7月3日の最終は奈良県王寺町にある達磨寺です。寺名からわかるように臨済宗の寺院(南禅寺派)です。
寺伝によると聖徳太子が推古天皇21年に片岡に遊行された際、ひとりの異人が飢餓に苦しんでいました。太子は衣食を与え一首の和歌を詠んで去られました。
しかし、翌日にその異人は亡くなり太子は側近に厚く葬るようき命じられました。
ところが、その屍を検視すると屍はなく、衣服だけが棺上に残されていました。
世間の人々は達磨の化身と驚き、達磨塚を築いて太子自刻の達磨の木造を安置したのが始まりと伝わります。
達磨寺方丈(江戸時代)と庭園です。
次に本堂にお祀りします。
現在の本堂は平成16年に落慶した新しい本堂で、通常は閉められていますが土曜日、日曜日は地元ボランティアガイドの方々の協力で、開けられています。
ご本尊は木像千手千眼観音坐像(室町時代)を中心に左には達磨大師坐像(室町時代・重文)が右には聖徳太子坐像(鎌倉時代・重文)がお祀りされています。
「達磨寺出土石塔及び舎利容疑」(鎌倉時代)
現本堂建替えに伴う発掘で平成14年に発見されました。
その時に出土した水晶製五輪塔型舎利容器が遺構の真上にお祀りされています。
このお寺を有名にしているのは聖徳太子の愛犬「雪丸」のお墓がある為でしょう。
「雪丸」は人の言葉が理解でき、お経を読み、臨終の際には「達磨塚の丑寅の方角(北東)に葬るように」と遺言したと伝わります。
また、境内には松永久秀の墓があります。
天正15年(1577)に信貴山城で自害した際、筒井氏が首級を持ち帰り、ここに埋葬したと伝わります。
墓石には「松永弾正久秀」「天正五年十月十日」と刻まれていたと伝わります。
また、形が"無縫塔"の型をしているのが不思議ですね。
最後に御朱印を授与して頂き、帰宅の途につきました。
ちゃんと「雪丸」の御朱印まであるのですね。
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