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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

村上春樹『意味がなければスイングはない』

2005年12月10日 | Weblog
をいま読んでいる。

ウィントン・マルサリスを論じるところで、「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」と問う村上。面白い。あまり真面目なジャズ・リスナーではないけれども、ぼくもマルサリスの退屈さには思い当たる節がある。そういえば、20才くらいのころ付き合っていた吹奏楽部の彼女がマルサリスを勧めてくれたっけ、「いいね!」と言いつつ、ほとんど聞かなかった覚えがある。

この退屈さは、どういう「意味」から発しているのか。村上はこう説く。

「演奏の自発性と、音楽構造の整合性は時として反撥しあうことになる」

すなわち、マルサリスはジャズのスイングが生まれるために必須の雑駁さのみならず、知的な音楽的整合性も重視し、理論的に納得しようとする、そのあまり「低燃費高性能スポーツカー」を作ろうとして、そしてどちらかといえば理屈を優先するために「退屈」になってしまう、と。うん、シンプルだが上手い説明だと思う。

やや冗長な面があるけれど、村上の批評文は面白い。あと、新しい言葉の発明もある。例えば「ツイスト(テンション)」。「彼ら[ポール・マッカートニーやブライアン・ウイルソンなど優れた音楽家]の音楽には、メロディーラインとかコード進行とかに、個人的イディオムのようなものが盛り込まれており、それがシグネチャーの役割を果たしているわけだ。そしてその結果、ひとつのトラックの中に、うまくいけば一カ所か二カ所くらい、「おっ!」と思わせられる固有の音楽的ツイスト(テンション)が作り出されることになる。こういうツイストは優れた音楽にとって、おそらくなくてはならないものだ。そしてそれはときとしてリスナーの神経系に、一種の麻薬的な効果を及ぼすことになる」

ダンスならば、即座に「ダンシー」と称すだろうポイントに「ツイスト」という言葉を使っているのは面白い。「ねじれ」とは聴く者の琴線の「ひっかかり」を上手く伝えてくれる。「ぐっ、とくる」の「ぐっ」なんかもツイスト的な何かだろう。

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