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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

宮凬勤はどう語られたか?

2009年08月09日 | 80年代文化論(おたく-新人類 族 若者)
「おたく」の話に戻ろう。

「おたく」は言説空間の中では、「新人類」との差異によって浮き彫りにされた存在だったということを確認した。ただし、「おたく」という語が一般化していったのは、間違いなく1989年の連続幼女殺人事件で宮凬勤が逮捕されて以降ということになるだろう。当時宮凬勤=「おたく」によって議論されていたのはどんな事柄だったか。まず、次の著作を参考文献にしよう。

☆都市のフォークロアの会編(大月隆寛、オバタカズユキ)『幼女連続殺人事件を読む 全資料宮崎勤はどう語られたか?』JICC出版局、1989年。

この幼女連続殺人事件の経緯については、ネット上でおおよそのことは分かるだろう。wikiなど参照のこと。

もし宮凬勤関連のことを研究しようとするならば、これはかなり使える資料の詰まった著作です。1989年11月10日出版。宮凬が別件で逮捕されるのが1989年の7月23日、綾子ちゃん事件の自供を始めるのが8月9日、再逮捕が11日(発端となる今野真理ちゃんが行方不明になるのが88年の8月22日)。事件から三ヶ月で出版された本書は、関連資料集や事件の全貌を収めているだけでなく、この間に識者たちがどのような発言がなされたかを細かく伝えてくれる。

発言しているのは、例えば、推理作家や犯罪心理学の教授で、宮凬が逮捕される前に、この事件を推理する目的で発言を求められている。また、逮捕後には、多くの作家・心理学者のみならず、ジャーナリスト、コラムニスト、劇作家も含まれる(当時、劇作家というのは、主要なコメンテイターとして社会から認められていた、のに比べると現在はもっとそうしたニーズが演劇人に求められても良いのでは、いや真鍋かをりでコメンテイターは充分という時代に「知識人」(死語?)に別に何が求められていると言うこともないか)。例えば、別役実、唐十郎。別役はこう述べた。

宮凬の部屋を見て、すぐに連想したのが鳥の巣、冬ごもりのリスの住み家。」「宮凬はただのコレクターとも少々異なる。……つまり"モノ"それ自身をコレクトしたいのではなく、ビデオやカメラに記録した(幼女たちの)姿を集めたかった。そしてイメージの世界で楽しんでいたかったのではないだろうか」(「朝日新聞」89.8.16)pp. 26-27

この著作からいくつか興味深い発言を拾ってみる。

◎新人類がどう語ったか?

「新人類」が「おたく」の代表として祭り上げられてしまった宮凬をどう論じたかは、気になるところ。

中森明夫は、
「僕らは、メディアを親として育った、ほとんど純粋世代だと思うし、とくに彼は、メディアの申し子ですね。あの部屋も封鎖して外界から閉じこもることによって、逆に無限にメディアに対して開いていたともいえる。そこで、メディアを親として育った子供が、親の無意識の願望に応えてしまったわけです。あまりにも過剰に応えたために、親であるメディアが危うくなるほどに。つまり、それは親殺しのようにみえる。メディアを親として育った僕らにとって殺すべきは父や母ではなく、このメディア空間そのものですよ。」(「スパッ!」89.9)p. 32

なんとなく、ピントがはずれているように思うけれど、メディア殺しを中森はこの後実行しようとしたのかには興味が湧く。簡単に言えば、この後、95年以降になれば、ネット・メディアが驚異的な拡大を見せるけれども、そうしたなかで中森はどういう振る舞いをしたのか。調べたいような、とりあえず「80年代文化論」のノートなのでそこまで調べてもな、という気持ちにもなる。

泉麻人は(連載「ナウのしくみ」より)、彼が本当に「マニア」という存在なのかと、宮凬=おたく(マニア)論へ不信感をみせる。宮凬は、ビデオソフト愛好家の会報誌(タイトルが分からない)にベスト10を投稿している。「マイビデオライフ これが私のベスト10」というタイトルで1500字くらいの文章。
1 ジャッカー電撃隊
2 少年ジェット
3 ムキムキマン体操
4 刑事くん
5 電人ザボーガー
6 大鉄人17(ワンセブン)
7 円盤戦争バンキッド
8 愛と誠
9 スーパーロボット マッハバロン
10 怪獣王ターガン

各順位には、100字程度のコメントが付いている。そのコメントに対して「ああ、マニアっぽい原稿だなあ」と泉は思い、しかし、しばらく読み込んでみるとこう思ったという。「またこういう初歩的な誤りをするようでは、上級のマニアとは言えない。また、この手の吹っかけ、あるいは知ったかぶりをする癖があるとしたら、やはり、宮崎の供述内容には細心の注意を払う必要があると言えよう」(「週刊文春」89.9.7)p. 26

ここで泉が「上級のマニア」という言葉を用いながら、その外へと宮凬を排除する身振りは、気になる。「おたく」という語はなぜか出てこない。知ったかぶり、うろ憶えで、自分のベスト10について投稿してしまう宮凬は、当然、「上級のマニア」ではないだろう(では「上級のマニア」とはどんな存在だったかという点については、岡田斗司夫のテクストを読み返す必要があるだろう、、、宿題です)。

