして頂けます。)




宇治「中村藤吉本店」茶道体験

2024年09月29日 07時40分00秒 | 日記
 9月25日の午後は京都府宇治市にある中村藤吉本店での「茶臼での挽き茶と薄茶で気軽に楽しむ四季折々の茶道体験」に参加しました。



JR宇治駅前にある郵便ポストも茶壺になっています。








茶の種を栄西禅師から伝えられた栂ノ尾高山寺の僧、明恵上人(みょうえしょうにん)が、より良い産地を探すうち、ここ宇治に辿り着いたのだといいます。
宇治は文字通り、宇治茶のふるさとです。









室町時代には宇治川から立ち上る朝霧が茶の栽培にふさわしいと、足利義満が茶園を作るように命じて以来、宇治は最高級日本茶の産地として現在に至っています。
(かっては七名園が存在しましたが都市化が進み現在では"奥ノ山茶園"のみが残っています。

そんな宇治の地で茶道体験が出来るとあってOtonamiの企画に参加した次第です。

募集は4名で1席ですが、参加者は私ひとり、、、申し訳ない気持ちを少し感じながら参加させて頂きました。









先ずは、通常非公開の部屋で「挽き茶体験」です。


茶臼の芯木には"梅の木"が、挽き手には"松の木"が使われ、さらに"竹筒"が持ち手になっています。
松竹梅の縁起がいい素材が使われているのですね。

昔から、松は長寿、竹は忍耐、梅は繁栄を象徴していると言われています。 

この三つが茶臼に取り入れられているのは、道具としての実用性だけでなく、 使う人の心にも響く深い意味があり、茶臼を手に取り、茶葉を挽く間は、精神的な豊かさと充実感とが流れ込んでいると感じる瞬間でもあります。



以前に別の茶舗で体験した事はありますが、今回はひとり参加と言う事もあり長い時間体験する事が出来ました。

結構重たいです。
1分間に1回転くらいが丁度いいスピードだそうです。

抹茶に轢かれる前の碾茶(てんちゃ)も食べさせて頂きましたが、口の中いっぱいに芳醇な香りと旨みとが広がります。




その後、場所を移動し約150年前に三室戸から移築された歴史ある茶室「瑞松庵」で自分で挽いた抹茶で薄茶を頂きました。

瑞松庵は台目三畳丸畳の元禄時代の茶室で、解体修復時に裏千家の鵬雲斎(ほううんさい)大宗匠より贈られた扁額が掛けられています。





老舗茶商の中庭に佇む茶室と京都府指定名勝の庭園を望む和室で、非日常に身を置くひととき、、、
自身で茶臼を使って茶葉を挽き、挽きたての抹茶で点てた薄茶を味わえる贅沢な体験をさせて頂きました。


順序が逆になってしまいましたが、ここでは“汲み出し”と呼ばれる白湯をいただきます。
汲み出しには、喉を潤すだけではなく、その日のお茶にどのような水が使われるかを示す意味もあるそうです。





瑞松庵の中では写真は撮れないので、上二枚の写真は中村藤吉本店HPからお借りしました。

しかし、ここの茶房は大人気です。
日曜日の来店客が多い時にはなんと4時間待ちだそうです。

NHK大河ドライ「光る君へ」の舞台が宇治になって来ると更に多くの観光客が訪れる事でしょう!














京の夏の旅⑥ 智積院

2024年09月27日 06時38分00秒 | 日記
 7月12日から始まった「京の夏の旅」もいよいよ今月30日で終わりを迎えます。







と言う訳で、9月25日は、真言宗智山派の総本山智積院を拝観しました。

智積院は何度も拝観していますが、宸殿で普段は非公開の長谷川等伯筆『十六羅漢図』、英一蝶筆『釜山浦富士図』の展示があるので拝観した次第です。
今回の「京の夏の旅」の目玉的な絵画です。











参道には智積院の紋でもある桔梗の花が、また、初秋を彩る萩の花が咲いていて、夏には百日紅の花しかなかった庭園がこれからは秋の草花で賑わいそうです。









本堂の南側には曼珠沙華の花がお彼岸の季節をちゃんと知っているかのように咲いています。











大書院内部には長谷川等伯や息子の久蔵が描いた「楓図」「桜図」が復元されています。
智積院は豊臣秀吉が夭逝した第一子鶴松の菩提を弔う為に建立した祥雲禅寺の跡地だけに豪華絢爛さを感じます。

庭園も中国の廬山(ろざん)をかたどった石組や植込みが織り成す深山のような景色が美しい、伝「利休好み」の池泉鑑賞式庭園(名勝庭園)も見所のひとつです。



書院の北側にあるのが宸殿です。

門跡寺院でもないのに何故に宸殿が、、、
と思われますが、智積院は、大本山に成田山新勝寺と高尾山薬王院の二寺院をはじめ全国に約3,000の末寺をもつ真言宗智山派(ちさんは)の総本山なのです。





