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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ほふく前進

2009年12月27日 | 美術
いま水戸芸術館で、ヨーゼフ・ボイスが1984年に8日間だけ日本にいたその日々をめぐる展覧会が行われていて、その関連企画として、遠藤一郎が「愛と平和と未来のために」というタイトルのもと、パフォーマンスを続けている。

昨日(12/26)、この展示と遠藤一郎のパフォーマンスやワークショップを見てきた、参加してきた。今年は昨日でワークショップとパフォーマンスは一旦中断。来年もあるので、ぜひ見に行って、ほふく前進やってみて下さい。

11時ごろに芸術館に着くと、遠藤一郎は、噴水の脇で寝そべっていた(先に着いていたKATのYも寝そべっていた)。ぼくは立った姿勢で握手を交わししばらく話をした。そして、Yとまた同行した2人の学生と4人とで昼ご飯を食べた後、展示「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間 」を見た。正直、展示しているものに関しては、キャプションが0なので、何が何だかよく分からない。この展示で見るべきは、作品よりも84年にボイスが行った会見や対話集会のビデオ(ならびに、当時の日々をさまざまなひとが証言するインタビュー)で、しかし、これを見るには丸一日掛けてもたりない。

どうしようと思いながら、しばらく芸大で行われた対話集会を見ていた。ボイスの発言は一貫していて、それに対して、針生一郎や学生たちの質問は、ボイスとうまくキャッチボールできないでいた。ボイスは、「人気者」として日本で話題となり、その分、彼の思想や実践の意味は日本の中ではほとんど無視されてしまったようだ。実際、当時の証言インタビューでも、「無視」という事実を多くの人物が語っていた。

ぼくは、ボイスの発言を聴きながらずっと、芸術館の庭園でいまも黙々とほふく前進を続けているだろう遠藤のことを考えていた。「社会彫刻」という概念、芸術=資本(資本は貨幣とは関係なく、むしろ人間各自のエネルギーを指す)という概念、モダンアートを捨てた代わりに「人間学的芸術」を行っているのだということば、これらが84年に日本にばらまかれたものの、等閑視されたままだったのが、いま遠藤一郎一人のパフォーマンスによって、受け取られ、投げ返されようとしている。そんなことを思った。お昼を食べる前に遠藤が話してくれたのは、ほふく前進を続けている内に、お弁当屋さんが差し入れをくれたり、ベビーカーを押す母親が声を掛けてくれたりなど、今までにない何かが(彼のことばで言えば「大きなリング」が)生まれようとしている、という話だった。こうしたことこそ、社会彫刻なのではないか。などと思いながら、ぼくも14:00から始まったワークショップで、ほふく前進を実際にやってみた。

その感想の前に、遠藤が(ボイスの展覧会なのに、途中に遠藤ブースがあるのだ!そこに置いてあったプリントで)ほふく前進について語ったものを一部紹介したい。

「……なぜほふく前進なのかというと、人が進む速度の中で一番遅いからです。
地面を這っていると時間もとてもゆっくり動いています。
紅葉した枯れ葉が枝から離れ、地面に落ちるまでがはっきりと見てとれます。
石のタイルの隙間に育った苔のみずみずしい小さな緑の美しさに生きる強さを感じます。
そしてその空に向かって人の造った水戸タワーが伸びています。
ほふく前進の遅い速度で動いていると本来のありのままの形が見えてくるようです。
それは現代の早い波にのまれて忘れられてしまった人と自然が調和したとても自由な流れだと思います。……」

で、実際にほふく前進してみた。そのときを回想してみると……
芸術館の庭は芝生もあるけれど石畳が多く、スタート地点も石畳。さて、どうすんだ?右肘と左肘だけで進む?あっ痛ってー、こりゃ大変だ。あ、足も蜥蜴みたいにだったら使えるか。それでも、痛いよう。ん、石の間に苔が生えてる。見ると癒されると遠藤が言っている。確かにそんな気がしてくる。たんぽぽの種もあるぞ。うわっきついなあ、空が遠い。遠いが随分広く見える。ようやく、芝生まで来た。芝生は匂いがすごい。湿ってる。この景色は見たことない。この景色は、こんなタスクをもらわんと絶対見られないものだな。犬の目線というか自分が亀になったようだ。全然スムースに進めない、歩くのの十分の一くらいしかスピードが出ない。まさに亀だ。亀の人生はあきらめの人生だろうな。あきらめることで、でも、ちょっと自由になれる気がする。ここからあそこまですぐに行けない、何度も行けないという現実から生まれる自由。風が気持ちいい。一緒にほふくしている他人と笑いあい、ことばを交わす。あれ、スカートでストッキングなのに学生もほふくし始めた。見てるのがもどかしくなったようだ。そうそう、見ている人はここには必要ないよな。みんなでほふく前進してみればいい、それだけだ。してみるだけで遠藤が、今日最初に会ったときの遠藤がどんな気持ちだったかすごくリアルに分かる。見る者とやる者とではこんなに違うんだ。立つ者とほふくする者とではこんなに違うんだ。そのことにただただ感動。ひどく肘と膝が痛いけど、これを知っただけで充分。

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