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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

オトギノマキコ「チワワのゆうれい」(@渋谷ルデコ)

2008年04月26日 | ダンス
4/26
久しぶりに見た。正直、またオトギノマキコが見られた、という感動が大きくて、ちょっと「ああ、そうそう懐かしいー」なんて思いながら、過去の記憶をなぞりながら見てしまった。再び出会えたと言うことそれ自体が喜びになるような、ダンサーとして唯一無二の存在。20:00。ルデコの一階。20人ほど観客の集まった前方、小さな舞台スペースに、リアルな着ぐるみ(犬?オオカミにもみ見える)を来たオルガンプレイヤーが現れ(「ジョン(犬)」という名のミュージシャンだった)、その演奏をバックに、ろうそくの火が揺れるお盆を床に置くと、直立の状態で、そう、いつものあのオトギノマキコの姿勢で、繊細な強烈な時間が始まった。オトギノの体は、音楽とかなり直接的に反応する。けれども、その応答は硬く激しいものではなくて、むしろ紙が音に揺れて振動するみたいに、極々デリケートであり続ける。オルガンがなんともいえない不思議なメルヘンを空間に流し込むと、白いシャツと紺のパンツというほんとにいつものオトギノの体、いやなんだか以前よりシャープに目指すべきポイントへと素早く進む体が、次第にそこに委ねかかってゆく。バリのダンスのように全身の様々な場所が細かく弱く揺れる。いつの間にか、その体は、オトギノのものではないかのように、死の瀬戸際へとワープするかのように、生から切り離されて、それでも動いている。それをダンスと呼ぶべき、それをダンスと呼びたい、という体がある。バリでの記憶や暗黒舞踏の光景(土方巽が「疱瘡譚」で見せたライ病のダンスとか)とが、オトギノとともにぐるぐるとトライアングルをつくる。めまいのような気持ちでそのぼくのなかに不意に生まれた三つのイメージに歓喜する。一端、崩れて倒れた体が、あらためて起きあがってくると、それはまたなんだかしっかりした運動をみせもする。そうして運動の質が変化しているのは、頭で踊らず、音楽家と生成させている状況をきちんと生きているからだろう。後半は、ルデコ一階の客席にあったバーカウンターで新聞を読む音楽家の隣に座ってみたり、かぶり物を奪って被ったりした後、二台のテレコを出して、一台は松田聖子の「赤いスイートピー」をもう一台は、やはり同じ時代のポップスをカセットならではの速度ツマミを頻繁に変化させながらその音に反応して痙攣的に踊る、と言うことがあったり、最後は、マイクとスタンドを出してきて、アイドル歌手がふりつきで歌っているような状態で、しかし、声はほとんど吃音的というかほとんど発せられることなく、というシークェンスがあって、その後、パフュームの「コンピューターシティ」で踊る、というように進んだ。以前、ディズニーの「エレクトロニカル・パレード」の曲で踊るなんてこともあったけれど、そっか、パフュームはオトギノだったんだーなどと、妙に納得し、松田聖子からパフュームへと繋がれた線にも、そこにこのオトギノの自己をギリギリまで滅却していくような、感動的に死へと接近するかのダンスが綱渡りするという演出にも納得し、いま世間で言われているところの「日本のコンテンポラリー・ダンス」には興味が薄らいでいる一方で、こうした本当に秘儀のようなダンスが、やはりぼくは大好きなんだと思って、ダンスを愛することにあらためて確信の持てた公演だった。そう、なんかもう秘儀みたいな公演だった。勇み足でご本人に「次の公演は?」などと野暮なことを聞いてしまったのだけれど、いや、ぼくはいま、再びオトギノマキコが見られたことが本当に嬉しく、またどこかで見られたらそれも嬉しいと、そう、ぼくの気持ちは、それだけなのだ、と本人に言えばよかった。

参考資料
手塚夏子によるインタビュー面接画報
日記より オトギノマキコ「かわいい心臓」(2003年8月31日@Plan B)
日記より オトギノマキコ ラボ20#14出演(2003年1月18日)

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