宸殿は、賓客を迎えるための建物で、2025年には没後50年となる京都画壇の巨匠・堂本印象(どうもと いんしょう)が金地に豊かな色彩で描いた「婦女喫茶図(ふじょきっさず)」「松桜柳(しょうおうやなぎ)の図」など色鮮やかな襖絵で飾られています。

江戸時代元禄年間前後に活躍した絵師・英一蝶(1652-1724)筆の『釜山浦富士図』です。



長谷川等伯筆『十六羅漢図』









豊臣秀吉に認められた絵師だけに写実性に富んだ十六羅漢です。











大講堂も四季を表した襖絵で彩られています。








近江八幡ヴォーリズ建築めぐり⑤ アンドリューズ記念館〜池田町洋館街

2024年09月25日 08時29分00秒 | 日記
 9月19日、近江八幡ヴォーリズ建築めぐりの最終回です。





① ヴォーリズの大学時代の親友であった”ハーバート・アンドリュース氏”を記念して、明治40年(1907)に建てられたヴォーリズ建築最初の建物で、建設当初の会館は「アンドリュース記念近江八幡基督教青年会館(YMCA)」と称しました。
国の登録有形文化財に指定されています。

1987年にYMCA会館としての使命が終わり、老朽化したことにより、2007年に会館が竣工して100周年を迎えることから、「近江兄弟社創立100周年記念事業」として、会館の保存再生が図られました。









② ヴォーリズと少女の像









ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者です。

またYMCA活動を通し、「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。

讃美歌や同志社カレッジソングなどの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。
近江商人発祥地である滋賀県八幡(現:近江八幡市)を拠点に精力的に活動したことから、「青い目の近江商人」と称された。

また太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから、「天皇を守ったアメリカ人」とも称されています。

③ 近江兄弟社







先程の「ヴォーリズと少女の像」の向かいには近江兄弟社発祥の地に建ち、一階には資料館があります。


(株)近江兄弟社 本社1階ロビーを「メンターム資料館」として無料開放し、創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の歩んだ足跡を写真パネル展示しています。




また、ここで販売している近江兄弟社商品の売上代金は全額をチャリティ基金とし、社会福祉団体や、近年では東日本大震災の復興支援のために活動されている団体等に寄付されています。








ヴォーリズは、明治38年(1905)近江商人の士官学校と言われた滋賀県県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)を軸とする英語教師として赴任しています。

ここで、多くの近江商人を目指す若き青年たちと出会うことになります。

ところが課外に自主的に開催していたバイブルクラスに生徒たちが多く集うようになったことが、仏教の色濃い(浄土真宗の寺院が多い)この地域と宗教的な対立を生むことになりましたが。

これが原因で2年後の契約更改時に教師の職を解かれることになってしまいます。

しかし、ここで話は終わることはなく、彼と近江商人の卵たちとの熱き「絆」は、彼を生涯近江八幡の地に留めることになります。









池田町洋館街のレンガ塀

当初は手焼きでレンガを作っていた為に、空気などが入ると膨らんだり、くびれが出来たりしていました。

ヴォーリズは、そんな焼損じの規格外の不良品レンガを譲り受け、塀などの建築材料として活用しました。









近江八幡ヴォーリズ建築めぐり④ 喜兵衛(昼食)

2024年09月24日 07時47分00秒 | 日記
 9月19日、近江八幡ヴォーリズ建築めぐりの昼食は、日本三大水郷のうちひとつの近江八幡水郷めぐりの乗船場の前に佇む「喜兵衛」さんです。







奥に見える山は八幡山で山頂までロープーウェイが通じています。









「喜兵衛」さんは、享保年間より270年続く近江商人の店として、両替商、肥料商などを代々営まれていました。

重要文化的景観の全国第一号として認定された「近江八幡の水郷」のひとつ、八幡堀の新町浜に江戸時代から続く在りし日の姿かたちをそのままに、「郷土料理 喜兵衛」を平成6年(1994)に開店されました。



「喜兵衛」は他の料理屋さんとは少し違います。

「喜兵衛」の料理は板前さんではなく、地元のおばちゃんたちがひとつひとつ丹精を込めて作っておられます。

















なるほど、プロの味付けとは言い難いのですが、なんだかおばあちゃんの田舎の家に帰って来たかの様な郷愁を覚える料理の数々、店内の雰囲気です。

この日の食事は喜兵衛弁当(2200円)ですが、ちゃんと滋賀県の郷土食の赤蒟蒻や近江牛、しじみ汁がついています。







今度来た時には、水郷巡りの船に乗ったり、ロープウェイで八幡山からの琵琶湖の景観を楽しんでみたいですねー。

同じ近江八幡市には、バームクーヘンで有名な"たねや・クラブハリエ"のテーマパーク「ラ コリーナ近江八幡」にも寄って、、、