「上級のマニア」←→宮凬勤

だとして、上級のマニアになれないマニア宮凬がどう、自分をマニアとして自己同定していたかは、このベスト10のラインナップから見えてこないだろうか。このリストは、今日のぼくたちがいわゆる「おたく」について想像する趣味と随分違う。いわゆる美少女への萌えが一切見えてこない。代わりにあるのは、戦隊もの、しかもB級のマニアというイメージ。これはこれで「ライダーおたく」とか呼ばれたり、いまでも健在だと思う。本当は、ロリコンマニアなのに気取っているのか、よく分からない(逮捕後の本人は、女性に対する性的な興味をもったことがないと一貫して供述していた)。あと、興味深いのは、3位のムキムキマン体操。これはいわゆるお笑いの領域のもので、いまのなかやまきんにくんが担当している肉体芸のタレント(お笑いスター誕生!に出演していた記憶がある)。彼のコメントは「一回分所有(約5分)」。これだけ。あと、4位と8位にテレビドラマが入っていること。案外ふつうのコメントがついている。そもそもビデオに録画して所有しているということ自体が、マニアック(おたく的)なのか。「マイビデオライフ」という投稿欄なのだから、ビデオライフを自慢することじたいが自分がマニアックであることの証拠になる時代なわけだ。というか所有=マニア。いまのように、多くのソースがネット上に漂っていて、それをブラウズするだけでも「おたく」を自称する(できる)時代と、ビデオを所有していることに価値がある時代とでは随分ことが違うだろう。

あと、確認するべきは、これが当時のふつうの「おたく」(マニア)だったのだろうということ。少なくとも、上級ではないし、ふつうと呼ぶのも問題があるのかも知れないけれど、少なくとも言えるのは、こうした人物を「おたく」と(マスコミが)呼んでいたという事実。宮凬=おたく=ロリコンという単純な話ではないということ。

◎おたくとはどんな存在か

さて、ともかくも、宮凬事件を通して社会の話題の中心にされてしまった「おたく」たち。彼らはどんな存在であったか、どんな存在として社会に映っていたか。

小倉千加子は、「見る/見られる」関係を通して、こう言っている。興味深い。
「宮崎勤は、女を「見る」だけでなく、女に「見られる」視線のキャッチボール、相互的な人間関係を作り出す能力に決定的に欠けていた。彼は、自分を決して「見返す」ことのない幼女を自己の快楽の対象として選ぶことで、ダサイ自分自身の姿を直視することから逃げたのだ」(「朝日新聞」89.9.2)p. 23

ここで、小倉が「ダサイ」と宮凬を批判しているのは、これまで論じてきた「新人類」/「おたく」の話に絡んでおもしろい。「おたく」がある種の人々をいらいらさせるのは、彼が「ダサイ」からで、「ダサイ」のにもかかわらず自分のダサさを顧みないからだ。それは、換言すれば、彼らは「見る」専門家としてすましていて、自分たちが「見られる」存在であることを忘れているということに対しての苛立ちなのではないか。「視線のキャッチボール」を回避して、「相互的」な人間関係から離れてしまう存在。「ダサイ」のに、そんな特権的な立場に立っていることがゆるせないといった批判がここにはあると感じる。ダサイのレールを離れたら、当時の若者は、「ナウイ」のレールに乗らなければならなかった。「新人類」的な、記号的消費の世界に。「見る/見られる」の相互的な人間関係は、要するにそうした消費のゲームの渦中に身を置くことであって、そこで「相互的な人間関係を作り出す能力」に欠いていると批判をしても、じゃあ記号的消費はそれでいいの?という気持ちに今はなる。

あと興味深かったのは、藤田尚(評論家)の意見。
「おたくとは、非社会的かもしれないけれど反社会的ではない(反社会的になりたくたってなれない)存在なのです。フィクションと現実との間には、天地ほどの隔たりがあることを自覚しているのがおたくなのです(その天地が、たった一歩でつながりそうに見えるところに問題の複雑さがありますが)。」「問題はおたくかそうでないかではなく、世のなかには、犯罪を実行する者としない者と2種類の人がいるということです。Mについていえば、彼が幼児に声をかけた時点で、おたくから逸脱してしまったのです。Mというのは”おたくの風土にもおけない”やつなのです。おたくからいえば”アニメやスプラッターやロリコンのビデオをもってしてもMを引きとめることができなかった”ということです。」(「週刊宝石」89.9.7)p. 51

いまだったら「二次元」と「三次元」とか呼ばれる、「フィクション」と「現実」との間を問題にしている点で、興味深い。おそらく、当時の一般の人々の議論の中心は、ここにあったに違いない。「アニメやスプラッターやロリコンのビデオ」ばっかりみていたら、それが現実だと思ってしまい、その妄想を現実に実現しようとしてしまうのではないか。そうした考えは、「残酷ビデオをめぐる自治体対応」という資料(p. 74)にあるように、多くの都道府県が残酷ビデオを有害図書にし、業者も自主規制を検討するという動きを引き出した。

藤田によればそうしたビデオは、妄想を現実に実現しようとする行為を回避させる力があると「おたく」たちは思っていた。フィクションの世界に没頭する「非社会的」存在だとしても、犯罪を犯す「反社会的」存在ではない。この倫理感がおたくのひとつのアイデンティティだったのだ。現実には手を出さない。二次元と三次元を区別する。

2009年の今は、この二次元と三次元が複雑に交差している時代だろう。三次元が二次元化してきている。当たり前といえば当たり前で、二次元に没頭する人間はその身体を三次元に置いたままなのだから、二次元でえたものを三次元で反復することは大いにありうる(それが即犯罪とはならないとしても)。

二次元と三次元の関係を考えるスタートラインに宮凬事件があり、(ネガティブな仕方で始まった)「おたく」ブームがある。

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